11

 片桐はモニターと向き合いながら三人を迎えた。すぐさま結城が近寄る。

「どういうことですか?」

 片桐の顔が無感動的に振り返る。

「分からないわ。ただ――」

「ただ……?」

 片桐は画面を指差す。

「これ、まだ文章を綴り続けているのよ。この文章、物語もまだ途中になってる」

「何ですって?」

「文章が見たければ、どこでもどうぞ。すべてのルナ・コムが同じ文章を表示しているようよ」

 結城は跳ね飛ばされたように、片桐の隣のルナ・コムの座席へ身を投じた。神崎はそこから通路を挟んだ場所へ、雛森は片桐のもう一方の隣の座席へを腰を下ろした。場違いな読書会が始まった。


 結城が長い息をつく。座席に深く身を預けると、未だに崩れない困惑した表情のままで言った。

「なんと言えばいいのやら……」

 苦笑いを浮かべながら額を掌で撫でる。

「はじめの感想はそれに尽きるな」

 神崎は座席から身を離し、片桐の後ろに立っていた。今は体を仰け反らせて腰を伸ばしている。

「どういうことなんでしょうか?」

 座席から首を伸ばすようにして雛森が尋ねる。片桐は首を振った後に、モニターに目をやる。

「また記述が増えたわ」

 文章は『11』に到達していた。『二回目の衝撃』が記述された後、この数字が現れた。

「まずは」結城が口火を切る。「気になったことを挙げてみましょうか」

 一同の頷くのを確認すると、黒い光に照らされた結城の唇が動く。

「とりあえず、この文章はここを舞台にしているようです。そして、この物語――『錯綜の彼方へ』ですか、この中でも今と同じような状況が起こっている。違うのは、事故の原因。『錯綜の彼方へ』では、単純に何かが衝突したとありますね」

「だがよ、同じようにL‐1は閉鎖されているな」

「ええ。微妙に現実との共通項も見られますね。そしてなにより」

 結城に三人の視線が集中する。四人は同時に口を開いた。

「知らない人物が登場している」

「問題はそれよ。この『太田』と『多良部』という人物。一体何者なのかしら?」

 答えるものはいなかった。問いはまだ続く。神崎が口を開いていた。

「これはルナの事象計算で生まれたものだと考えていいんだよな?」

 彼は、これがいわゆる『別次元』の記述であると捉えているのだった。

「それ以外に説明はできないでしょうね。どうやら、この記述は現在と平行しているようですし。その証拠として今も記述が行われています。雛森さんの話によれば、はじめは物凄い速さで文字が綴られていったそうですね。しかし、今は非常にゆっくりとした速さです。記述が現在の時間の流れと同調していると考えてもいい。事象計算システムは現れた事象を描写する分には全く支障がありませんからね」

「それはおかしいんじゃない?」片桐の声が結城を遮る。「だって、この文章の内容は実際に現れていない」

「どう説明すればいいでしょうね」

 結城は困ったように頭を掻いていた。しばらくそうしていたが、やがて徐に口を開いた。

「事象計算の表現が認められているのは、というより可能なのは、それが過去となった瞬間からです。つまり、このときにどういう状況が起こりえたかということもそこで語ることができるわけです。この記述は、ですから、一瞬前に過去となった事柄のはずです」

「でもよ、これは俺たち人間でもできることだが、未来のことをでっち上げることだってできるだろ。SF映画だって同じようなものだ」

 結城は今度は躊躇う様子も見せず否定した。

「確かに、ルナもそういった形で予測行動をすることは出来ます。しかし、これがそうでないというのは、やはり記述が現在も行われているということからも言えるのです。これがでっち上げなのだとしたら、雛森さんや片桐さんが目にしたように、結末までが一気に記述されるでしょう」

