24

 L‐4と灰色に縁取られた巨大な文字が白い壁に浮き上がっている。先ほどのエレヴェータ・ホールとは隣り合うホールだ。第1階層はだいたいアミューズメント・フロアの半分ほどの規模になっている。

 エレヴェータのドアが開いている。1メートルほどだったが、口を開けた向こうに暗い奈落が待ち構えている。太田は近くへ歩み寄って、ドアに手をかけて覗き込んだ。

「決まりだ」

「何が」

「犯人が、です」

 神崎を真っ直ぐと見据える。太田はそうしてホールの中央付近までゆっくりと歩を進めた。その足取りは確固とした意志を感じさせるしっかりとしたものだ。

「このエレヴェータの下はL‐4です。レストランのエリアですね。犯人はこのエレヴェータ・チューブを移動手段として使ったのです。これを使えば、私のいたL‐5をスキップしてL‐6へと到達することが可能になるというわけです。うまくこのLUNAの構造を利用したということです」

「まずよ、犯人の名前をいえよ」

「ダメですよ。ほら、推理小説の中じゃ、犯人の名は一番最後に告げるんです。それに、この事件は単純です。よく考えれば、犯人足りえるのはたった1人だけなのです。

「さて、今回の事件、片桐さんの遺体の状態からいろいろなことが推察されます。彼女はスパイ活動のために常に警戒していたらしい。そのために彼女は腹部を刺されていました。しかし、彼女の倒れるすぐそばにサイバー・ダイブが投げ出されていた。これは、彼女が、犯人が近付いて来るまでその存在に気がつかなかったということになります。警戒していたにもかかわらず、彼女がどうしてそういった状況に陥ったのか」

 神崎は答えをなぞるように人差し指を立ててそれをくるくると回している。

「そりゃあ、あれだ、あいつも神経を相当集中していたんだろうよ。なにしろスパイ対象の核に近付いているんだからな、精神も興奮していたんだろう」

「んー、まあ、それもあるでしょう。しかし、もっと重要な意味が隠されていたんですよ。片桐さんの倒れていた場所はごくL‐5よりのところでした。エレヴェータはL‐6の真ん中にあります。片桐さんとしては、L‐1側は閉鎖されているので、そちらの方向から人がやって来るとは、まず意識の中に微塵も可能性を考慮していなかったことでしょう。彼女の意識は常にL‐5側に向けられていた。私がL‐5に入って彼女の名前を呼んだときも、彼女は即座に顔を現しました。ですが、ゲーム機の陰に隠れたままで通路まで完全に身をさらすことはありませんでした。それが、今思えばスパイ活動をしていたということだという証だったのでしょう。つまり、彼女はL‐1側からの人の気配に疎かったのです。しかし、犯人はそこを突いてか突かずかL‐1方面のエレヴェータからやってきた。片桐さんはだから犯人がそばに近付いてくるまでその存在を把握することが出来なかったのです」

「んー、まあ結果論みたいなところがあるかも知らんが、確かにそうだな」

 神崎の評論家然とした口調には気にも留めない。太田は今自分が真相へのアプローチをしていることにある種の快感を感じてさえいた。

「彼女の遺体は、だからサイバー・ダイブのそばで倒れていたんです。もし、いち早く人の近付くのに気付いていたのなら、作業しているところから少しでも離れた場所で倒れていたんじゃないかと思います。

「彼女はレストランの厨房で使われていた包丁で刺されていました。レストランはL‐4にあります。エレヴェータもL‐4から登ってきます。ここにも犯人の行動が読み取れます。犯人はL‐4の厨房で凶器を入手した後、近くのエレヴェータからチューブを通ってL‐6に到達しました。犯人にしてみれば、凶器の調達と殺害現場までの移動がほとんど同じ区画で可能となるので、一石二鳥ともいえるでしょう」

