26
意気消沈した雛森を囲んで、一同は無言で額を突き合わせていた。片桐を殺してしまった雛森は、もはやそれに全精力を使い果たしてしまったかのようにうなだれていた。彼女を太田のように軟禁する必要性はなかった。
沈み込んだ場に言葉はない。
今LUNAには、死んでしまった人間、殺してしまった人間、それに翻弄される人間が顔を揃えていた。そこに何か違いはあるのだろうか。片桐と雛森と太田と結城と神崎と多良部……。この者たちの間に個としてのなんらの差異が存在するのだろうか。
DNA? 体を構成する物質?
考えや精神は何を以って個々を確定するのだろうか。
結城はあらゆる活動の根源が、脳内電気信号の揺らぎ――それを生み出すものだといった。では、その〝生み出すもの〟とは何なのだろうか。
魂? 死刑囚は魂を失ったのだろうか。しかし、魂の本質とは何なのだろうか。〝生み出すもの〟に違いがあるのか。あるのだとすれば、そこに人、生物としての根源があるのではないか。
この操り糸のようなものに、人は支配されているというのだろうか。この糸は人間の範疇の外側にあるものだ。人が何か行為をするとき、それをしようという意思を発生させるのは〝揺らぎ〟だ。意思に先行するのだ。しかし、どういうわけか、それは意図しないものではない。何故先行する〝揺らぎ〟を人は、生物は自らのものとして認識することができるのだろう。支配されているのではないのだ。何かを思うその行為は、上位的な何かによって行われている。では、自分とは一体何なのだろうか。この自らを認識する自分は本物なのか。〝生み出すもの〟こそが自分といえるのではないだろうか。2人の自分が存在し、下位の自分が上位の自分から何かを引き出しているのだろうか。
結城は知覚のメカニズムについて説明した。
世界からの情報、すなわちボトムアップの情報を受けて人は知覚するのだという。これによれば、〝揺らぎ〟は世界からの情報によって生み出される。先ほど仮定した〝生み出すもの〟が本質的な自分であるというのなら、自分とは世界であるということになってしまう。世界は自分といえるのだろうか。
ラブロックは地球自身が生命であると説いた。その地上に存在する生命が惑星の環境設定力に深い影響を与える。地球の生命が、地球と共に1個の生命体というのならば、世界が自分であるといってもいいのではないのだろうか。
ギリシア神話では世界はカオスから誕生した。大地はガイアといった。
現在の科学では宇宙の範囲を超えた世界のイメージとして、5次元ボックスに張られた4次元膜であるDブレーンを与えている。この4次元Dブレーンの世界は、5次元の箱に満たされた虚数的な情報が投影されているというのである。
虚数的であるというのは一種の比喩のようなものであるが、それはつまりカオスということだ。世界にはカオスが満ちている。カオスからの情報を主体が編集して知覚が発生するのだ。
では、自分とは何なのだ。個々の違いは何によるのか。
自分とはカオス? カオスなのだとすれば、個々は虚数水面下的に繋がっているということなのだろうか。ならば、元より個々などなく、全てが個なのではないか。
昔より人の違いは環境の違いといわれてきた。双子がいれば、その育った環境によって性格が変わるというのだ。
「助けは」
長い沈黙の後に静かに口が開かれた。一同の意識が多良部に向けられる。
「助けは、いつ頃になるんでしょう」
「もうそろそろのはずです」
何人かが腕時計に目をやる。予測ではあと数時間といったところだ。空気は重みを持ったままだ。
「きっと大ニュースになりますよね」
「大ニュースどころじゃないだろうな」
神崎が深い溜息をついて体を背もたれに預ける。
「見出しはこうだ。『テーマパーク・LUNA 原因不明の事故』……。警察や研究者でごった返すだろうな、ここは。こりゃあよぉ、企業秘密とかいっていられねえんじゃねえか?」
神崎の悪戯っぽい視線を受けても結城は魂の抜けたように反応を見せなかった。代わりに口を開いたのは、太田だった。
「でもそうなると、私たちは詳しく事情聴取されるでしょうね」
