31

 ルナ・コムの前に集まった一同の目に、記述を綴る画面の動きはもうなかった。『錯綜の彼方へ』は『30』を最後にラストを迎えていたのだ。

『雛森』は罪を認め、空気制御室の緊急ハッチから身を投じ、その命を散らした。それよりも彼らの目を引いたのは記述内で地上の事件に言及されていることだった。

「確かLUNAは無線で地上と繋がっているんだよな。地上の情報を受け取ることは出来るわけだ。まさか、実際に地上で事件が起きてるんじゃないだろうな」

「でも、そう考えると、事故の原因がはっきりしませんか?」モニターを見つめる雛森の目は輝いていた。「記述が事故の前もされているという理由が説明できます。この地上のテロで『太田』が死んでしまったとすればどうでしょう。地上の、その情報を受けたルナが彼の死をなかったことにしようと記述世界を構築したんです。そうすれば――」

「事故の原因なんて、どうでもいいんですよ」

 半ば怒号のように口にする結城は二人の視界を遮って画面をスクロールさせた。記述は『雛森』が追及を受ける場面だった。

「御覧なさい。ルナはこのようにして、あなたが事件の犯人であると指摘している。ルナは現実も認識している。それは今までの虚実のリンクから見てもそう言えるでしょう。となると、ルナは現実でも事件の様相を目撃していた。その上で、ルナは事件の犯人をこうして記述したのですよ」

 神崎がモニターの前に顔を寄せてしばらく眺めていた。やがて、肩をクツクツと震わせて姿勢を正すと、笑いを浮かべながら結城を見た。

「お前、これは元から論理として成り立ってねえだろ。必死だな。

 いいか、『多良部』がL‐2に行くためにはL‐3を通らなければならない。これは確かにそうだ。しかし、そこを通るには『雛森』と顔を合わせなくてはならない。そして『多良部』がその『雛森』と顔を合わせていないということは、『雛森』が犯人だというのは論理としては成り立たない。何故なら『多良部』がL‐3を通る前に犯行に及んだと考えることも出来るからだ。つまり、『雛森』か『多良部』かどちらかを犯人と決めることは出来ないってわけだ」

「しかし」急所を突かれ、顔を歪ませる結城だったがここで食い下がる。「ルナが、そう指摘したということの意味は大きいですよ。意味もなく彼女を犯人とすることはないですからね」

「そもそも、エレヴェータの位置を改変した時点で説得力がないんだよ」

 そう詰め寄る神崎に力を得たのか、雛森も先ほどの話の続きを始めた。

「『太田』が、地上のテロで死んだとすると、LUNAがこのような事態になったというのは不思議なことです。何故なら、現実に彼はいないのだから、彼を巡ってL‐1が閉鎖される事態には陥らないからです」

「記述の中の『太田』が現実の事故の原因となったというのか?」

「ルナが『太田』の死をなかったことにしたいと思っているのだとすれば、記述では生き永らえた彼の存在を現実にも適用させようとするのは自然なことだと思います。でも、LUNAで何かをしようとすればICタグがなければならない。ドアすらが開かないんですから」

「おいおい」神崎の深刻そうな声が雛森を遮った。「待てよ。そうするとよ、ルナは『太田』が死んだことを認めざるを得ないんじゃないか。それが事故の原因……?」

「たぶん、そうじゃないと思うんです」

 大きく首を振ると、記憶を手繰り寄せてから言う。彼女の脳裏には片桐の姿がちらついていた。

「ICタグの情報を読み取ってルナはドアの開閉などを行っていたんですよね。その認識が、入力なしに行われるのだとすれば? ルナがIC情報を自ら捏造して自ら認識するのだとすればどうでしょうか。現に、ルナは記述という行為の中で、実際にはここに存在しない人を描くことで認識していますよね。だから、そういった操作も可能なはずなんです。記述の中では、登場人物がドアに詰まって動けないということはありませんでしたからね。本題からは少しずれますけれど、そう考えると記述の中でも現実でも固く閉ざされているL‐1は何かしらのルナの強い意志が反映されていると考えたくなります。現実では、L‐1が閉鎖されるような甚大な被害は考えられないわけですからね。

