38

 救助隊が第一階層のロビーにやって来たとき、三人は沈黙の体だった。

 力なく迎えた彼らを、救助隊員たちも納得したように眺めていた。彼らの中には、明らかに研究員といった出で立ちの数人が混じっていた。その男たちは、真っ直ぐに結城のもとへやって来た。二、三語を交わすと研究員たちの顔色がみるみるうちに青ざめていった。

「なんということだ」

「そんな馬鹿な……」

 といったような囁きが雛森の耳に入ってくる。そのために彼女は結城が〝ルナ〟のすべての秘密を白日の下に曝したのだと理解した。

 途方に暮れる研究員たちを尻目に、徐に救助隊員に近付いた神崎は深刻な眼差しで口を開いた。

「訊きたいんだが……、このLUNAに向かうシャトルが出発した後に地上ではテロのようなものがあったのか?」

 すると、救助隊員たちは揃って驚きの声を上げた。

「どうしてそれを?」

 通信機器が回復していたのかという疑いと共に、何故それを使って連絡をしなかったのかと詰め寄られていたが、神崎は答えを濁すと雛森のもとへと戻ってきた。

「まだ被害者たちの名前はすべて分かっているわけじゃなさそうだが……地上で多数が犠牲になったことは確かなようだぞ」

「じゃあ、やっぱり太田さんは……」

 疲れきったように肩を落とす。そこにそっと手を置くと、神崎は穏やかな声で慰めてやった。


 LUNAに残った生存者は三名。

 彼らの訴えにより、二つの遺体の捜索が救助隊によって行われた。彼らの話では、追って事故の究明チームがLUNAに向かっているという。ジェネシスの開発者たちが乗り込んできたのは異例のことだったようだ。その開発者たちにしても、ルナの秘密は決して漏れ出てはならないという必死の思いだったのだろう。

 救助隊の遺体捜索には神崎と雛森が同行を申し出た。その悲痛な表情に、許可の下りないはずはなかった。また、その二人によってLUNAで起こった殺人事件の全容が語られると、幾度目かの驚愕の声が木霊することとなった。

 まずはじめに、多良部沙羅と思われるミイラ化した少女の遺体の確認から行われた。雛森は、ここでこの遺体を間近で目撃することとなった。

 遺体は生前の、きめ細かく白く美しかったであろう肌の名残を留めているに過ぎなかった。眼球は表面に細かい皹を生じて、すっかり干からびていた。体を構成するもののほとんどが水であると改めて実感させるように、瑞々しかったであろう頬は今ではこけて完全に死に支配されていた。

 彼女は何を思ったのだろうか。雛森は思いを馳せた。

 閉じ込められた空気制御室の中で。減圧する中で。眼球の飛び出そうとする激痛に苛まれて。沸騰する血液に身を震わせて。

 この多良部沙羅がここで死んでいるということは、彼女は位相のずれた世界、すなわち記述世界の『太田』を図らずも殺してしまったということだ。その『太田』の死は、ルナだけが知覚できた。

 そこからすべては始まった。


 L‐6に入ると、雛森は自らの足が鉛のように重くなっていくを感じていた。まだ彼女の中に、片桐の死は現実へと昇華しきってはいなかった。耳を澄ませば、また彼女の声が聞こえてくるのではないかと思えるほどだった。

 しかして、片桐の遺体は厳然としてそこにあった。多良部の遺体とは一線を期すその肢体は、徐々に死の様相を強めていた。

 こうして死を目前にすると、雛森には『錯綜の彼方へ』の中で触れられていた、〝揺らぎ〟を起こさせるものについての興味が大きさを増していくのが分かった。ちゃんと動いて、喋り、咳をしていた彼女が今では抜け殻のようになってしまっている。何が抜けてしまったのだろう……。彼女を彼女たらしめ、命を供給していたもの。雛森は呆然として、それについて思いを巡らせていた。

「おい、行くぞ」

 遺体の状況を確認する救助隊を背に神崎が言っていた。雛森はふと我に返ると頷きはしたが、床に根の生えたようにその場から動くことをしなかった。

「どうした?」

「片桐さんは、スパイだったんでしょうか?」

「そうだろうな」努めて無愛想に応じる。「結城が片桐を殺す動機が生じるのはその場合だけだ。そして、あのサイバー・ダイブが証明になる」

「そうですよね……」

 呟くと顔を伏せる。しかし、数秒もしないうちに目のやり場を片桐に求めた。

「信じたくないか?」

 雛森は答えなかった。

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