ダンの場合②

 ダンとアンジェリカの新婚生活は、とても穏やかなものだった。


 貴族の令嬢として育ったからか、アンジェリカはたまにとんでもなく大胆になってダンを驚かせた。

 まず彼を仰天させたのが、結婚初夜で早速「一緒に寝ないの?」と言ってきたことだ。


 ダンとしては、こんなにかわいらしい妻を迎えただけで胸がいっぱいで、今すぐに一緒に寝るなんてとんでもなかった。ただでさえ自分は筋肉まみれで暑苦しく、体重もある。ベッドは夫婦用のものではあるが、一緒に寝たら華奢なアンジェリカを押しつぶすかもしれない。


 ……ということで、「心の準備ができるまでは待ってほしい」とお願いすると、アンジェリカは「それもそうね」とあっさり了承して、自分用の部屋に行ってしまった。貴族の娘は大胆ではあるが割り切りもいいものなのだろうか、とダンは一人悶々としつつ眠りに就いた。


 三食の仕度は、ダンがした。両親を亡くしてからずっと一人暮らしなので、料理洗濯掃除裁縫なんでもできる。

 一方アンジェリカは貴族の令嬢としてお菓子作りや薬湯作りをしたことがあるくらいで、「食事用のナイフ以外の刃物を持ったことがない」と言っていた。


 裁縫も、繊細なレース編みはできるが穴の空いた靴下を繕ったり肌着を縫ったりということはできないという。本人は申し訳なさそうだが、ダンは一向に気にならなかったので家事も全て自分が行うことにした。


 朝、朝食を作って洗濯をしたら、畑仕事に行く。夕方まで仕事をして、帰宅したら水浴びをしてから夕食を作る。

 アンジェリカは基本的に日中、家にいた。貴族のお嬢様として二十年以上生活してきた彼女に、無理はさせられない。それでもアンジェリカは「自分でもできることはしたい」と言ったので、洗濯物の取り込みだけはお願いした。

 案の定たたみ方もしまい方もぐちゃぐちゃだったが、「できたわ!」と満足そうな妻の笑顔を見られただけで十分だった。ここから一緒に練習して、できることを増やせばいいだろう。


 家事のスキルはまったくないアンジェリカだが、彼女は非常に博識だった。村人の大半が自分の名前すら書けない中、彼女は村長の家にある小難しい本を全て読むことができた。中には古代文字で書かれたぼろぼろの冊子もあったがそれも難なく読めたらしく、村長が驚いていた。


 やがて彼女は、村の資産管理を行うようになった。アンジェリカは字がきれいで計算も得意で、それまでは村長が適当に付けていた帳簿をあっという間にまとめてかつ、誰でも見やすいように工夫してくれた。


「聞いて、ダン! 今日はね、ミルダさんの奥様とお昼ご飯をご一緒したのだけれど、その時に編み物を教えていただいたの!」


 夕食の時間に、アンジェリカが笑顔で今日の出来事を話す。


「それから……ああ、そうだわ。私今日やっと初めて一人で、井戸の水を汲めたの! 重かったから、桶の半分くらいだったけれど……ちゃんと一人でできたのよ!」

「それはすごいな。アン、最初はつるべを上げることも難しかったそうなのに、成長したんだな」


 妻の話を、ダンもまた笑顔で聞いていた。


 結婚したばかりの頃はおとなしくて慎ましい妻だと思っていたが、アンジェリカはダンが思っていた以上に活発で無邪気で、おしゃべりだった。どちらかというと自分は口下手な方なので、アンジェリカが嬉々としてしゃべるのを聞くのが、ダンは好きだった。


 だがアンジェリカははっと目を瞬かせ、恥じらうように視線を落とした。


「……ごめんなさい。私ばかり、ペラペラしゃべって……」

「そんなことないよ。俺、アンの話を聞くのが好きなんだ」

「でも、ダンだってお話ししたいことがあるでしょうに……」

「いや、俺の仕事は地味で代わり映えのしないものなんだから、話すことなんてないよ」


 ダンは本心からそう言ったのだが、アンジェリカはむっとした。


「……地味で代わり映えがしなかったとしても、ダンのお仕事はとても大切なものだわ」

「そうかな……?」

「そうよ。……だって、ダンたちが作ってくれたお野菜のおかげで、私はおいしいご飯を食べて育つことができたのだから」


 アンジェリカの言うことも、もっともだった。

 テッド村がエヴァーツ公爵家と契約をしたのが、今から二十年以上前のこと。つまり公爵令嬢であるアンジェリカは生まれてからずっと、テッド村の農産物を食べてきたのだ。


「実は私ね、公爵令嬢としての身分をなくすなら……いつかテッド村に行きたい、と思っていたの」

「えっ……」

「私はお父様の暴走を止められなくて、その結果殿下と婚約解消した。王都では私のことを、悪女と呼ぶ人もいるそうなの」

「……な、なんてひどいことを言うんだ!」


 思わずダンが声を上げると、アンジェリカは静かに微笑んだ。


「それも仕方のないことよ。……でも、おいしいお野菜を食べられて、私は本当に幸せだったわ。だから……叶うことなら、この村で暮らしたいと思ったの」

「……」

「私は、ダンのお仕事がとても素敵なものだと思っているわ。……汗を流して働くあなたの姿も、とっても素敵だもの」

「えっ……」


 思わず声を上げるとアンジェリカは小さく微笑んで席を立ち、すっとダンの背中に触れてきた。


「……ねえ、ダン。私たち、結婚して二ヶ月経ったわね」

「え、あ、そ、そうだな……」

「……そろそろ、あなたと一緒に寝たいわ」

「っ……! あ、あ、あの、アン、それは……」

「ふふ……顔、真っ赤。かわいい」


 ダンの肩に寄りかかったアンジェリカは、硬直する夫の顔をのぞき込んでくすくすと笑った。


「大丈夫。一緒に寝るだけで、何もしないから」

「……。……それは、俺の台詞だと思うけど……」

「あら? ひょっとしてをしてくれるの?」

「ち、ちがっ……!」

「……ふふ、冗談よ」


 からかってごめんなさい、とアンジェリカは笑いながら言う。


「それで……一緒に寝てくれる?」

「……え、ええと……」

「……」

「…………う、ん」

「ありがとう。……大好きよ、旦那様」


 首に腕を回したアンジェリカが甘えるように頬を寄せてきたので……都会のご令嬢は恋愛ごとにここまで積極的なのか、とダンはぐるぐる目を回しながら思ったのだった。

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