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 しばらく動きの見せなかった結城だったが、肩を落としながら近くのルナ・コムの座席へと身を落とした。彼の表情は物理的にも精神的にも暗かった。膝に肘をついて頭を抱えていたが、顔を上げると神崎に言う。

「さあ、どうやって原因を究明しましょうか」

「いや、どうって言われてもな……。唯一の手掛かりはなくなっちゃったんだろ?」

 溺れる者は藁がなければただ絶望するだけだ。今の彼らはまさにそのような状況に置かれていた。

「何が起こったのかすら分からない」

「諦めるのはまだ早いわよ」片桐の強い声が一同の心を支える。「とりあえず、何が起こったのか調べる必要があるわ。自分の目で」

「調べるったって何をだよ」

 照明の強制ダウン以降、我を失った感のある神埼が喚き散らす。片桐はただ片手を挙げてそれを制する。

「何でもよ。なにか変わったところがないか、調べるのよ。原因を究明するのなら、調査は不可欠なことじゃない?」

「それはそうだが……」

 座席の沈む音が雛森の目を引く。結城が思い切りよく立ち上がったのだ。その表情はなにか決意したような凛とした様子が見て取れた。

「片桐さんの仰るとおりですね。それではこうしましょう。僕と神崎さん、片桐さんと雛森さんの二手に分かれてなにか異状がないか調べましょう」

 薄闇の中で片桐の頬が少し痙攣するのが雛森には感じ取れた。その意味するところが何であるのか、思いを巡らせていると片桐が手を引く。半ば引っ張られる形となった彼女は少しの間呆然としていたが、前を行く片桐の表情が窺えないのが分かると、慌てて手を振り解いた。

「あの、片桐さん、急にどうしたんですか?」

 彼女は振り返りもせずに言う。

「いえ。早く調べてしまいましょう」

 二人はL‐3の隣、L‐2からの調査を結城によって提案されていた。


 L‐2には中央を走る通路を挟んで二つずつの中規模映画館がある。片側二つの映画館の間には、映画をテーマにしたアイテムなどを販売する店が設置されていた。雛森はショーケースの中を覗き込みながら隣の片桐に言った。

「特に異状はありませんでしたね」

 L‐1との境である第一空気制御室は相変わらず固く閉ざされていた。その脇のコンソールも全く反応を見せず、取り付く島がない。溜息を秘めながら四つの映画館を隅々まで捜索するも、そこに待っていたのは極めて平時の姿を保った設備の数々だった。映写機は、今や館内の天井に設置された機器だけで事足りる。それを制御する機材も非常にコンパクトだ。だから、映画を制御する部屋は四方数メートルほどの簡素なものだった。調べるまでもなく、目に付くほどのものは存在しない。

「ちょっと考えたんだけれどもね」片桐は穏やかに話し始める。「何か異状があったとしても、このアミューズメント・フロアにはないと思うの」

「どうしてですか?」

「ここはつまりは一般の人に開放された場所よ。LUNAの中核をなすシステムとかいったものは〝上〟にあるんじゃないかしら」

「確かに」

 グッズの群れに目を向けながら、雛森は納得する。視線の先には、映画中に登場する博士の愛用していた眼鏡があった。古めかしい丸レンズの金縁眼鏡が、微かな光源に光を返していた。このエリアは普段から雰囲気作りのために薄暗い照明となっているが、青い光に照らされるここは少し幻想的でもあり、不気味でもあった。

「あれ、でも」雛森は何かに気付き、片桐を正面から見つめた。「あのルナ・コムって、核になるシステムに直結してるって神崎さんが言ってませんでしたっけ? だったら、何か異状があるとしたらあそこじゃないですか」

 片桐は人差し指をチョコンと顎に当てて口元を緩める。

「確かに……怪しいわね。うん、そうよね。芽衣ちゃん鋭いわ。行きましょう」

 足早に向かう片桐の後ろを急いで追う。雛森には何か予感があった。


 結城と神崎はL‐6を見回っていた。二組が閉鎖したL‐1の両側から囲い込みのように調査を行うという形式を取ったのだ。

 神崎は歩きながら周囲を見回していた。並立する巨大なゲーム機が視界を遮る。神崎とは違い、結城はL‐6を仔細に調査していた。ゲーム機の間隙を縫ってはあちこちに首を突っ込んでいる。だから、彼がL‐6からL‐5へと向かおうというときには、神崎は第五空気制御室で待ちくたびれていた。

「おいおい、ずいぶん熱心に調べてたな」

「どこに事故の原因があるか分かりませんからね。歩きながら周りを見ても、何も分かりません」

 暗がりの中で神崎の口の端がキュッと吊り上った。結城の嫌味に、引きつった笑いが無意識的に現れたのだ。

「異状っつってもなあ、何を以って異状とするのかがよく分からないんだよな。電気が消えたことだって異状だろ。ルナ・コムが反応しないのだって異状だ。異状だらけじゃ、逆に正常なものを見つけるのが大変なくらいだ」

「正常なもの……」

 今までどこか淡々とした表情を保っていた結城だったが、その顔が固まっていく。そして、再び口を開いたときの彼は幾分明るい声をしていた。

「そうか。正常なもの。異常事態が続く場合、それでも常態を保っているものが鍵を握ることが多々あります。今はまさにそれです。逆転の発想です。正常なものを探して、何故それが正常なのか調べるんです」

 ぼうっとして彼の主張に耳を傾けていた神崎も、やがて声を明るくして言った。

「正常なもの、ねえ。L‐1以外のエリアとかか?」

「神崎さん、AとBという事実があって、どちらが異常であるか決めるのはとても難しいことですよ。普通とそうでないものを分けるというのも同じことです。普段我々が普通だと思っていることも、人や場所によっては全く違っていることがあります。今回の場合も、L‐1が閉鎖されているのでそこが異常だと言っていますが、実は全く逆かもしれない。L‐1のほうが正常で、こちら側は異常なのかもしれない。そして、L‐1の状況が把握できない今では、そのどちらかであるか判断することはできないのです」

「じゃあ、正常なものって何だよ?」

「そうですね」彼は首を傾けて数秒思案した。「例えば、今、この状況です。遠心力を発生させるシステムは滞ることなく働いている。それに、照明が強制的に落ちた後、かなりの時間が経っていますが、室温は変わっていないようです。電気系統が完全にすべて落ちているわけじゃ、なさそうです。L‐4の厨房を調べてみないと分かりませんが、食材がきちんと保存されているのだとすると、人間が生きる最低限の環境は維持されいているということになる」

「よし、じゃあ早速調べよう」

 漠然とした調査ではない。二人はL‐5の調査は後回しにし、L‐4へと向かった。足取りは先ほどと比べ、軽い。

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