 さて、ルナが『太田』のIC情報を認識するということは、つまりドアの開閉が行われるということです。ルナは『太田』の存在を現実にも適用しようとしますから、現実にもドアがひとりでに開くというようなことがあったはずなんです。もし、それを目撃して不審に思う者があったら? 私は、そう考えてある一人の姿を思い出したんです。今思えば、あれは記述の中の『多良部』の人物描写と酷似していたんです」

「『多良部』が実在していた?」

 神崎が首を捻るのと同時に結城が苛々したように首を何度も振った。

「あり得ない。憶測もいいところです」

「憶測でもいいんです」

 キッと返す瞳に結城は体を竦ませた。

「それとも、私が、その人物が『多良部』だと言いたがっているように見えましたか、結城さん? そう、その人物が『多良部』かどうかはこの際問題じゃないんです。

 その人物は神妙な面持ちでアミューズメント・フロアを駆けていきました。とても楽しそうじゃなかった。かといって迷子である要でもなかったし、それで必死になってしまうような歳でもありませんでした。

 さっきの話に戻りますが、ドアがひとりでに開閉しているのを目撃した人物は当然不審に思うでしょう。ICタグなしにドアが開かないことはみんな知っているんですから。もし、その人物が不審に思い、ドアのひとりでに開閉するのを追っていくような人だったらどうでしょうか。そして、私のようにPSアーマーというようなことを知っている人間だったとしたらどうでしょうか。その人物はもしかしたら目に見えない〝侵入者〟を攻撃するかもしれない。そう考えて、私は、その駆け抜けていった人物の姿を思い出したのです。

 その攻撃が『太田』に甚大なダメージを与えたのだとしたら? ルナとしては、せっかくその死をなかったことにしたのに、『太田』がまた死んでしまうような状況に陥ってしまったら、再び死をなかったことにしなければならない」

「それが今回の事故の原因ってわけなのか?」

「もし、その攻撃が『太田』を殺したのだとすれば、その死ごとL‐1を閉鎖することも考えられます。そして、記述の中では、L‐1の閉鎖原因を『何かの衝突』とした」

「なるほど。だから記述の中では『太田』は理不尽な瞬間移動をしたのか。そして、現実で照明を消したのは、まさに記述の世界をルナが選んだということなのか。『太田』の死はルナには認めてはならないものだからな」

 ルナ・コムの座席に深く腰掛け、じっとモニターに目を向ける。その瞳は画面の文字を追っていた。しかし、結城はそんな神崎を横目に否定的な溜息で応じた。

「それでは『多良部』が同時に瞬間移動した理由が説明されていない」

「それは不可抗力だったんじゃないでしょうか」

「不可抗力?」

 鸚鵡返しに振り向く結城の表情は、眉間に皺を寄せた険しいものだった。

「そこが、私がさっき、駆け抜けた人影を『多良部』と似ていると言った根拠なんです。というより、彼女が『太田』を攻撃しなければ瞬間移動はしなかったはずなんです。

 現実で彼女が『太田』を攻撃したとき、二人はほとんど同じ位置にいたはずなんです。衝突が原因とすると、『多良部』が死んでしまう状況は、必然的に同時に『太田』すらも死んでしまう状況になります。つまり、『多良部』を瞬間移動させることは同時に『太田』を瞬間移動させることでもあるんです」

「それにしたって」結城はまだ不満を持っているようだった。「現実でもL‐1を閉鎖する理由がないではありませんか」

「考えてみてください。『多良部』は現実において記述世界の住人である『太田』を攻撃しました。この時点で、ルナの中ではすでに現実と虚構は入り混じったものとなってしまったんです。覚えていますよね、このルナの記述した物語のタイトルを」

 神崎の目がみるみるうちに見開かれていく。驚愕にかたどられた口元が言葉を発する。

「『錯綜の彼方へ』……。まさか、それをモチーフにしているのか!」

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