19
扉は数十センチほど開けられているだけだった。その隙間を通して太田と多良部は見つめ合っていた。愛の視線の交差ではない。そこには隠しきれない驚きと衝撃が秘められていた。
「回線の切断のほうが重要だった。これが何を表すかは分かりません。でも、多分結城さんは何かを隠していると思うんです。誰にも知られたくないような何かを」
「何を」
多良部は黙って首を振った。太田は別の問いを発した。
「イリーガルな回線というのはどういうものだったんだろう」
「私もそれは気になっていました。それに、あの衝撃のあとの片桐さんの行動は、なんというか、突飛なものだったような気がするんです。たぶん違法回線を繋いだのは彼女だと思うんです」
「犯人という可能性は?」
「ありますけど、回線状況が記されたとき、その場にいなかったのは片桐さんと太田さんだけでした。どちらにしろ、何故L‐6だったのか。あそこじゃなければダメだったんでしょうか」
2人して考え込む。少しして太田の呟くのが聞こえた。
「単純に考えれば、回線を繋ぐためだと思うけど。そして犯人にとっては彼女がL‐6にいたからこそ、そこを狙った……」
「でも」もどかしげに首を傾けて多良部はいう。「いたからこそ、というには状況が状況ですよね。何しろ、L‐6に行くにはL‐5を通らなくてはいけない。でも、そこにはあなたがいた」
多良部は、あなたというところに深い抑揚をつけて話した。太田はその機微に気が付かないようで、ただ困惑していた。彼はその口を重々しく開いた。
「衆人環視の密室というのが小説にはあるけど、まさか自分がその部品になるとは思ってもみなかった」
「大丈夫ですよ」多良部の繕ったような明るい声。「そういう小説じゃ、絶対に裏があるんですから」
「結城さんは、俺がその裏を穿っているといっていた。君も聞いただろ? この殺人は多分衝動的なものだ。そこに密室のトリックを滑り込ませるなんて考えられない」
やや投げやりなその言葉に多良部はしゅんとしてしまった。彼女にしてみれば、太田を元気付けようという心積もりだったのだろうが、裏目に出てしまったのだ。しかし、彼女は気を取り直して尋ねていた。
「どうして衝動的なものと思うんですか?」
「明白なことだよ。いいかい、今俺たちがここに取り残されているのは原因不明の事故のためだ。必然的に巻き込まれるものじゃない。とすれば、今ここにいる面々は偶然にして揃ったということだ。偶然に計画を適用することは出来ない」
太田はそうして自らにかかる縄の拘束を強めていった。そうして悪い未来を想定し、それが破れたときの安堵感を高めようという無意識の働きだ。しかし、多良部にはそういったメカニズムは知識の範疇外だったようで悲愴の視線で太田を射た。
「この事故って、本当に偶然に起こったことなんでしょうか?」
多良部の発した問いは太田の胸の内を揺さぶった。
「ど、どうしてそう思う?」
平静を装うが、声が上擦ってしまう。しかし、太田にとってそんなことは路傍の石に付着した細菌のようなものだ。取るに足らない。
「だって、偶然にこの事故が起こったのなら、結城さんや片桐さんがいっていた宇宙のゴミとか隕石がこのLUNAにぶつかって、それだけのはずですよ。原因を探るまでもなく目で見て分かるはずです。でもそうじゃない。実際には、今までほとんど何も分かっていない」
「うん」
「まず『ラー』システムが作動しなかった。そして、2回の衝撃の内、2回目のほうが大きかったのに何の被害も出ていない。そして、さっき太田さんがいっていた、外殻に何のダメージも見られないこと。こんなに不可解なことがあるんです。私にはただの事故のようには思えないんです。穿ちすぎでしょうか?」
太田は唸った。彼女の言は正しいような気がしていたのだ。
「……ただ、沙羅ちゃんのいうとおりだと、この事故は偶然に起こったのじゃなく、必然的故意的に引き起こされたっていうことになる。果たしてそんなことってあるんだろうか。事故の原因が『ラー』システムの沈黙っていうのは多分疑いのないことだと思うんだけど、そうだとするとおかしなことが出てくる」
多良部も頷く。それを見て、太田は彼女も同じことを考えているのだと思ったが、改めて確認の意味も込めて先を続けた。
「事故はそうして起こった。だけど、じゃあどうして外殻にダメージが見られないのか。もしかしたら、無重力で精製される特殊な合金が使われていて、それが衝撃に非常に強かったからかもしれない。でも、そうすると今度は何故L‐1が閉鎖されなければならなかったのか疑問が浮かび上がってくる。現に、2回目の衝撃のときにはどこも閉鎖されていない」
「あ、それについては」多良部の手が胸の辺りまで上げられる。軽く挙手しているのだ。「ひとつ、ちょっと可能性は低いかもしれませんけど、考えたことがあるんです」
「なに?」
「さっきの外殻のダメージの説明は出来ないんですけど、もしかしたら、隕石か何かはもう一度1回目と同じ場所に衝突したんじゃないかって」
「なるほど!」
強く手を叩く太田。彼女の鋭い見方に素直に感心しきっていた。
「2回目のとき、どこも閉鎖されなかったんじゃない、すでに閉鎖されたL‐1にまた被害が出たということか。なるほど」
何度も首を縦に振る太田を見て多良部も口元を緩ませた。
「頷きすぎ。おかしいですよ」
「あれ、そう? いい考えだと思ってね。君は若い割りに鋭いよね。感心してたんだ」
「なんかお年寄りみたいです」
「俺、結構おばあちゃん子だったんだ。かなり可愛がってもらってね。比較的おばあちゃんちも近くてね、よく遊びに行っていた。そのせいかも」
「へえ」
「昔ながらの人でね、よく世話を焼くんだけど、それをいつも見てたのかヘルパー・ロボも似たような感じでね。おばあちゃんが2人いるような感覚だった。もう10年位前に亡くなったんだけど」