 神崎は唸っていた。しかしやがて頷いた。だが、その顔は晴れなかった。神崎はモニターを指して口をすぼめていた。

「俺はこんな風に見られてるのかねえ?」

 どこからともなく笑いが漏れる。

「いや、ホントに。こんなに横暴に見られてんのか、俺は? これを記述しているのはルナだよな。ちょっとこれはさすがにショックだぜ」

「言動や言葉遣い、見た目からそういう人間性が導かれたのかもしれませんね」

 冷静に言い放つ結城に、片桐は腹を抱えて笑った。

「機械も、まだまだ見た目に騙されるってことね」

「笑い事じゃねえぜ……。結城がやけにいい感じに書かれてるのも気に食わねえ」

「どういうことです?」

 結城の追及はどこか冗談めいたところがあった。自覚したような笑みが口の端に浮かんでいるのだ。

「本物はもっとこう……皮肉っぽいじゃねえか」

「僕の姿はルナにはそう映っていないようですね」

「何だよ、差別か何かか? 顔で決めてるんじゃねえだろうな」

「褒め言葉として取っておきましょうか」

 ひとしきり笑ったあと、片桐の目は雛森を向いた。

「芽衣ちゃんも、ずいぶん違う書かれ方みたいだけど」

「はい。確かに、人見知りしないように見えるって言われるんですけど、全然違いますよ。こんなんじゃないです」

「頭も、この話の中よりはよくないな」

 神崎は先ほどの告白から吹っ切れたのか、好き放題に言っている。

「あら、失礼ね」

 雛森は口を開かなかったが、片桐が反論する。

「何でお前が口を挟むんだよ」

「私は女の子の味方よ」

 神崎は両手を広げて肩を竦めると観念したように口を閉じた。

「『多良部沙羅』……」

 結城が呟いている。片桐はからかうようにして肘を突き出した。

「気になるのかしら?」

 そう言って結城の顔を見ると、その真剣な様子につい身を引いた。

「気になるといえば、気になります。何か引っかかるんですよ。それに」

 画面がスクロールする。表示されたのは、物語の冒頭、『太田』という人物がL‐1で展示物を見ているシーンだ。

「ここで彼は展示物を見ているんですよ。そして、衝撃があった……。問題はその後です。まあ、この謎の人影も気にかかりますが……」

 結城は該当の場所を指差す。

「『3』で彼は気絶していた状態から目を覚まします。その場所が……何故かL‐5なんです。あの衝撃の瞬間、彼はL‐1からL‐5へとワープしているんです。明らかにおかしい」

「ええ。私もそれは気になったわ。矛盾が伏線となる場合もあるけれど、これは明らかに違う。何しろ、目覚めた本人が自分の位置に疑問を感じていないのだから」

「あ、そうか」

 一人雛森は、彼らの疑問が大したことでないと感じていたのだが、改めて説明されて始めて重大性に気がついたのだった。

「これがルナの事象計算システムによる別次元の出来事と解釈しても、『太田』という人物の動きは物理的に考えられない。事象計算と人間的な感性を持ったルナにしてはおかしい」

 結城は懐疑的な表情をひどく歪めた。信じられないという思い。

「いろいろとこの『錯綜の彼方へ』について疑問はあるけど、最大のものはやっぱり」

 片桐はそこまで喋って一同の顔を見回す。充分な間の後に口を開く。

「何故これが記述されたのか?」

「何か理由があるんでしょうか?」

 雛森はそう言って小首を傾げた。神崎が引きつった笑いと共に言葉を吐き出す。

「そりゃあ、理由がなけりゃあこんな意味の分からない文章を書こうとはしないだろうよ。問題は、この文章で何を言いたいかっていうことだ。それが理由になる」

「そこに、今回の事故の原因があると考えてもいいのかしら?」

 片桐の言葉が結城に向けられる。彼はしばらくの間無言を決め込んでいたが、それは無視していたのではなかった。

「難しい問題ですね。しかし、このような状況に陥ってこの文章が表示されたという事実を見れば、直接的でないにしても何かが得られることは確かです。何故、この状況でこれが表示されたのか。何故、このような内容なのか。この文章の目的はなんなのか。そういったことを追究していくことで何かが見えることは確かです」

「あまり釈然としない言い方ね」

「先入観は必要ないと思いまして」

 半ば呆れたような笑みが片桐の口に張り付くのと時を同じくして、画面には文字が綴られていった。

『二回目の衝撃』が訪れ、各自がLUNAの内部を調査する。物語の結末まではまだ長いように思えた。

 そして、この現実さえも。

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