5

 小さな篭るような咳をしながら片桐は品物を物色していた。

(まるで泥棒みたいだわ)

 緊急の事態の中なのだからお金は必要ないという、根拠のない雛森の主張に納得してしまった自分が少し恨めしかった。それでも、目をつけた飴の袋を掴むと今度は飲み物を探す。

 辺りは静かだ。L‐4のブロックのひとつであるこの物販コーナーには菓子類などの飲食物、そして土産に最適とされる宇宙食が品を揃えていた。事故というのならば、それが起こる前はさぞ人の出入りが激しかったであろうと思われるここも、今では寂しそうに沈み込んでいた。

 片桐は歩きながら、雛森には悪いことをしたのかもしれないと考えていた。雛森は、初対面の大人たちに囲まれて少し萎縮しているように彼女の目には映っていた。ここに飴や飲み物を物色するというとき、片桐は私用だからといって一人で来てしまった。今思えば、彼女を連れて打ち解けさせるべきだったのかもしれない。レストランで待つのは他は男だから、その点でも心配が募ったのかもしれない。

 片桐がクーラーの中に頭を突っ込んで適当なボトルを手にし、三人の元に戻ろうというとき、スライドドアがスッと開いた。そこに立っていたのは雛森だった。彼女は、少しおどおどしたように口を開いた。

「あの、見つかりましたか?」

「ええ。お蔭様でね」

 少し億劫にボトル四つと袋を抱える元に雛森が駆け寄ってくる。

「手伝います」

 彼女はそういうと、半ば強引に三つのボトルを抱え込んだ。片桐は彼女を見て言った。

「ごめんね」

「いえ」

 何気ない様子で雛森は笑顔を向ける。

「向こうは居心地が悪かった?」

 きまり悪そうにここへ入ってきた雛森の姿が片桐の脳裏に現れていた。すぐさま彼女の首が振られる。髪の毛が揺れて仄かな香りが片桐の鼻腔を満たした。

「全然、そんなことないです」

 片桐はじっと見つめる。雛森はしぶしぶ口を開く。

「あの、ちょっと結城さんは取っ付きにくいんですけど、神崎さんはちょっと面白いから……」

「分かった。あなた、結城さんに私の様子を見るように言われてきたのね?」

「え!」

 図星であったかのように雛森の目が丸く見開かれた。その様子を見てつい笑みがこぼれてしまう。

(かわいい反応)

「そんなことはないんですけど……」

「いいえ、いいの。ごめんね。さあ、行きましょう」

 雛森の小さな、しかし暖かい背中に手をやって、片桐はこの場を後にした。


   *


「しかし、ここが安全とはいえ、助けが来るまでの間は暇だな」

 雛森の去る後姿を見つめつつ神崎が呟く。彼女は物販コーナーへ行くと言っていた片桐を見に行ったのだ。結城がそう頼んでいた。

 レストランに多く配置されている円卓のひとつに結城と神崎は額を寄せ合っていた。白い円卓が照明をよく反射して、明るさが増している。ただ、静かであった。

「僕は確か、この事態の原因を究明するように頼まれたんですが、暇はなさそうです」

 神崎のバツの悪そうな顔に結城の乾いた笑いがぶち当たった。

「そういうつもりじゃなかったんだがな……」

「一番心配なのは」自分から言っておきながら、神崎の侘びには目もくれない。「シャトルの自動点呼装置が僕等をもともと無視していたかもしれないということですよ」

「なんだと」

「シャトルの出発が異様に早いと感じませんでしたか? 僕がさっき言ったように、僕等がいないということに気付くも、仕方なくシャトルを出発させたというのなら、その仕方なくという結論に至るまでにはもうちょっと葛藤なり何なりがあるはずでしょう。しかし、あの早さはそういったものを感じさせませんね」

 神崎は深く腰掛けて背もたれに体重を乗せた。天を仰ぐようにする。

「じゃあ、なにか、俺等は無視されたのか? しかも、その点呼装置とやらはルナと繋がってるっていうんだろ。ということは、ルナが俺たちを無視したというのか?」

「その可能性もあるかもしれないと言っているんです。そうなると、やはり今回のことはソフトの問題ということに。考えられませんが」

「起こりえることはいくら可能性が低くても起こるというぜ」

 神崎の言葉には、どうにかこの男をやりこめようという意思が宿っていた。

「可能性は低ければ低いほど起こりにくいのです」

 溜息。

「まあ、可能性云々はいい。ルナが俺等を無視したとしたら、どうなるんだ? 助からないなんて言わないよな?」

「シャトルの乗員全員が無視しているのなら、どうか分かりませんが、どのみちこの事態の調査のために誰かは派遣されるでしょう。結果的に助かることになります」

「なるほどな。で、それのどういうことが心配なんだ?」

「ルナは思考します。電気消費量もTPOに合わせて調節されます。内部に人がいないのならば、大気内比率も調節は行いません」

 神崎の表情に影が見え始める。

「……てことは、酸素が薄くなるかもしれないってことか?」

「まあ、そういうことに。もともと酸素は生物にとって有害でした。しかし、環境に適応するために酸素を取り入れた。これによって、生物は生の時間を大幅に減らしたわけです。今も無害というわけではありませんがね。純粋な酸素を長時間取り入れれば、死を引き起こします」

「そんなことはどうでもいいんだよ。それって、やばいんじゃないのか?」

 結城は、ふっと笑って天井を指差した。まるで相手の反応を楽しむように。

「しかし、見てください。未だに照明は健在です。室温も快適だ。電力供給はちゃんとされているようです。おそらくルナは無視などしていなかったのでしょう」

「あ、そう。じゃあ、今までの話はなんだったんだ?」

「まあ、ちょっとした考察です。探すべきものが実際には存在しなかったという話が確か大昔にありましたね」

 神崎の呆れ顔が深い溜息を吹き出した。ちょうどそこへ片桐と雛森がやってきた。真っ先に振り向く結城に片桐の淡々とした声がかかる。

「途中で芽衣ちゃんが来てくれて助かったわ。はい、適当だけれど飲み物を拝借してきたわ」

 飴に頬を膨らませながら、円卓にボトルが置かれる。雛森も一本を残して置く。

「お、気が利くな。一本貰うぞ」

「どうぞ」

 雛森がボトルを差し出すと、神崎はしばらく逡巡した結果、円卓の置かれた方を手に取った。

「悪いな。ちょっと甘いものが欲しかった」

 片桐が笑いながら腰をかける。横目で神崎を見ると、おかしそうに口を開いた。

「あら、子供みたい」

「ほっとけ。疲れたときには甘いものが必須なんだよ」

 そういってオレンジジュースを流し込む。ボトルの半分ほどがあっという間に吸い込まれていった。

「近年の肥満の増加はこうして助長されていくみたいね。それにしても、今は何を話し合っていたのかしら?」

 神崎が苦笑交じりに説明する。雛森は途中表情を暗くさせていたが、最後には安堵の溜息をついていた。

「その探すべきものが存在しなかったっていう話、以前読んだことがあるわ。タイトルは何だったかしら」

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