15
一仕事終えると、急に現実が見えてくる。
結城をはじめ、4人は安堵の溜息と共に一体何が起こったのかを実感したようだった。あれほど意気込んでいた雛森も今では不安げな表情を隠さずに誰にともなく尋ねていた。
「片桐さん……どうします? あのままじゃあ……」
「何かかけてあげましょう。お土産コーナーにバスタオルか何かがあったはずです」
結城の的確な答えだったが、一同はどこか浮かない顔だった。事故に終わらず人が死ぬという状況にあってそれは当然のことなのだが、今までの麻痺が解けたとあってはしばらく沈黙を続けねばならないようだった。
「見張りはどうすんだ?」
神崎はあまりその空気を気にしていないようだったが、表面上そういう態度をしているのかもしれない。
「1人だけというのはなんですから、交代制にしませんか?」
神崎が露骨に嫌そうな顔をする。どうやら自分はその勘定から外れるつもりだったらしい。すると、多良部が一歩前に踏み出して宣言した。
「じゃあ、まずは私が」
「いや、はじめはまずいよ。危ないって」
雛森は心配げな顔を多良部に向けた。しかし、彼女は提案を曲げようとしなかった。
「ううん。考えると分かるけど、後になればなるほど危ないと思うの。ずっと閉じ込められて、フラストレーションは溜まる一方。それがだんだん怒りに傾いてきても不思議じゃないわ。だから、そうならない今の内のほうが安全」
「なるほど」結城は快活に頷いた。「いわれてみればその通りだ。じゃあ、はじめは沙羅さん、次は芽衣ちゃんで、僕、神崎さんということにしましょう」
いいですね、と彼は神崎に目をやる。仕方がない、というように口元を歪める仕草が返ってくると、彼は満足そうに再び頷いた。
「2時間交代ということにしましょう。とりあえず、他の人は自由ということで。沙羅さんも何かあったら近くの人を呼んでください」
「分かりました」
去る3人。雛森は目配せしていった。頼んだわ、というような眼差しに多良部は無言で頷いた。3人の後姿が見えなくなると、彼女は映画館の扉にそっと手を当てて押し開けた。
「太田さん」
軽い残響が漂う。多良部は今一度扉の外に視点を戻して誰も来ないのを確認した。太田の足音が近づいてくる。
「沙羅ちゃん……」
太田は目を見張っていた。予想以上に早い彼女からの接触に驚いていたのだ。彼がそのまま扉を通過しようというときになって多良部は静かに声を上げた。
「ダメです」
「え?」
「今ここから出てしまったら、太田さんが犯人であることは疑いようのないことになってしまいます。……それに、私だってちょっと半信半疑なんです」
彼女の正直な告白に太田は声も出なかった。辛うじて口をついたのは皮肉めいた弱音だった。
「そうか……。じゃあ、この中で甘んじていなきゃならないな……」
多良部は哀しげな顔をして太田を見上げていた。背は太田の肩ほどまでしかない。
「それで、こうまでするには俺に何か聞きたいことでもあるんでしょ?」
「はい。片桐さんのことなんです」
太田の脳裏に生前の彼女の姿が映る。知的で冷静な、しかし笑顔のとても魅力的だった彼女……。神崎と衝突し、結城に向けられた眼差しにはどこか計り知れないものがあった。
――そういえば、あの彼女の、結城さんに向けられた視線は一体なんだったのだろうか。
「太田さん?」
物思いに耽る彼の目の中に、手を振る多良部の姿が入ってきた。
「ああ、ごめん。ちょっと片桐さんのことを思い出していたんだ。いつも結城さんのことを見ていたような気がしてたんでね。あれはどうしてなんだろうかって」
多良部は目を丸くして逆に不思議そうな表情だ。
「え、だってそれは……、私も気付いてましたけど、やっぱり、ねえ?」
今度は太田が首を捻る番だった。多良部は太田に悪戯っぽい微笑を向けていった。
「太田さんって鈍感なんですね」
彼女はそういって太田の腕に触れた。
「え、じゃあ、彼女、結城さんのこと……?」
「多分そうだと思いますよ」
多良部は少し残念そうにしながらも頷いた。太田は彼女の気持ちなど介さないようににやにや笑いを浮かべていた。今の自分の状況など棚に上げてしまっている。
