22

 気がつくと太田の体は大きくキックバックして後退していた。

「あ!」

 という叫びも意に介さず彼は血走った目を4人に向けた。

「俺は犯人じゃない! 分かってるんだ!」

 彼はそう怒号を発しながら後退していく。

「まずい、何をするか分からない!」

 結城が数歩前に躍り出た。右手を横に突き出して後ろの3人を庇うようにしている。

「俺は殺してなんかいないんだ!」

 太田はがなりたて、くるりと身を翻した。そうして駆け出す。しかし、その先はL‐1、すなわち行き止まりだ。

「よし、神崎さん、この先の行き止まりで彼を抑えるんだ! 行きましょう!」

「よっしゃ、分かった」

 神崎は大きく頷くと腕まくりして先立って床を蹴った。その目はばっと見開かれ、先を行く太田の姿を捉えて放さない。神崎の背中を一瞥して振り返ると、結城は掌を2人の少女に向けた。

「君たちは離れていて。なるべく2人固まっているんだ」

 呆然とする多良部を抱きかかえるようにして雛森は力強く応えた。

「分かりました。気をつけて!」

「大丈夫、相手は武器も持っていない。2人でかかればなんてことないさ。さ、行って」

 2人してL‐5の方へ駆けていくのを結城は見守った。数秒の後、彼も神崎を追った。視界の中に順に姿の小さくなっていく2人の男が映る。


「待てや!」

 背後から近づく声に太田は背筋をぞっとさせた。

 ――ダメだ。捕まってはダメだ。またあそこへ逆戻りだ。くそったれ!

 普通に歩く分には気のかからない湾曲した床が今はひどく奇妙な感覚を彼に与えていた。まるで夢の中を進むように思えたのだ。彼の視界の中で巨体をうずくまらせたゲーム機が後方に流れていく。エリアは大きく2つに分かれる。分断する中間点にエレヴェータはあった。もうこれ以上先へ進んでも行き止まりだ。追ってくる2人によって袋の鼠だ。彼の視線が無意識的にそちらに向いたのもごく自然なことだった。しかし、彼の顔には驚きが張り付いた。

 エレヴェータは、駆動する箱とそれが顔を出す口とに扉がついている。その後者の扉が少し口を開けているのだ。太田は全身に鳥肌が立つのを感じていた。足は、それしかないというようにそちらへと動いていた。細く開いた扉が近づく。中から照明の光が漏れ出ているのが見える。後方の神崎は足が遅いのか、多少距離が開いていた。それでも十数メートルだ。神崎の息遣いが聞こえるのは、幻か。先へ先へという意識だけが体を突き抜けて、もどかしさが太田を襲う。

 右の指先が扉の隙間に入る。続いてその一瞬後に左の指先も隙間に吸い込まれた。両腕に力が込められる。しかし、扉は思いのほか軽く、一息に開かれた。立ち止まっていた時間と共に神崎と結城が迫っていた。鬼気迫る表情が鮮明に写る。太田は箱の中に飛び退った。結城の驚いた顔が神崎の肩越しに見える。神崎は必死の形相で太田に手を伸ばしている。扉を閉めるには時間がない。太田は箱の奥へと背中をつけた。逃げ場がない。

「自分で牢屋に逃げ込むとは律儀な奴だな!」

 豪快な笑いと共に神崎の両手が入り口を塞ぐように広げられた。このまま扉を閉めるつもりだ。後ろから結城の支持する声が届く。

「早く閉めてください。何をするか分からない!」

「分かってるよ!」

 神崎は振り返らずに答える。そして大きく息を吸い込んで扉を掴んだ。

 ――まずい。しくじった!

「地上に戻るまでそこで大人しくしてな!」

 太田の手が神崎に伸びる。閉めさせてはダメだ。神崎の口元に嘲笑の歪みが立ち現れる。結城が彼の背後に到着した。早く閉めろと急かしている。神崎の親指の爪の中が白く変色するのが見える。ごつごつしたその指。指の背には毛が生えている。

 しかし数瞬の後にも扉は閉められなかった。太田は、ふと神崎の表情を盗み見た。その視線は太田にではなく、彼を通り越して箱の中に注がれていた。そろりと後ろを振り返る。箱の上部、ハッチが開いている。結城が何やらを叫んで神崎の背後から腕を伸ばす。しかし、呆然としている神崎がその行く手を阻んでいる。太田は急転進してそのハッチに飛び掛った。

 見上げる。暗いエレヴェータチューブが伸びている。点灯するオレンジ色の光点が続き、数十メートル先に明かりが見える。トンネルの向こうのその光が太田には安住の地のように思えた。体が筋肉を収縮させて動き出すのには迷いはなかった。

 そして――、

 彼は、暗い管の中を、突き進んだ。

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