25
アミューズメント・フロアに降り立つと、3人は固まって2人の少女の姿を求めた。神崎は雛森による多良部の殺害を危惧していたようだったが、確実に犯人と疑われる行動には移らないという結論に沈黙した。
LUNAは相変わらず世界から取り残されたように静かに存在し続けていた。チューブを降りていく間も、降り立ってからも何か白々しいような内部の雰囲気が太田たちを包み込んでいた。おそらく救助はまだ来ない。しかし、ここに取り残された誰1人として、待つということをしていないだろう。彼らは無限の系統樹の領域の中で、ただただ運命に振り回され、生きていたのだ。
雛森と多良部はL‐4のレストランで葬式めいた顔を突き合わせていたが、3人が戻ってくると2人ともが立ち上がって帰還を迎えた。しかし、雛森は3人の表情を一目見るなり、そこに込められた何らかの思いを読み取ったのか、口をきっと結んで悲しみの表情を結城に向けた。
彼女たち2人は、無言のうちに席に着く男性陣に倣うように口を閉ざしたまま腰を下ろした。男はそのあとも神妙な面持ちで視線を交じらわせることをしなかった。多良部の受けて待つといったような態度とは裏腹に、雛森はそわそわと密かに目を動かして一同の反応を探っていた。
静謐の中に、太田の口から流れ出した音の波が渦を巻き始めた。
「昔、ある子にいわれたことがあります」
4人の視線がゆっくりと集まる。
「その人が、本当にいい人かなんて絶対に分からないってね。そんなこというなというと、彼女はこう返した。その人が本当にいい人だって判断するには、その人がずっと悪いことをしないのを確認しなくちゃいけない。でも、それを確認するということは、その人が死ぬということなんだ。だからこの世にはいい人なんて1人もいないんだとね」
少女2人は、太田の話に虚を突かれたように呆然とするほかなかった。結城はといえば、何かを耐えるようにじっと身を固まらせていた。神崎の、肩の力が抜けた声が太田を追うように上がる。
「いいえて妙だな。その通りだと思うぜ」
彼自身、性悪論者だ。太田のいう彼女とやらに深い共感を禁じえないのだろう。
「私もね、少しは納得しましたよ。無限というものは存在しないですからね。無限を検証しようとすれば、それが有限でないことを確かめなければならない。終わりが見えれば、それは無限ではない。終わりが見えてはいけないのです。しかし、そんなものを確かめることはできない。
「でもね、人は違うと思いますよ。人は1人では生きていない。常に関係性の中で生き続けるものなのです。そこには様々な思惑があり、感情があり、考えがあります。人は人を信じて生きているのです。人が人を信じることができていなければ、人類はとうの昔に地上から滅されていたでしょう。愛は生まれなかったからです。でも、そうじゃない。人は信じることで繋がりを持ってきた。その人がいい人なのか、悪い人なのか、決めるのは観察による確認じゃないと思うんです。ただそれは偏に心に関わってくる問題なのです」
太田は多良部を見た。
「だから、ある1人が責め咎められても信じてくれる人がいる。でも、残念なことに人を陥れる人もいるわけです」
「もういいよ」
俯いていた雛森が静かに声を上げる。多良部は驚いて、他は半ば予想したように彼女を見た。雛森は一同の顔に視線を走らせると、どの顔にも目を向けずに呟いた。
「そんな目で見ないでよ。私、結城さんを助けたんですよ」
「助けた?」
「片桐さんは、ずっと結城さんの様子を窺ってた……。そして、ことあるごとにルナに対する推論を述べては結城さんの反応を盗み見ていました。明らかにルナの情報を引き出そうとしていた。そこに来て、あの不正回線の接続。私は確信したんです。あの人はスパイなんだって。だから、私結城さんが情報を盗まれて責任を問われてしまわないように、あの人を殺しました。私あなたを守ったんですよ」
雛森は訴えるように結城を見た。結城は目を合わせようとしない。彼はいう。
「何故殺してしまったんだ……。情報を盗まれても、それで終わりじゃないんだ。取引をする手だってあった。一般の人々の知らないところでは、そうやってお金が動いているんだよ。殺す必要などなかった。若い君に残りの人生を棒に振ってはほしくなかった」
「どうして……。あなたのことを思ってやったのに。どうして褒めてくれないんです?」
結城ははじめて彼女を正面から見据えると、静かであるが厳しく尖った言葉を向けた。太田と神崎と多良部は設置物のように息を殺していた。
「命を奪ったことが褒められることだと思っているのか?」
「だって、私はあなたを……」
「どんな〝揺らぎ〟が君をそう動かしたんだ。君は、どうして……」
「あなたのためになりたいと思ったのに……」
彼女はそう搾り出して両手で顔を覆った。嗚咽が漏れる。肩が震えている。
「話してくれればよかった」
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