「はあはあ、なるほどね。確かにあの2人は似合いそうな感じだね。雰囲気もどことなく似ているというか」
多良部はそんな太田を制するようにまた彼の腕を掴んでいった。
「そんなとこより、聞きたいことっていうか、気になることがあるんです」
あ、と太田も頬を強張らせた。多良部の真摯な表情に若干気圧された形だ。
「さっきもいいましたけど、片桐さんのことなんです。太田さんと彼女があの衝撃のあと走っていったときに私たち彼女の言葉が聞こえたんです。確か彼女は『私は向こうから見ていく』っていってました。向こうからっていうのはL‐6のほうから、っていうことですよね」
「そうだね」
「だとしたら、どうして彼女はL‐6で亡くなっているのが発見されたんだろうかなって……」
太田は首筋から背中あたりに肌が粟立つのを感じていた。
「確かにそうだ。彼女、ずっとL‐6にいた……と思う」
「本当ですか?」
「ああ。って思うのは、彼女が俺に望遠鏡でLUNAの外殻を見て欲しいといっていたからなんだ。俺はL‐4を結構詳しく調べていったから、その間に片桐さんがL‐5も調べていたのかと思ったんだけど、もしそうなら彼女自身がその望遠鏡を使っていただろうし……」
ここで太田は息を飲んだ。
「そうだ、LUNAの外殻には損傷が一切見られなかった! あれほどの衝撃があったのに……。それをみんなに報告しようと思った矢先に、こんなことに」
「どういうことですか?」
太田はそのときの状況を詳しく説明した。多良部の眉間に皴が寄っていくのを見て、太田は事の重大さを再確認し、彼女には笑顔が似合うということを実感した。
「本当に、一体何が起こってるんでしょうか……」
白熱した太田の説明に多良部も神妙な面持ちだ。
「問題が山積みだ。……ああ、ごめん、話の途中だったね」
「ええ」先を続けようとする彼女だったが、やはり引っ掛かりがあるようでその口は遅々として進まない。「片桐さんはL‐6にいた。じゃあ、そこで何をしていたんでしょうか。そこでちょっと気になったことが出てきたんです」
「気になったこと?」
太田も記憶を手繰るが、それらしいものがない。多良部が次に口にしたのは日本語ではなかった。そのために太田は彼女が何をいっているのか一瞬理解できなかった。
「Now connecting. L-6 Line illegal」
記憶が鮮明によみがえる。太田は、あっと声を上げてしまった。多良部は続ける。
「訳すとこうなるんでしょうか。『接続中。L‐6回線の違法使用』」
「そうだ」
「問題はイリーガルということですよ」
「でも、この記述は少し経って消えたね」
多良部は顔を少し俯かせて思案していた。その口が渋々といった形で言葉を発する。
「多分、その表示を消させたのは……結城さんです」
「なんだって」
「だって」彼女はまるでいい訳でもするかのように太田を見上げた。「彼しか考えられないんです。L‐6の回線が無断使用されていた。そして、その表示が消えたとき、L‐6にいたのは片桐さんと結城さんだけ。そのときにはもう、片桐さんは息を引き取っていた……」
「いや、でも片桐さんが生きていて、彼女が回線を切ったのかも」
「そうなると犯人は結城さんということになります。それに、思い出してください。片桐さんの手に付いていた血は確かに乾き始めていました。これは私も確認しました。つまり、最低でも15分ほどは経過していた。結城さんが、1人でL‐6で片桐さんを発見したときには確かに彼女は亡くなっていたはずなんです」
「そうか、そうだな」
多良部はここで間を置いた。そして再び畳み掛けるような言葉を口にしたのだった。
「問題は、結城さんが犯人かどうかというところじゃないんです。行き着くところはそうなのかもしれないですけど。重要なのは、すでに片桐さんがなくなっているのに、結城さんがおそらく違法回線を切ったというところです。亡くなっているということのほうが重大なことなのに、これでは回線の切断のほうが重要視されているような気がするんです」
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