30
突然の二人の出現に雛森は驚いて微動だにできなかった。
二人の表情にはいくらかの隔たりがあった。神崎の厳しいものとは異なって、結城は苦い顔をしていた。
「俺は犯人はこいつだと思うんだ」
開口一番に神崎は結城を指差していた。
「何を馬鹿な……」
「だってそうだろ。俺は自分が犯人じゃないことを知っている。この問題は、犯人以外の俺たちにとって、どちらかが犯人かという二者択一のものなんだよ。雛森が犯人じゃないというのは、生前の片桐との関わりからも殺す動機がないだろ。それに、L‐6への唯一の経路であるL‐5にいた雛森が、ただ一人容疑の圏内に入るように犯行を行うとは考えられない」
「こじつけに過ぎない」
雛森を前に、その存在が目に入らないかのような二人のいがみ合いが続く。話の流れの分からないまま、その言葉の数々を耳にする。
「ずっと疑問に思っていたんだ。何故お前も片桐もL‐6からやってきたのか。すぐ隣にエレヴェータのあるL‐5があったのにもかかわらずだ。二人とも、自分の意思で留まっていたんじゃないのか? それは取りも直さず、あの『錯綜の彼方へ』でも触れられていたように、片桐がスパイで、お前がそれを監視する役割だったということなんだよ」
「分かりませんか? たとえ、その主張が真実であっても、僕には犯行は無理なんだ」
神妙な面持ちで結城は力強く言い放った。しかし神崎は動じる風ではない。
「L‐1が閉鎖されていたから、犯行現場であるL‐6にいくことは出来なかったっていうんだろ。じゃあ、その前提が崩れたらどうする?」
この言葉に結城はぎょっとして目を瞠った。口元が小刻みに震えている。
「何を馬鹿なことを……」
「あの隔壁を調べたのはお前だったな。だから、閉鎖されたという情報が嘘だったっていうこともあるわけだ。今からそれを確認しようと思うんだが」
結城の引きつった顔が無理に笑顔を作っていた。
神崎は雛森を通路に呼び出し、二人を先導してL‐2の端、L‐1との境へ移動した。
隔壁は相変わらず侵入を拒んでいた。その脇の壁に手をやる。コンソールが顔を出すと、結城にバイオメトリクスを突破するように促した。結城は、はじめは渋っていたが、動かず言葉発さずの重圧が彼を否応なしに行動させた。
しかし――。
コンソールは、結城が掌を密着させても反応を見せなかった。それどころか、以前と同じように認証の画面すらが表示されないのだ。
「嘘だろ……」
頼みの綱だった推理が崩れ去ると、神崎は悄然と結城を見つめた。一方の結城はそれに力を得たのか、先ほどより声の調子を強めて口火を切った。
「だから言ったでしょう。犯人はそこにいる雛森さんなんだ」
突きつけられる人差し指が雛森の鼓動を早める。しかし、彼女は怯まなかった。
「結城さん、この先は本当に閉鎖されるような環境なんでしょうか」
「なんだって」
疑いの矛先を軽く受け流される格好となった結城は、素っ頓狂な声を上げる。
「私、生前片桐さんが言っていたことを思い出していたんです。片桐さんはこの事故の原因を通してルナの内面の秘密に迫っていたような気がするんです。そして、それをみんなに話す前に死んでしまった。まるで、犯人はその秘密をみんなに暴露されるのを恐れているようです。片桐さんはスパイかどうかはこの際どうでもいいことなんです。ただ、犯人はルナの秘密をどうにか死守したいのじゃないかと思うんです。そして、そんな理由を持っているのは、結城さんただ一人ですよね。
こうして事件が起こってみて分かりますけど、もしかするとルナはここで殺人が起きると確信、いいえ、そこまでいかないにしても可能性の高いこととして予測していたのかもしれません。だから、『錯綜の彼方へ』で殺人は発生し、そして現実でも事件が起きたんだと思います……。ルナはそういった予測のもとで記述をしました。事象計算システムといっていますが、それって機械には特有の並列演算のことなんじゃないでしょうか。それをマクロ化したのが事象計算システム。とにかく、ルナは予測を元に『錯綜の彼方へ』を記した。
記述者は言わずもがなですけど、ルナ自身です。そんなルナが、結城さんのあのルナに語りかける描写をしたのは何故なんでしょう。結城さんはルナと面識があるばかりではなく、何かそれよりもっと深いものを感じさせますよね。そこに、私はルナの秘密があるような気がするんです」
