26

 遠心力による擬似重力は今や完全に停止していた。それまで、微かに律動を感じ取っていたものが消え去り、真の静寂が宇宙というものの恐ろしさを引き立てているように雛森には感じられた。

 沈黙したゲーム機が並ぶL‐6もひっそりとしていた。青い恒常照明が微かに闇を照らす。

「片桐さん」

 彼女の透明な声が波紋のように響き渡る。

 返事はない。

 心の中に一抹の不安がよぎる。そんなことはないのだ、と思い直す。論理的に考えてそんなことはありえないのだ、と。

「片桐さん」

 聞こえなかったのかもしれないという思いが、再びその名を口にさせる。『太田』はこうして呼びかけたときに、ゲーム機の陰から顔を出した片桐に出くわした。

 しかし、反応はなかった。

 片桐はL‐6に消えたきり、L‐5のほうへは戻ってきていない。天井に少し隠れるくらいの向こう側にL‐1への道が閉ざされているのが確認できた。

「片桐さん」

 三度口を開く。しかし、そこには徐々に凝り固まる想像があった。雛森は泣き出しそうだった。そうなのかもしれないという疑いと、そうではないという確信がせめぎあっていた。

 彼女はゲーム機で死角になるところへも首を突っ込んでいた。

 そして、彼女は見つけてしまった。

 片桐は死んでいた。エリア中ほどのゲーム機の陰でひっそりと。背中にはナイフが突き立てられていた。うつ伏せに倒れる片桐の顔から眼鏡が外れていた。その表情に苦悶はなかった。ただ、目を見開いていた。顔が雛森の方を向いていた。目はどこに向かっているのだろう。少し開いた口が何か言いそうだった。

 膝が笑い始め、雛森はその場に腰を抜かしてしまう。すがるような目で横たわる片桐を見た。抱き始めていた憧れの情が氷解していく。もうその対象は命を失ったのだ。

(こんな……、こんなこと……あり得ない――)

 ただ現実を否定した彼女の目からは涙はこぼれなかった。ただ信じることができないという不可解性に体のすべてのシステムが沈黙してしまったかのようだった。

 彼女の頭の中には『錯綜の彼方へ』が、床にこぼれた水が広がるようにしていった。虚構が現実を侵食する、というおよそ起きるはずのないこと。

(あり得ない)

 雛森は、何度目かのその言葉を胸に抱いた。口にしたかもしれない。

(ルナが殺したのか? このL‐6には誰も来なかったのだ)

 片桐の死に目を背けるように、雛森は頭を巡らせていた。片桐の背中に突き立てられたナイフの黒い柄が目に入る。『錯綜の彼方へ』では、『結城』が『片桐』を発見したときそばにサイバー・ダイブが落ちていたはずだったが、現実にはそれはなかった。

(片桐さんはスパイじゃなかった……)

 雛森にとってそれは唯一の救いであるように思われた。しかし、同時に強烈な疑問が頭を占めていく。

(どうして……殺されてしまったの? 何故、死んでしまったの……)

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