20

 冷厳なる瞳に、結城は多少の動揺を見せた。その隣、結城が守るようにしていた多良部が2人の様子を窺っていた。

「結城さん」太田は踏み出さずに留まっていた。「私はあるものを見たんです。それはあなたも見たはずの、モニターに映し出された記述。『Now connecting. L-6 Line illegal』というものです。私はL‐5から戻る途中、あなたに会った。そのときのあなたは急いでいるようだった。何故なら、この記述を見たからです。あなたはL‐6に向かい、そしてそこで亡くなっている片桐さんを発見した。そこまでは何の問題もありません。でも、あなたは片桐さんの死を前にして、『Line illegal』と記されていた回線を断った。私の目の前であの表示が消えたとき、その場にいなかったのはあなただけだった。つまり、あなたは片桐さんの死よりも、回線の断絶を重要視していたということになる。これは一体どういうことなのか、説明願えませんか?」

 結城の動揺は凄まじかった。彼は一歩後ずさりさえし、威嚇するような眼差しを太田へと向けた。結城の背後にいた多良部が歩み出てくる。2人が彼と対峙する。緊迫に張り詰めた空気が支配する。誰1人動きを見せなかった。耳を澄ませばLUNAの律動するのが聞こえる。ふう、という溜息が結城の口から漏れ出る。それが緊張を拡散させた。

「分かりました。お話しましょう」

 肩を張っていた2人だったが、一息つくと結城の一挙手一投足すら見逃さないように彼に目を向けた。結城はポケットからあの端末機を取り出した。

「それは?」

「サイバー・ダイブというサイバー領域の侵入を可能にする機器です。簡単にいえば、コンピュータ内に侵入して情報の操作を可能にするんです」

 端末はパスポートサイズの薄く黒いものだった。結城は縁のボタンを押すと、端末を開いた。開いた2つの面は両方ともモニターになっている。一方はモニター、もう一方は操作盤になる。何かのロゴが表示されると、待機画面となる。明るいモニターが照らし出している。

「ここに不完全遂行されたタスクがあります」結城は端末を易々と操作すると、表示した画面を2人に向けた。「ここに今日の日付があります。時刻はつい先ほど」

 英語表示された項目。その中に確かにこの日時である「03/02;16:56:02」とある。2月3日の午後4時56分2秒という意味だ。そのときに不完全のまま終了されたタスクがあるというのだ。

 太田は考えを巡らせていた。片桐は4時20分より10分ほど前からL‐6にいたはずだ。

「その前にちょっと聞きたいんですが」太田が断りを入れる。「私たちが片桐さんの亡くなっているところまで駆けつけたとき、血の状態から死後15分とされたわけですよね。そのときは4時頃だったと思います。その表示はその4分前です。何か辻褄が合わないような気がするんですが」

「おそらく片桐さんが亡くなった後も回線は繋がったままで端末は動いていたのでしょう。一番はじめにルナの回線状況の記述に気づいたのは沙羅さんでした」

「ええ。私が気付いたときにはもうすでに記述がなされていた状態でした。だから、思いのほか長い時間接続されていたのかもしれません」

「片桐さんは小1時間もL‐6にいながらなかなか回線を繋げなかったことになりますね。何故こんなに時間がかかったんでしょうか?」

 太田の問いは結城にとって容易な問題だったようで即座の回答が寄越された。

「片桐さんはL‐6のゲーム機の回線を侵入の手口として選んだと思うんです。他にはこのような、開くことのできる回線はありませんからね。ただ、この回線は厳重に防護されています。それを破るのに時間がかかったのでしょう。至極もっともな理由だと僕は思います」

「彼女がL‐6を選んだのはそういうわけだったのか。それで、あなたはその回線の切断を第一に考えていた……」

 結城は少し俯いて、2人の視線から逃れるようにしていた。

「彼女は」顔を上げると同時に口を開く。「いってみれば企業スパイなんです」

「スパイ!」

 太田と多良部が同時に叫んだ。

 かつてニコラ・テスラの提唱した「世界システム」。光ネットワークによる完全無線網は発達する通信技術によって実現された。これにより、情報の波は超高速で広がることとなった。高難度の暗号技術の開発もその実現を助長した。しかし、やはりその暗号を突破する人間たちも存在しており、企業はその対応に追われている。

 その中に、情報の波に翻弄されない〝本物の〟情報というものがある。それをターゲットとしているのが企業スパイと呼ばれる隠密者たちだった。

「僕は、このLUNAを生み出したジェネシス社の者です」

 ジェネシス社。科学技術の発達を実現するシステムを精力的に開発する巨大企業だ。

「ジェネシス社の会長、長田響氏といえば、科学分野に対して相当の見識を持っているというので有名ですよね。彼の私設の研究機関があるという噂も聞いたことがあります。だから、その情報について敏感というのは確かに納得できる」

 太田の頷くのとは反対に結城はゆるゆると首を振っていた。

「スパイというと、皆さんそういった裏の事情を想定するのですが、実際には日常茶飯事なんですよ。インターネットの発達しだしたその前からもそういったものは多数ありましたし、他の企業の動きを知るには不可欠な存在でした。情報課とでも名づけていいほどで、実際そういった表立った形で情報を扱っているところもあると聞きます」