彼らの脳裏には未来の光景が繰り広げられていた。
「でも本当にここで何が起こったんでしょうね……」
多良部の発した問いに太田は考えるところがあった。息をひとつ吸い込むと、結城や雛森の表情を一瞥しながら口を開いた。彼なりに気を遣っているのだ。
「事象計算……。私にはそれが全ての引き金のような気がするんです」
「どういうことだよ?」
「事象計算は、無数の系統樹を俯瞰することができると説明されました。それらの可能性の未来は現実に現れはしませんが、見方を変えればそれは別次元の世界ということもできるわけです。ルナが系統樹を想定しているということは、そうなる可能性が多少なりともあるということです。可能性があるのならば、起こりえるのです」
「で、何がいいたいんだ」
太田の考えを推し量るように耳を傾けていた神崎だったが、お手上げするように椅子に深く腰掛けなおした。雛森はじっとしたまま、結城は所在なげにただ存在していた。
「でもルナが、その別次元の事象に影響を受けたり与えたり……というようなことになるんでしょうか?」
疑問を差し挟む多良部に、正鵠を得たというように太田が頷き返す。
「そのことを考えていたんだ。影響を受けると仮定して話すけど、今回の事故そのものが別次元の世界から影響を受けて起こったものじゃないかと思うんだ」
「そんなことありえるのか?」
「いや、ちょっと分かりません。でも、『ラー』システムが沈黙した原因は未だに分かっていないわけですよね。片桐さんは、これがソフトの問題じゃないかと考えた。それは私もそう考えます。というのは、衝突事故の前に『ラー』システムは停止していたわけですからね、ハードに障害があってシステムが停まってしまったのではないはずなんです。となると、やはり原因はソフトのほうにあると考えざるをえないということになりますよね。そして、ソフト面で――」
「ソフト麺……」
「いや、サイドってことね。しかし、ずいぶん昔のメニューを知ってるんだね。昔は給食っていうのは寂しいメニューだったらしいけどね。まあ、子供が多かったっていうのもあるんだろうけど」
しばらくの静寂。口を挟んだ多良部は恥ずかしそうに縮こまっていた。
「まあ、それでソフト面で原因を引き起こす要素を持ち合わせているのは、やはり事象計算システムだと思うんです」
「でもよお」神崎は懐疑的だ。「ルナの元となった人格ってのがあるんだろ? そいつが原因となってるってのは考えられないのか。なんだ……被害妄想が激しかった、とかよ」
「うーん、でもそう考えると、稼動1ヶ月も無事だったというのが引っかかるんですよね。もし、その基礎の人格が宇宙空間での恐怖を覚えていたのなら、テーマパークとして起動する前に何らかの事故が起きていたはずでしょう。ルナが外側と内側で違う認識を持っているのなら別ですが……」
太田が結城に目をやると、虚ろな視線が返事をよこした。彼ははじめからこの議論には加わりたくないようで、事務的に説明した。
「そういったことはありません。一般的な恐怖は感じますが、自分は機械であると自覚していますから、宇宙空間でも死の恐怖は持たないでしょう」
「……ということです。事象計算に何らかのキーが隠されているというのは、可能性として高いと思うんです。こうは考えられないでしょうか。ルナは系統樹の中で隕石の衝突事故に遭ってしまった。まあ、隕石でもデブリでも構いませんが、とにかく甚大な被害をもたらす事故が発生した。その別次元の事象が、この次元の世界にも影響を与えたのです。『ラー』システムは別次元で完全に沈黙してしまった……。ルナの中で、それがこの次元でも採用されてしまったのです。だからシステムは起動せず、今回の衝突事故が引き起こされたのです」
胸を張ってそう結論付けると、彼は一同の見渡した。多良部は感心したように目を丸くしていた。しかし、結城も雛森も無表情を崩さないままで、太田にとっては肩透かしを食らった気分だった。もう少し賛辞のようなものを期待していたのだ。そんな彼に神崎が追い撃ちをかけた。
「それ、おかしくねえか?」
「……どういうことです?」
