アンジェリカの場合②

 かくして、アンジェリカはエヴァーツ姓を捨て、ただのアンジェリカとしてテッド村のダンのもとに嫁入りすることになったのだった。











(……あぁー。私の旦那様、本当にかわいいわ……)


 ベッドの上でぽわぽわと幸福に浸るアンジェリカの隣には、すうすうと眠る夫が。


 ダンは田舎の青年らしく純朴で奥手で、アンジェリカの言動一つ一つに顔を真っ赤にしたり戸惑ったりする。

 簡単に言うと、かわいい。むちゃくちゃかわいい。


 王城で開かれるパーティーでは、軽いボディタッチくらい当たり前だった。ダンスの時には密着するし、額や頬にキスをするのも普通のこと。着るものも、胸元がぱっくり開いた大胆なドレスをよく着ていたものだが、そんなアンジェリカを見て恥じらう紳士はいなかった。


 だがこの夫は、いつだって新鮮な反応を見せてくれる。アンジェリカが少し露出が多い服を着れば真っ赤になって上着を差し出してくるし、腕に抱きついたり頬を寄せたりしたらビクッと震えて固まってしまう。


 つい先日から一緒に寝るようになったが、「絶対にアンに変なことはしないから!」と主張する彼がベッドの中央に毛布を固めて砦を作った。それを挟んで二人は寝るのだが、朝になったらその砦はベッドの下に落ちていて二人は密着している。無論、アンジェリカが犯人だ。


 最初はアンジェリカに背中を向けて寝ていたダンも、朝になったら寝返りを打ってこちらを向いている。夫の無防備で幼い寝顔を見るのが、最近のアンジェリカの朝の日課だった。


(はぁ……なんて凜々しくてかわいらしい人なのかしら……。キス……したらさすがに起きてしまうわよね……)


 なお今の段階で、まだ二人はキスをしていない。アンジェリカとしてはいつでもどんとこいなのだが、ダンの方が恥じらっている。さすがに夫が寝ているところを襲って唇を奪うのはよろしくないので、我慢していた。


(……まあ、まだ時間はゆっくりあるわよね)


 くふふ、と笑ったアンジェリカは、シーツの上を移動して夫の方にぴったりと身を寄せた。

 目が覚めた彼は大いに慌てるだろうが……「あら? また砦が落ちてしまったのね」ととぼければ、きっとすんなり受け入れてくれるはずだ。


 優しくて頼もしくて、それでいてかわいらしい夫。

 彼と一緒に少しずつ仲を深めていけたら、アンジェリカはそれだけで十分だ。












 ……ということで。


(はぁ。私の蜜月を邪魔しようとするなんて……本当に鬱陶しい連中ね)


 脅迫状を送りつけてきた十人以上のならず者を粉砕した帰り、アンジェリカはやれやれと肩を落とした。


 アンジェリカは、その辺のごろつきより強い。それはもう、むちゃくちゃ強い。

 公爵令嬢だった頃に武術を教えてくれた師範はとんでもない技ばかりを仕込んでくれたので、アンジェリカは「相手を殺さずにをする方法」を熟知していた。そういうことなので、アンジェリカの得物はナイフや剣ではなくて、金属製の棒だった。


 両手の骨をポキポキ鳴らしながら歩いていたアンジェリカだが、にわかに目の前の茂みががさっと揺れた。


「アン! ああ……無事だったのか!」

「ま、まあ、ダン!?」


 茂みをかき分けて現れたのは、アンジェリカの大好きな旦那様だった。血液の付着した棒を置いてきて本当によかった、と心から思った。


 とんでもない師匠のもとで武術を学んだからか、アンジェリカはかなり物騒な性格と思考回路をしている。だが、少々物騒だとしても一応年頃の若い娘だ。大好きな旦那様の前では乙女でありたいし、かわいい、きれい、と思ってほしいものだった。