「そうだったんですか……」
多良部が申し訳なさそうに項垂れた。それでも太田は続ける。
「そう。それで、そのロボットだけが残されたんだけど……ちなみに名前はマーテロだった」
「マーテロ? 何か意味があるんですか?」
「俺は分からないんだけど、頭部の形が半球になっていてね、オムファロスっていう名前にしようと俺がいったんだが、おばあちゃんはそれならマーテロだっていったわけさ。結局そっちのほうが短かったからそっちになったんだけどね。未だにあれだけは理由が分からないんだ」
「ちなみに、どうして頭が半球だとオムファロスなんですか?」
「ギリシア語でそういうような意味があるんだよ。どこだったかで見ていて覚えてた」
「へえ。そうなんですか」
「うん。それで……そう、そのマーテロだけが残された。で、マーテロはおばあちゃんを思い出させて悲しくなるというので処分されることになった。俺は反対したが、型も古いというんで、処分は決定した。だけどまあ、メモリー・チップは守ろうと思って抜き取ったわけだ」
「それを他のロボットに移した?」
「無理だった」
「どうして?」
「技術の発達ってのは恐ろしい。チップはずっと大切に保管していたんだが、それに対応する媒体がもう存在してないんだ。さすがに参ったね。まあ、今では自分が覚えているからいいかと思っているんだけど、そのチップだけは捨てられない。形見みたいなもんだ」
「そっか」多良部は、はたと思いついたように顔を上げた。太田が不思議そうに見つめていると、多良部と視線が合わさった。「ルナのことなんです。結城さんはそのモデルの人は厳重に秘密にされているといってましたけど、それがようやくちゃんと理解できた気がしたんです。その人を知っていたら、多分ルナを見ることが出来ないと思うんです」
「なるほど。本物との間のギャップが気になったりするということか。ものまねと逆の感じだな」
「え?」
「ものまねっていうのは、そのギャップを楽しむものだ。たとえば、Aという人がBという人のものまねをするとき、その人と寸分違わず似せてしまうとこれはもうまねじゃない。Bという人の特徴を抽出してそれを増幅するのがものまねさ。ただ、ものまねは前提として周知の人を扱わなくちゃならない。たとえば俺が大学時代の先輩の今岡さんのまねをしたって君には意味不明だろ?」
太田は目をぱちくりさせながら野太い声を出す。途中しきりに人差し指で頬を掻いた。
「でもさー、僕はさー、さやちゃんは絶対さー、黒岩大吾とは付き合ってないと思うんだよねー。これ今岡さんね」
多良部は吹き出してしまった。
「それはそれで面白いですけど。さやちゃんって誰ですか? 有名人?」
「そう。富野宮さやっていうモデルだった。今岡さんはアイドルマニアだった。結局その2人は付き合っていたし、何ヶ月かあとには違う男と結婚したんだよ、確か」
「太田さんも詳しいじゃないですか」
「彼のせいでね」
しばらくの沈黙。そして2人は同時に切り出した。
「どこまで話したっけ?」
2人は驚いて目を丸くすると笑った。
「そうそう、2回目の衝突がL‐1にっていうところだったな」
「そうです」
2人は笑顔だ。太田は内心彼女に感謝していた。暗く打ちのめされた彼に彼女との会話は現状を忘れさせた。
「そう、いい考えだっていったんだ」
「嬉しいです」
多良部は太田を見つめていた。太田はいった。彼女の視線に込められた輝きは太田の心までは到達しなかったのだ。
「実際問題、同じ場所に隕石やらが衝突することはあるんだろうか?」
「可能性があればありうると思います。第5の奇書もそういっています」
「第5の奇書?」
「推理小説のことです」
「沙羅ちゃんもそういうのを読むんだ」
「やっぱり流行りですからね。その本は結構昔の本なんですけど」
「俺はちょっと読んだけど、小難しくてついていけない。気楽に楽しめるものが好きなんだ」
「推理小説も気楽に楽しめますよ。……今度面白いのを貸してあげましょうか?」
「うん、頼むよ。早く地上に戻りたいものだね」
「はい」
太田の視線に気付いたのか、多良部も背後を振り向く。通路脇の壁に宇宙が切り取られている。その向こうには青く輝く地球が顔を覗かせていた。
「助けに来てくれますよね?」
「心配することはないさ。いざとなれば、このLUNAで地球に乗りつけてやればいい」
多良部はこくんと頷いた。
「ごめんなさい。話がまたずれちゃいましたね」
「可能性があれば起こりうる、と。ルナにいわせれば、系統樹のひとつが選択されただけということだね。
「で、話は元に戻るわけだけど、確かにこの事故には疑問が多い。そして、外殻の問題を無視して、仮に沙羅ちゃんのいったとおり、L‐1に2度の衝突があったとすると、『ラー』システムは完全に動いていないということになる」
どす、という音と共に扉が閉められた。唐突に、遮るように。
「沙羅ちゃん? おい、急にどうしたんだ? おい」
扉を拳で叩く。小さな多良部の体では軽いのか、扉がかたかたと開きかける。太田はまた奈落の底に叩き落されたような暗く沈んだ思いを噛み締めた。
また扉を叩こうとしたときにそれは開かれた。太田は前につんのめってしまった。その先には、冷ややかな目を向けた結城の姿があった。彼はいった。
「いまさら往生際が悪いですね」
「結城、さん……。いや、これは違うんです。別に逃げ出そうとはしてない」
太田を射る霊威の視線は不動の構えを見せた。
反撃の狼煙が幻を纏って立ち昇るのを太田は確かに目に映し出していた。
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