23

 摩擦は消滅し、太田の体は滑るように進む。ぐんぐんと光が近づく。

「おい!」

 チューブの中に神崎の声が響き渡る。びりびりと鼓膜が震える。彼が追ってきているのだ。続いて結城の気配も伝わってくる。太田は振り向くことなく上を目指していた。

 程なく緩やかな追跡劇の末、太田はだいいち階層のエレヴェータホールに立っていた。エレヴェータの扉はあらかじめ開かれていた。だから苦労なくホールに足をつけることが出来たのだが、不可解な気持ちは拭いきれなかった。

「何故……」

「おらあ、やっと追いついたぜ!」

 扉を大きく開けて神崎が躍りだしてくる。結城もすぐ後ろに控えていた。太田はその2人の姿を前に後ずさりした。何か口元に言葉にすべきものがあるはずだった。太田は胸中の判然としない意志を測りかね、口をもごもごとさせていた。

「ま、待ってください」

 かろうじて口をついたのは、そうした情けのないおどおどしたものだった。神崎の吐き捨てるような笑いがホールを響かせた。

 水色の照明が円形の壁面に張り付いている。装飾的なそれらの照明が機械的な印象を与える。ホールの中央にはインフォメーションボードが光を放っていた。ホールからは2つの通路が出ていた。広い通路が開放感を持たせている。

「ハッ、ここまで逃げときながら待ってくださいとな! でももう逃げ場はねえさ。まさか宇宙空間に出ようってんじゃないだろう」

「さすがに今度ばかりは失望しましたよ」

 結城が歩み出ていう。蔑むような視線が太田の胸に突き刺さった。

「あなたはそうやって自らの罪を認めるというのですね。僕としてはもっと理性的な最後を予想していたんですがね……」

「ち、違うんです……。何か、何かが頭の中に引っかかって……」

「こっちとしては、もうお前で決まりって感じなんだがな。いちいち逃げ出しやがって、手間取らせんな」

 神崎が太田に歩み寄る。太田は現実逃避した瞳をぼうっと前方に向けた。今しがた抜け出てきたエレヴェータドアが見える。

「そうだ、分かった!」

 唐突な太田の爆発音に神崎は全身をびくりと硬直させた。怪訝な神崎の表情とは裏腹に、太田はどこか清々しささえ感じさせる面持ちだった。

「な、なん、急になんだよ。おい、びびらせんなよ」

 神崎は少し動揺した様子で口元を歪ませていた。実際のところ、警戒心を隠していたのだろう。

「その前に」

 神崎の隣まで近づいてきた結城が手振りを交えていう。落ち着き払った様子で、後方のエレヴェータを指している。太田は、結城が自分の発見を無視しているのかとも思ったのだが、先ほどまでと違い太田に対する敵意のようなものが薄らいでいるのに気付いて、おやと首を捻った。

「エレヴェータがアミューズメント・フロアに下りていたことについて詳しく考えなければいけませんね。あれは上、すなわちここ第1階層にあったはずです。だから僕たちは上に上がる手段を持たなかったんです。それがどうです、何故下にエレヴェータが降りていたんですか?」

「い、いや、よぉ」神崎は戸惑うままに結城を振り向く。その目は困惑に揺れ動いている。「今は、よぉ、こいつをどういう風に……」

「それはちょっと待ってください。なにかおかしいんです」

「おかしい?」

 太田は早く話題を誘導したくてうずうずしている。身を乗り出して口を開く。

「いや、そんなことより、この事件の真相がですね――」

「太田さん、すいませんがそれも後回しです」

「なっ!」

 太田は一瞬の内に頭に血の上るのを実感した。いかに反抗してやろうかと算段している間に結城は先を続けていた。

「このLUNAで一体何が起きているのか……。どうやら何か裏がありそうです」

「裏?」

「ええ」

 結城はふらふらと足を運んでインフォメーションボードの基部に掌を滑らせた。表示される情報は一定時間で自動的に他のものに切り替わるが、操作盤で任意に切り替えることもできる。今はLUNAの全体像が表示されている。結城の目はそこへ注がれていた。青を基調とした光が角膜に輝きを照らし出している。