 2人はじっと結城の言葉に耳を傾けていた。

「片桐さんはドイツのフォートシュリット社のスパイでした。彼女はこのルナのことを調べているようだった」

「ルナというと、AIのほうですか?」

「ええ。だからこそ、今回のようにLUNAのシステムに侵入したんでしょう。ルナには企業秘密を詰め込んだ技術が凝縮されていますから、それを狙ったと見えます」

「だから、不正回線を切断したんですね」

 多良部が納得したように彼の意図を汲んだ。結城もそれに首肯したのだが、太田は未だに攻撃的な姿勢を崩していなかった。

「しかし、それでも片桐さんの死よりも優先させたという理由にはなっていない。こういっても穿ちすぎではないでしょう、私にはあなたがとても疑わしく思えるんです」

「考えてみてください」結城の反駁は素早かった。「たとえ僕が片桐さんを手にかけたとしても、その後で回線を抜くというようなやり方で自分に疑いを向けさせるようなことはしません。あえて容疑の圏内には入ろうとはしませんよ」

「それは私にしても同じことじゃないですか?」

 太田の目は鋭く結城に向けられていた。彼はこうして現状を打開しようというのだ。太田は畳み掛けた。

「あなたには彼女を殺す動機があったということです」

 結城は驚愕していた。多良部にしても予想しえなかったことと見えて、目を丸くして太田を見つめていた。その動く唇を見ていた。

「なにも飛躍したことではないと思います。自社の秘密を盗まれようとしていたところで、それをなんとしても死守しようとしたのです」

「太田さん、あなたが私をそこまで追及しようとしているのは、あなたをこのような状況に追い込んでしまったためだと思います。あなたはご自分が犯人でないと主張しておられるからそうおっしゃっているのだと思います。しかし、それは飛躍のしすぎというものです。ここはすぐに出入りできるような場所じゃない。彼女としても情報を手に入れたからといってどこかに身を隠すことも出来ない。私なら、彼女から情報を奪い返すだけにとどめるでしょう。彼女にしてもスパイ活動を白日の下に曝そうとは自ら進んでしないはずです」

「そういうことをいってるんじゃない!」

 太田はついに胸の中に渦巻く激情を噴き出させた。突然の空気を裂く大音声に結城と多良部の2人は呆気に取られてしまった。今までの穏やかだった太田だ、彼の怒るさまが動揺を与えたに違いない。

「どうしてなんの吟味もしないで私を閉じ込めた!」太田はいくらか落ち着きを取り戻していたが、口をついて出るのは怒りの炎だった。「あなたたちは私が犯人であると決め付けた。私は今、あなたを動機という正当な面から犯人と疑わしいといった。だったら、あなたのほうが閉じ込められるに足る要素を持っているということじゃあ、ありませんか」

 結城は息をひとつ吸い込むと、極めて冷静な口調でいった。その様子は立て籠もり犯を刺激しないように説得する交渉人のようであった。

「僕たちだって、なんの理由もなしにあなたが犯人だといったつもりはありませんよ。あなたは、まさに状況から見て物理的に犯人である要素を持っているんです。凶器を手にする機会、片桐さんへの接触の方法……。その2つをもっているのはあなただけです、違いますか?」

 太田は黙ってしまった。そうなのだ。彼は結城が犯人と思わしい証拠を手に入れ、勢い勇んでいた。目の前にぶら下がった大きな光に眩み、もっと手前の光源を完全に失念していたのだった。結城はさらに続けた。

「動機を持つ人間と殺害の機会をもつ人間の2人がいるとして、どちらが犯行をすることが出来ますか? 動機だけでは人は殺せない。動機がなくても機会があれば人は殺せるんです。それがあなたなんです。状況が物語っている」

 太田は結城の右手を一瞥した。1メートルほどの細い棒が握られている。一瞬彼は殴り倒されるのではないかと身を縮ませたが、ふと思い直して扉の構造を思い出していた。

 ――素直に軟禁に甘んじていた自分が馬鹿だった。これじゃあ自分が犯人だと公言しているようなものだ。

「その2つの要素を持つ人間がいるはずです。動機と機会を持つ人間が」

「動機は隠し持つことが出来る」

 結城は徹底的に太田を排する姿勢のようである。

「私は犯人じゃない」

 結城は黙っている。多良部もまた。

 静かな中に時間が過ぎていく。太田の中にちらりと狡猾な思考が頭をもたげた。

「僕も犯人ではありません」

 2人はこうして互いが犯人であると明言していた。

「たとえ私が犯人でないとして、結果、本当の犯人が誰かを手にかけたとしたらどうするんですか?」

「そういった結果論はどうにもなりません。時は歩むべくしてその道をゆくのです」

「見殺しにするというのですか? 今、神崎さんと芽衣ちゃんはどこに? あの2人のうちどちらかが犯人だとしたら、どうするのですか?」

 連続する疑問符に結城は何かを思い出したように表情を厳しくしていった。レストランの入り口を通ったときの雛森の顔がその歪みの発端であったのだろう。それは見様によっては口論するようでもあったのだ。

 結城は意を決したように駆け出した。太田と多良部も後を追う。

 太田はほくそ笑んでいた。誰が犯人なのか分からないのなら、彼が背を向けたこちら側に犯人がいるという可能性もあるのだ。それに、神崎か雛森が犯人であったとしても、殺害を決行すればすぐに露見してしまう。太田が犯人と疑われた上に軟禁されているという事実に、真犯人ならば乗じようとするだろう。太田を犯人と思わせたままにしておくのが一番安全なのだ。

 ――それに。

 太田は、推理小説的性質を持つ事件であろうと推測した結城たちを皮肉った。

 ――次の殺人が起こるという可能性があると決まったわけではないのだ。

 結城たち自身が、そういった推理小説的趣向に囚われていたのだ。

 太田は枷を外された囚人のようにLUNAの通路を踏み出していた。

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