「まあ、今回は一石で一鳥だった……がな」

 神崎は茶化していったが、やはり居心地の悪いようで声をフェイドアウトさせた。結城は先ほどからずっと沈黙していた。その表情からは読み取れるものが一切ない。まるで仮面を被ったようだ。

「さあ、このL‐4に踏み入る機会を持ったのは一体誰でしょうか」

「まあ、お前は確実だよな。あとは誰だ?」

「事件発生当時の全員の行動を見てみれば、一目瞭然でしょう。その前に私自身についていいわけしたいですね。私が犯人なら、わざわざエレヴェータ・チューブを使わないでしょう」

「それはお前ずっといわれてるがよ、裏を狙ったって見方ができるんだよ」

「そう」太田は笑いながら神崎を遮った。「そうです。まあ、ちょっといってみただけです。さて、行動を見ていくと、L‐4に行く機会を持っていたのは3人であったことが分かります。自分としては外したいのですが、私と、沙羅ちゃん、芽衣ちゃん。この3人なのです」

「考えられない」

 結城がはじめて口を開く。首を振りつついうその姿は、むしろ認めたくないというようなニュアンスが込められていた。その声がくぐもった小さなものであったのと、太田自身が意図的に無視したために彼の発言は取沙汰されることがなかった。

「理由を解説していきましょう。まあ、私はさっきもそうだったように説明するまでもないでしょう。沙羅ちゃんがL‐4に行く機会があったというのは、私のところへやってきたことからも明らかです。問題は犯行の時間があったかというところなのですが、ここに芽衣ちゃんの行動が関わってくるのです。沙羅ちゃんと芽衣ちゃんがL‐3で分かれて別行動を取り、その後合流するまで、2人はアリバイ証言を持っていません。ここで、2人のうちどちらかが嘘をついている可能性が出てくるんです。沙羅ちゃんは本当に、私のいたL‐5から真っ直ぐL‐2へと向かったんでしょうか。芽衣ちゃんにしても沙羅ちゃんがL‐5へ向かった後、その場に留まっていたのでしょうか。鍵となるのは、L‐2で2人が結城さんたちに事情説明をする際、沙羅ちゃんが先に映画館に着き、その直後に芽衣ちゃんもやってきたということです。沙羅ちゃんがL‐2に行くためにはL‐3を通らなければならない。L‐3には、しかし、芽衣ちゃんがいたはずです。ということは沙羅ちゃんがL‐2に行くには芽衣ちゃんと顔を合わせなければならないということです。しかし、彼女たちの証言はそれに触れられていませんでした。つまり、沙羅ちゃんがL‐3を通ったとき、芽衣ちゃんはその場にいなかったということなんです。彼女は、沙羅ちゃんのあとにL‐2にやってきました」

 神崎は固唾を呑んで太田の口元を見守っていた。結城は明後日の方向を見据えて、あたかも無関心を装っているようだった。

「つまり、芽衣ちゃんは沙羅ちゃんと合流する前、完全に1人の時間があったということなんです。そして、その時間は実は片桐さんの亡くなったであろう時間と一致しています。乾いた血の問題から、その時間が5時から15分以前ということは明白でした。彼女は、4時20分過ぎから40分までの間アリバイがないのです。15分以前という要素がそこには含まれているのです」

「てえことは……」

 太田は力強く頷いた。

「犯人は彼女です」

「だけどな、なんであの芽衣ちゃんが人を殺そうとするんだ?」

「詳しく動機を探ることは出来ません。ただ、殺意を抱かせたきっかけはなんとなく想像はできますね。鍵は、犯人である彼女が片桐さんを狙うのに真っ直ぐとL‐6へ向かっていることです。彼女がそれを知ることが出来たのは、ルナの回線状況の記述を見たからなのです。もしかすると、それを見たことが彼女に殺意を抱かせるきっかけになったのかもしれません」

「もう、本人に聞くしかねえな」

 俯きかけていた太田の顔が真っ直ぐと据えられる。その目は漆黒に澄んでいた。

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