「ひとつの仮説を考えてみたんです。2回目の衝撃についてです。あれは外部からのものではなく、内部から発生したものじゃないでしょうか」

「内側から? 一体どういう」

「僕が考えたのは、エレヴェータの落下があの衝撃になったのではなかったかということです」

 神崎は半信半疑だ。頭を掻き掻き釈然としない様子である。

「でもよ、エレヴェータが落ちたからってあんな揺れが来るか? あれは、かなり揺れたぞ」

「うーん」結城自身もこれには不安を隠せないようだった。口を歪めて唸っている。「確かに、実際エレヴェータが落ちるとどれくらいの衝撃があるのかは分からないんです。でも、そう考えるといろいろなことが説明できるんです。上に行っていたはずのエレヴェータが下に来ていたこと。エレヴェータが完全に停止していたこと。これは、リニアが消失して箱が落ちてきたのだと考えられます。次に、あれほどの衝撃があったにもかかわらずどこにもダメージがないということ。これもエレヴェータが落下しただけなので、被害は表に出なかったということができます」

 太田はこの仮説に1から10までの肯定を示すことは出来なかった。もちろん、論理的な考えの上でのことだったが、その陰に今までの冷遇に対する敵意が見え隠れしていたことは否定できない。

「幾つか疑問がありますよ、それは。まず、エレヴェータが完全に停止していたとしたら、もっと早く箱が落ちてきていると思います」

「2回目の衝撃の直前に停止したんですよ」

「だとするともっとおかしなことになります。最初の衝撃のとき、エレヴェータは完全に停止してしまっていたので、私たちはここに取り残されてしまったんですよ。リニアの消失がイコール箱の落下となるわけですから、最初の衝撃のあとに箱は落ちていなければいけないわけです。それに、仮に2回目の衝撃が箱が落ちたことによるのなら、リニアが消滅した原因は一体なんなんですか?」

 結城は太田には答えず、ただ肩をすくめるばかりだった。太田はそれを降参の仕草と見て、僅かながらの優越感と共に先を継いだ。

「もうひとつは、箱が落ちたのにしてはエレヴェータの中が全く無傷ということです。照明が割れていなかったり、壁面に歪みが出ていなかったりと、平常と全く変わっていませんでした。これは箱が落ちたのだということに疑問を起こさせるに充分じゃないでしょうか」

「でもお前、じゃあ何でエレヴェータは下にあったんだよ?」

 神崎の的確な突っ込みに2人は同様に沈黙してしまった。彼は太田に顔を向けて苦笑いした。

「それにしてもよ、お前ここまで冷静に反論できるなら、なんで逃げたりしたんだよ。さっきだっていいくるめたり出来たんじゃねえか?」

 覗き込んでくる神崎を視界から排するように太田は顔を背けた。太田は吹っ切るように口を開いた。先ほどいいかけた事件の真相についてだった。

「そんなことより、何故アミューズメント・フロアと第1階層のエレヴェータ・ドアが開いていたのか。何故エレヴェータの上部ハッチが開いていたのか、ですよ」

「ああ、俺も気になった。だから驚いたんだが。こっちの扉も開いてたのか?」

「ええ。問題は何故開いていたかです。脱出した人がパニックを起こしていたのなら、省みてわざわざエレヴェータの扉を手動で開けるようなことはしないでしょう。ということは、人々が脱出したあとに扉が開けられたということです」

「お、おいおい……」

 神崎が一歩後ずさって怯えた顔を歪めた。頬が痙攣している。

「気味の悪いこというなよな。エイリアンとかがいるってんじゃねえだろうな。それとも、あれか、昔あった、宇宙ステーションで死んだはずの人間が出てくるって映画みたいなやつか? 他に誰かいるってんじゃないだろうな」

「誰かがいるということよりも、もっと説明のつくことがありますよ。それが今回の事件に関わってくるんです」

「そうか」

 結城が得心したように推論の横取りを始めようとしたが、太田はいち早くをそれを阻止した。自分の見せ場くらいは確保しておきたいのだ。

「まず大切なのは、これから話すことが、エレヴェータが下にある状態でなければ成り立たないということです。それは、エレヴェータの上部ハッチが開いていたことに関係してきます。結論からいえば、今回の事件の犯人はこのエレヴェータ・チューブを使って殺人を決行したのです」

「マジかよ」

 もはや神崎も言葉の先を捉えたようで半信半疑ながら耳を傾けていた。

「今からこの仮説を確かめようと思います。これが確かなら、ここのエレヴェータドアと同じように開いているはずです。そして、そこがどのエリアに繋がっているかで犯人は決定的となるのです。もっとも、私には犯人の目星がついていますがね」

 太田の瞳に怒りの炎が宿る。それも当然のことだ。彼は犯人に陥れられたのだ。今度は反撃のときだ。

「行きましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る