「さっきから、ルナの秘密秘密と言ってるが、一体それは何なんだよ?」
堪りかねた様子で神崎がそう言った。
「片桐さんは、神崎さんの言葉で何かが分かったって言いましたよね。覚えてますか?」
「ああ、確かそんなようなことを言っていたな」
「神崎さんは四年前に奥さんを亡くされたんですよね。そのことを話したときに、神崎さんは奥さんの思っているであろうことを、推測なしに仰ったんです。『笑って許した』って。その根拠は優しかったから。それは、奥さんと付き合いが長く、深く知っていた神崎さんだからこそ、そう言うことが出来たんです。
そこで考えてみてください。『錯綜の彼方へ』で登場した未知の二人の人物。私たちは、彼らが事故の原因の核となっていると推理しましたけど、この二人には決定的な違いがありました。それが――」
「ああ」片手の掌をもう一方の拳で叩く。「『太田』はルナがその内面まで描写しているっていうことだろ。……ってことは、ちょっと待てよ、まさか」
雛森は彼に大きく頷いた。
「ルナにとって、『太田』はそういう深い絆のある存在だったのではないかと、私は思うんです」
一瞬の沈黙があった。
「だが、待てよ。『太田』ってのは実在する人間なのか?」
数秒の後に雛森は口を開いた。思案げな顔だったが、根底には揺るがないなにものかが潜んでいた。
「ルナは、そう認識していたと言っておきます。私は、彼が実在するものと考えているんですけど」
「今もどこかで見てるってのか?」
神崎は身を低くして辺りを窺った。
「いえ。でも、私の考えが確かなら、もう『太田』は死んでしまっていると思うんです」
「どういうことだ?」
「『太田』は『錯綜の彼方へ』の中で、事故の前後で理不尽な瞬間移動を行っていましたよね。しかも、事故前に彼がいた場所は閉鎖されたL‐1です。閉鎖されるということは、そのエリアが危険であるということに他なりません。そんな場所から〝ルナの〟意思によって瞬間移動させられたということは、ルナは『太田』の死を忌避したかったと考えていいはずです。ルナは『太田』の死を望んでいなかった……」
「ちょっと待てよ」考え込むように顎に手をやった神崎は首を捻っていた。「ルナってのはよ……、『太田』のことを好きだったんじゃねえのか? なんとなくそう思うんだが」
結城は憮然とした表情を向けていた。
「馬鹿馬鹿しい……」
しかし、その超えは雛森と神崎の耳に届いてはいなかった。
「『錯綜の彼方へ』では、ルナが『太田』の死を回避するためにL‐1を閉鎖しました。じゃあ、現実では?」
「まさか」
「今まで記述の世界と現実の世界は、何度もリンクしていましたよね。照明や……事件。それに、事故も。登場人物だってそうです。
現実の事故と同時に発生した記述世界の事故。もしかすると、現実の世界で『太田』は死んでしまったのではないでしょうか。そして、それを観測したルナはそれを回避するために事故を引き起こした。だから、現実では彼は死んでしまったけど、ルナの記述した世界では生きているという構図が出来上がったんです」
「馬鹿馬鹿しい」
結城が、今度は強い声でそう発した。二人が驚いてその顔を覗き込むと、鋭い眼光が射返した。たじろぐ二人に彼は追い撃ちをかける。
「ルナが『太田』を好きだった? ルナは機械なんだ、そんなはずがない。それに、君の推理は的外れだ。
ルナの記述は、事故の起こる前から続いているんだ。君の話では現実の事故に引き続いて記述がされたといっているように思える。しかし、実際はそうではない。それに、今回の殺人の犯人は君以外に考えられないのだ。ルナ自身がそう言っている。片桐さんは仰っていましたね。ルナはどうしてLUNA全域を見渡すことが出来るのに、それを記述しなかったのか、と。記述しなかったのではない。解決という形で記述するつもりだったんですよ。そして、ルナは、解決の中であなたの犯行と推理しているんですよ」
彼は叫ぶように言い切ると、L‐3へと向かう。有無を言わされず、雛森と神崎はその後についていく。
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