心外な面持ちで対峙する。
「だってよ、お前のいう別次元の世界ってのもこの次元の世界とやらと同じなんだろ。つまり、別次元でも『ラー』システムは存在してるってわけだ。じゃあ、そこではなんで衝突事故が起こったんだ? おかしいじゃねえか、なんで『ラー』システムは作動しなかった? 別次元でも衝突は阻止されたはずだ。安全は保証されてるんだろう?」
「あ……」
別次元世界にも『ラー』システムは存在する。その世界でもシステムが破られなければ、事故は発生しないのだ。ならば、その別次元の世界も、その中のルナが想定する別次元の世界に影響を受けているのか? しかし、そこでも同じようなことが問題になる。そうして、問題は無限に落ち込んでいくのだ。太田は反駁する術がないのに気付いて唖然としてしまった。しかし、多良部はいたって冷静にこの問題に解決を見出そうとしていた。
「でも、こうは考えられませんか? 別次元では、ルナは事故で被害を受けたのではなく、何らかの意図的な働きで破壊されたのだとしたら……。たとえば、別次元で何者かが『ラー』システムを破壊した。それが原因で隕石か何かが衝突することになってしまった。こう考えれば、その次元で事故が起きて、さらにそれがこの次元に影響を与えたということができませんか?」
「あのよお」神崎は強かだ。「なんでそう複雑に考えんだ? 別次元がどうとか、影響がどうとかよ。普通に考えたっていいだろ。つまり、あの最初の衝突が起こる前に誰かがルナのシステムをぶっ壊しちまった、とかよ。そっちのほうがよっぽど説得力があるような気がするんだがな」
「でも、だとしても誰が何のために」
「案外あいつ、片桐の奴かもしれないぞ」
結城も含めた一同の視線が神崎に注がれる。雛森もおぼろげに顔を持ち上げて不思議そうに言葉に耳を傾けていた。
「スパイって話じゃねえか」
「スパイなら情報を盗んでいくはずですよ。破壊する意味がない」
太田が反撃といわんばかりに即座に口を挟むと、多良部は新たな手がかりを見つけたようで手振りと共にいう。
「じゃあ、ルナのシステムを破壊した人物がいるとして、その人は誰なんでしょう。この中にいるんでしょうか?」
「もしかすると、片桐さんの死にも関わってくるのかもしれませんね」
幾つかの視線が雛森に突き刺さる。彼女は必死に首を横に振った。何度も何度も。久方ぶりの言葉は喉がかすれて哀れな響きを持っていた。
「私、じゃないです。そんなことしていない」
「事故の前のみんなの行動を検証してみればいいんじゃないですか。片桐さんの事件のときと同じように何かが見えてくるかもしれません。そもそも私は最初の衝突のあったときに頭をぶつけて気絶してしまっていたんで、このLUNAに取り残されてしまったわけなんですけど、皆さんはどういった経緯でここに取り残されたんですか?」
彼は質問しながら自らの胸の中で疑惑が膨れ上がっていくのを感じていた。そうなのだ。何故ここにいる4人、そして片桐はLUNAに取り残されてしまったのか。自分が取り残されたのは、合点の行くところだろう。気絶していたのだから、自らの意志は無視された。脱出は叶わなかったのだ。では、他の者たちは? 彼らも揃いも揃って気絶していたというのだろうか。そうではないだろう。では、気を確かに持っていた者は脱出したいという意志を持っていたのか? 持っていたのならば、ここには残されていないはずだ。
太田の脳裏に疑惑が渦巻く。多良部が口火を切った。
「私は脱出する寸前までいったんですが、お年寄りを先にエレヴェータに乗せたときに、もう入れない状態になってしまって次を待っていたんです。でも、エレヴェータが止まってしまって、結局取り残されることになってしまったんです」
「俺も似たようなものだ」神崎は照れ隠しのためか、頭を撫で撫で話し始めた。「いや、本当にエレヴェータに乗るところまではいったんだが、パニック起こした奴等が後から後から押し寄せて来やがってね。結果漏れ出ちまったってわけだ。今思い出すと腹立たしい話だがな」
「ちなみに2人はどこにいたんですか? 事故が起こったとき」
「俺はL‐4」
