27

 どれくらいそうしていたのかは分からない。

 雛森は、片桐へと向けた目をそのままにゆっくりと立ち上がった。このことを伝えなければならない。

 名残惜しかったがその場を離れた。

 後方に流れる景色の中で、雛森はふと思い当たった。

(二者択一の問題……。私は犯人じゃないのだから、犯人は必然的に結城さんか神崎さんということになる……。でも、どうやって……? 私はずっとL‐5にいた。誰もL‐6に近付くことなんてできなかった)

 ここに至って雛森は愕然とすることとなる。

(私は、『太田』だ……。二人とも、私を犯人だと疑うはずだ。だって、私以外にL‐6へ近付くことのできた人はいないのだから!)

 そう思うと、前に進む思いが止まってしまう。

(私は犯人じゃない)

 しかし、同時に彼女自身に疑いがかかることは必至だった。

(しかも、あの二人のうちどちらかは片桐さんを殺したのだ)

 雛森は、怖いと思う。しかし、片桐の死を伝えなければならない。

 L‐4に到着する。神崎が通路に出てこちらを見ていた。雛森の目からは思わず涙がこぼれだしていた。両手で顔を覆う。顔が歪む。涙は止めたくて求めることができなかった。

「どうしたんだ、おい!」

 神崎が雛森の両肩を抱くようにしている。その手の暖かさが雛森には少し嬉しかった。鼻を啜って答える。声が大きく震えていた。顔は両手で隠している。

「片桐さんが、死んでるんです」

 どうにかつっかえつっかえそう言った。そして、それは彼女を死を雛森自身が真っ向から認めたことでもあった。

 神崎の、雛森の肩を掴む手が力を弱めた。

「なんだって」

 立ち去ろうという神崎を雛森は引き止める。もはや気力だけが彼女を動かしているようだった。

「結城さんも呼んできてくれませんか? みんなで確認したほうがいいと思うんです」

 力のない提案に神崎は有無も言わされぬ頷かされた。


 神崎が結城を伴ってやってくると、雛森は言いようのない恐怖を感じた。雛森の中の疑心がどんどんと広がりを見せていく。体はこわばり、身構えるようにしていた。だが、逃げ場などどこにもない。外は宇宙空間なのだ。

 L‐6で、一同は押し黙っていた。『錯綜の彼方へ』という記述がこうして現実へと昇華した今、彼らの脳裏には様々な思惑が犇いているはずだった。

「何てことだ……」

 しばらくして結城がそう呟いた。雛森は、そこに絶望を読み取った。しかし、次の瞬間に雛森を見つめる結城の瞳は明らかに敵意のこもったものだった。少し後ずさりする。雛森には、『太田』の気持ちが分かるような気がしていた。

「片桐さんの遺体を発見したのは、雛森さんだったようですね」結城の言葉が冷たく響く。「あなたは今までどこにいたのですか?」

 片桐のそばに屈みこんでいた彼は、立ち上がって鋭い眼差しを彼女へと向けた。

「L‐5に……」

「説明する必要はないでしょうね」

 彼は神崎にそう言う。戸惑った返事が返ってくると、結城の口からは虚構から上り詰めたように言葉が漏れだしていた。

「彼女を映画館へ軟禁させてもらいましょう」

「私は、犯人じゃない……」弱弱しく主張する。「私が、片桐さんを殺してしまうなんて……あるはずがないです。それに、このナイフは……私は、こんなの知らないです」

「ナイフも動機も隠し持つことは出来る」

 有無を言わせぬ態度に、ついに雛森は絶句した。彼女には、自分が犯人でないということを客観的に説明する手立てが思い浮かばなかったのだ。

 それを、罪を認めたと判断した結城が静かに動き出した。

 雛森は映画館へと軟禁された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る