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それは突然のことだった。
LUNAに緊急事態を告げるアナウンスが流れた。それまで楽しさに身を委ねていた多くの顔は硬直し、流れる無慈悲な声に耳を傾けていた。その声は淡々と伝える。
「原因不明の事態が発生しました。総員は速やかにルナゲートに集合後、脱出してください。繰り返します……」
赤い光が明滅し、否応なく焦燥感を煽る。騒然とした空気が満ちていく。誰もが、この言葉に従うか戸惑っているようだった。しかし、一人が動けば迷いは霧散する。
悲鳴と怒号が飛び交うまでに時間はかからなかった。子供の泣き叫ぶ声があちらこちらから上がる。バタバタと慌てふためく足音が重なり、それが雷轟のように響き渡る。
「早く!」
「どけ!」
「待ってよ!」
人々をパニックが襲った。
リニア・エレヴェータのホールには人波が押し寄せた。押し合い、狭いエレヴェータの口から箱の中にギュウギュウと人が詰め込まれていく。スタッフの制止の声はもはや誰の耳にも届かない。スタッフたちも人の流れに飲まれ、静かに上昇する箱の中でせめて自制心を保っていようとするのが精一杯だった。
悲劇は立て続けに起きる。
燻る炎のような乗客の運び、第一階層へ到達したエレヴェータは原因不明の沈黙を始めたのだ。再び下へ降りて人々を誘導しようという心積もりでいたスタッフたちも、これには匙を投げるしかなかった。エレヴェータは、ホールで待つ人間を感知し箱を呼び寄せる機構を備えていた。手動操作系統は皆無であったから、エレヴェータを待ち続けるスタッフたちの姿は見ようによっては途方に暮れ、惚けて立ち尽くしている情けないものとなった。
LUNAの通信系も完全にシャットダウンされた。LUNAの要する地上への通信機能は当然ながら、無線情報網を完備するLUNAであるのにもかかわらずウェブ・ランナーのような携帯端末は悉く通信不可能であると告げた。LUNAに常駐するエンジニアたちも原因の究明に努めたが、警告にパニックを起こしてその人員を次々と失ってしまってはもう探りようがなかった。彼らとて自分の命が惜しいのだ。
ルナゲートに殺到した人波は競うようにしてシャトルへと駆け込んだ。大発生した鼠が塒へと帰るかのようだ。パニックが彼らの背中を押し出し、始まったルナゲートへの大移動であったが、スタッフたちはほっと安堵の溜息をついた。シャトルの入り口にはその周りを取り囲むようにICタグの感知装置が設置されていた。ルナAIと無線で連携し、タグの情報を整理するのだ。こうすることで、LUNAへの出入りが管理できる。今、IC情報はすべての客がシャトルに乗り込んだのを告げていたのだ。LUNAのエンジニアたちをはじめとする裏方のスタッフたちは別の小型シャトルへと乗り込んでいた。
LUNAは一度に収容できる人数があらかじめ決定されていた。それが功を奏したのだ。
シャトルはルナゲートを滑り出し、地上への道を歩み始めた。人々に宇宙の美しさを堪能する暇はなかった。ただただ胸を撫で下ろし、LUNAに背を向け地上を懐かしむのであった。それは事実上、救われたという実感であった。
このときは、誰も気付かなかったのだ。
徐々に小さくなっていくLUNAの白い、潰れた円柱のような姿と、次第に目の前を覆っていく青い星も味わうことなく、宇宙の牢獄に閉じ込められた人々がいることを。
そして、誰もが知る術を持たなかった。
地球とLUNA、この二つの点が恐るべき線分を描くことを。
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