 サイラスには「アンジェリカって案外、猫かぶりだよな」と言われているが、猫かぶりで何が悪い、と開き直っている。


 妻が凶暴な戦士であることを知らないダンは真っ青な顔で、手には大きな剣を持っている。いつも農具を持っている彼が武器を手にするのを見るのは、初めてだ。


(あの剣は確か、玄関の棚の中にあったものね。かなりの年代物だけれどよく手入れがされていて、なかなかの威力がありそうだと思っていたわ)


 武術だけでなく武器を鑑定する眼も養われているアンジェリカはそんなことを思っていたが、ダンの方はそんな立派な剣を放り出し、アンジェリカをぎゅっと抱きしめた。


「アン、怪我はない? ひどいことはされていない!?」

「ええ、大丈夫よ。あの人たちね、ちゃんとをしたら分かってくれたわ」


 アンジェリカは肩を震わせる夫の背中をそっと叩き、優しく語りかけた。


 嘘は、言っていない。アンジェリカは肉体言語でちゃんとをして、してもらった上で、ならず者たちにお引き取りいただいたのだから。


「だから、もうこの辺りには来ないはずよ。……心配させて、ごめんなさい」

「……本当に! 心配したんだからな!」


 ダンはそう言って体を離し、じっとアンジェリカをにらんだ。

 やはり、怒っているようだ。愛する夫に嫌われるのは、ならず者十人に囲まれることよりよっぽど辛い。


「……ごめんなさい。でも、私、あなたを守りたくて……」

「分かっているよ。アンは優しい人だってこと、俺が一番よく分かっている」


 でも、とダンはもう一度強くアンジェリカを抱きしめた。


「……もう、こんな無茶はしないで。困ったことがあったら、俺も力になるから」

「ダン……」

「愛している。きみを、愛しているんだ。……絶対に、きみを失いたくない!」


 奥手で恥ずかしがり屋な夫から熱烈な告白をされて、ぎゅん! とアンジェリカの体温と心拍数が上昇する。


(あわわ……! こ、こんなに情熱的なことを言ってくれるなんて……!)


 とても嬉しいしキュンキュンするが、彼を心配させたのは事実だ。これに関しては、反省しなければならない。


「ありがとう、ダン。……私も愛しているわ」

「アン……」


 ダンは目尻を涙で潤ませ、そっとアンジェリカの唇を奪った。


(ふわぁ! 家の外でのキス! キス! 初めてだわ!)


 記念するべき屋外キスを脳裏に焼き付けておこうと自分に言い聞かせたアンジェリカがうっとりとしていると、ダンはいったんアンジェリカの体を離してから足下に落ちていた剣を拾い、背負った。


「……それじゃあ、帰ろう。村のみんなも心配していたんだ」

「ええ。ごめんなさい、って言うわ」

「……うん。そ、それで。家に帰ったら……二人で、ゆっくりしような」


 夫が口ごもりながら言ったので、そんな仕草にニマニマしたい気持ちを精一杯抑え、アンジェリカはダンの手を握った。


「……ダン。ありがとう」

「……こっちこそ。ありがとう、アン」


 つないだダンの手は、大きくて温かかった。















 アンジェリカは優しい夫を心配させないよう、なるべくおとなしく過ごすことにした。

 だがそれでも、村の近くを盗賊がうろついているとか村の子どもが誘拐されたとかいうことになると、変装して出かけた。そうしていると、微笑みながら金属の棒で敵を打ちのめす女戦士に恐れをなしたのか、やがてテッド村の周辺では全く盗賊が出没しなくなった。


 アンジェリカは照れ屋で恥ずかしがり屋な夫にすっかりめろめろになり、令嬢時代に培った手練手管をフル活用して夫を誘惑し籠絡していった。結婚して何年経っても初々しいダンに、アンジェリカはキュンキュンしっぱなしだったという。







 なお、「テッド村の周辺の森には、棒を振り回す化け物が生息している」という噂が流れるようになったが、村人の中でそんな化け物を見た者は誰もいないので、何かの見間違えだろう、むしろ村の守り神なのでは、という話になっていたそうな。

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