「私はL‐2にいました」
「結城さんは?」
「僕は……、L‐6にいました。ちょうどあのシューティングゲームをやっていたところでして。事故が起こってから、あの箱から外に出るのに時間がかかりましてね、結局逃げ遅れた形になりました」
淡々と伝え終えた彼に太田は頷くと、その視線を雛森へと移した。彼女は一度目を丸くして窺うように肩を軽くすくめると口を開いた。
「私は……」
彼女の視線が彷徨う。
「L‐5で、望遠鏡を使っていたと思います。それで……人波に押されて、逃げ遅れて」
太田は彼女に疑いの眼差しを向けた。しかし相手には気取られないように。
――彼女は嘘をついている。
太田はそう自信を持って胸中で呟いた。
事故の起こる直前、太田の背後で見え隠れしていた人影は雛森のものだったのだ。
「片桐さんはどうしていたんでしょうね」
雛森の回答に満足したのだろう、多良部は別の方向に頭を向けていた。
「まあ、情報を盗もうとあちこち走り回っていたんだろうよ」
太田も気持ちを切り替えて、雛森に警戒心を向けながらも会話に加わる。
「エレヴェータは一度上がって降りてこなかったんですか?」
「そうだな。俺も乗り損ねて待っていたんだがダメで、他の所へも回ったんだが、どこも上がったきりだったな。まあ、その途中で仲間を見つけたんだがな」
彼はそういって多良部や結城の顔を見やる。
「ということは、片桐さんもアミューズメント・フロアにいたということですよね。ルナの核はアミューズメント・フロアにあると踏んだんでしょうか?」
太田の問いたげな表情を受けて結城が解説を加える。あまり乗り気ではないようだが、自らのポジションに自覚を持っているのだろうか。
「いえ、ルナの核は全て第1階層の立ち入り禁止区域にあります。おそらく片桐さんはその厳重な防御を避けて比較的警護の薄いアミューズメント・フロアに的を絞ったのでしょう」
「ふふん」神崎が得意げに笑みをこぼす。一同が不思議そうに見ていると、彼は結城を真っ直ぐに捉えていった。「ちょっと考えたんだがな、お前、まさか片桐の奴を監視していたんじゃないのか?」
彼の穿った言葉に結城のみならず驚きの表情が浮かび上がった。
「そ、それは……」
「こう考えりゃあ、納得いくんだよな。お前は片桐を最後まで監視しようと、事故が起こった後もLUNAに留まり続けようという意志を持っていたんだ。片桐ははじめからここに残るつもりだったに違いないな。大勢が脱出すれば人目はかなり減る。救出隊がやってくるまで情報をゆっくりと吟味できるってわけだ」
結城はもう肯定も否定もしなかった。神崎は結城が観念したと感じたのだろう、どうだといわんばかりに相好を崩したが、少し拍子抜けしたようでもあった。太田にはそれはたいした問題に映らなかったようだ。
「しかし、前の問題に戻るんですが、ルナのシステムを破壊した人間はこのLUNAに残ろうとは思わないんじゃないでしょうか」
「どうしてですか?」
「ルナの『ラー』システムを破壊してしまうと、隕石やら何やらが衝突する危険が出るんですよね。そうなると、取り残された人は、運が悪ければ死んでしまうかもしれないんです。システムを破壊した人間が、自分が死んでしまうかもしれない状況に身を置くと思いますか?」
多良部は目を丸くしたが、それが常であるように神崎の表情は釈然としない強張りを呈していた。彼はその理由をこう説明する。
「可能性があるからといって必ず起きるわけじゃない。そいつも、衝突事故が起こることは可能性としては想定していただろうが、実際に起こると考えてたんじゃないだろうよ」
「それはそうですけど、だとするとシステムを破壊する理由がないと思いませんか」
「まあ……それはそうだが」
多良部が突然に立ち上がった。
「実際に確かめてみませんか? ここで話していてもしょうがないですよ。そのルナの中核へ行きましょう。第1階層にあるんですよね?」
問いを投げかけられ、結城は一瞬戸惑ったように彼女を見つめたが、やがて頷いた。
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