34
L‐6との境の隔壁は降りたままだった。
今、雛森はその前に立って不安定な格好で扉を叩いていた。
「おい、何をしてるんだ」
「この向こうに、多良部さんはいるはずなんです!」
「嘘だろ……。……さっきみたいに開けないのか?」
雛森は首を振った。さっきと同じ文言を隔壁に向けたのだが、それは無駄に終わったのだ。
「ルナが開けようとしない……」
「力ずくでいくか?」
腕まくりする神崎に首を振る。
「すごく頑丈なんです。エリアを隔絶するのだから当然ですけど」
「そもそも、どうしてこの中に多良部がいるんだ?」
隔壁を叩き疲れてよりかかる。背中の向こうには、未知の空間がある。これほどまでに近付いているのに、確かめられないもどかしさが雛森の体内を駆け回る。
「ここ以外に考えられないんです。でも……たぶん私の考えが確かならば、多良部さんはもう亡くなって……」
無言で顔をしかめる神崎に雛森は解説を加える。
「結城さんがL‐1を利用して犯行に及んだのは、これまでの経緯から明らかなことだと思います。そうなると、L‐1にいるはずの多良部さんと、結城さんは顔を合わせたはずなんです。でも、結城さんは多良部さんをL‐1の外に連れ出しては来なかった……。それはそのはずです。犯行のトリックの要である〝L‐1の利用〟が露見してしまいますからね。そして、もしかしたら結城さんは多良部さんを口封じのために……」
「憶測も過ぎますよ」
ようやく結城が口を開いたが、声の奥底には深い憤りの情が渦巻いていた。神崎は、そこに心からの怒りを見出していた。
「いや……もしかすると」彼は結城を見ていた。しかし、言葉の向かう先は雛森だった。「こいつはルナに対して何か特別な感情があるようだ。それはルナ自身も感じていたようで、『錯綜の彼方へ』でもこいつがルナに語りかけるシーンがあったな。そして、俺はずっと感じていたんだが、こいつは何かルナを守ろうとしているふしがあるんだな」
小首を傾げて先を促す雛森に、神崎は隔壁の向こうに一瞬思いを馳せた。
「俺たちが、事故の原因について議論していたとき、はじめは積極的だった結城だが、推理が進むにつれて徐々に口数が少なくなっていった。おかしいと思ったんだ。何故徐々にボルテージが下がっていったんだ? それはおそらく推理の進む中でルナに肉薄していったからなんだと思う。こいつはルナの何かを知っている。その上でルナを守ろうとしている。
犯行の際に、L‐1を開放し、その後どうやって再び封印したのか。そのときも〝守ろう〟という思いは一様だったはずなんだ。そして、再封印にルナ自身すらが同意しているのは、今この隔壁が開かないことからも言えるだろう。つまり、ルナ自身に封印の意志があるということなんだ。ルナにも隠し通したい何かがある。それは、多良部を殺してしまったということなんじゃないか?」
思わぬ言葉に雛森は顔を上げる。その目は怪訝な光に細められていた。
「殺す……って、どうやって? ルナにはそんな能力はないはず――」
彼女は凭れかかっていた隔壁から、サッと身を飛び上がらせるとそちらへ振り返った。
「そうだ。その隔壁の内部は部屋になってるって話だったな。空気制御室は気圧だったりを調整できるんだろ。多良部はその中にいると言ったな。それはつまり、多良部は殺されている可能性が高いということだ」
「でも……ルナには多良部さんを殺すような理由はないし、それに、そう、ルナには人命を尊重するような……」
「ルナはただの機械じゃないと言ったのはお前だぞ。それに、ルナが多良部を殺す理由ならある。ルナは、深い絆を持っていた『太田』を多良部に殺されたんだろ。もうそれで、動機としては充分じゃないか」
神崎と雛森は事実を確認しあうかのように見つめ合っていた。結城だけは、この場で超然としており成り行きを見守っていた。雛森は隔壁の方へ振り向いた。
「ルナ……、ここを開けてください――」
「やめるんだ」
結城が言葉を発していた。二人が彼の顔をまじまじと眺めていると、再び声が響いた。
「やめるんだ、ルナ」
そのときだった。
隔壁脇に、すでに開いていたコンソールが光を取り戻したのだ。ピピッという電子音と共に認証画面が立ち上がる。淡い青に彩られた暗闇の中でコンソールの中に動く光が視界の中に存在を主張していた。結城はそちらに向かって床を弱々しく蹴っていた。やがてコンソールに辿り着くと、震える声で見上げた。
「僕に開けてほしいというのか……?」
無機質な壁面が見返す。沈黙だけが彼に答えていた。結城は俯いていた。その表情は、雛森と神崎からは窺い知ることは出来なかった。しかし、その背中は悲哀に満ちているように二人の目には映った。
やがて――。
観念したように結城はコンソールに掌を置いた。微かな音と共に認証画面には「OK」の文字が浮かび上がった。潜水艦が軋むような深みを持った音が扉をこじ開けていく。
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