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「だってそうでしょう」雛森は太田にというよりもその他の人々を納得させるようにその顔を見回していた。「結城さんが片桐さんを発見するまで、ここに来るにはどうしてもL‐5を通らなくちゃいけなかった。L‐1は閉鎖されてますから。でも、L‐5を通れば太田さんと顔を合わせてしまいます。推理小説的にいえば、このL‐6は1人の目だけですが衆人環視の状況だったわけです。踏み込んでいえば、太田さんが誰も通る人を見ていないのなら、犯人は太田さん以外に考えられないじゃないですか」
「た、確かにそうだけど、私にだってよく状況が飲み込めていないんですよ」
太田もまた雛森への反論を全員に対して聞かせていた。
「そもそも、私が片桐さんを、どうしてこんな……。そう、だいいち動機がない。私は、今日ここではじめて彼女と会ったんです。事故がなければここにいることもなかった。そんな状況でどうやって私が彼女を殺そうと画策できるんですか?」
「衝動的にやったってことだろ。動機なんてのはどこにでも転がってる。人によって動機なんて千差万別だろ。どんな些細な事だって人を駆り立てるときがあんだよ」
先ほど、太田がいい渋っているときから不審そうな目で彼を見ていた神崎が批判的にそういい放った。その瞳は唯一の悪を作り、心の平安を求めているようでもあった。一方、太田は救いを求めていた。その視線は結城へと注がれる。結城はしばらくその視線を受けていたが、首を横に振った。
「残念ですけれど、やっぱり状況的にあなたが一番疑わしいといわざるを得ない。今芽衣ちゃんがいったこともそうですが、もうひとつ、凶器のことがあります。この包丁は多分レストランの厨房にあったものでしょう。これは芽衣ちゃん、そして沙羅さんの証言なのですが、片桐さんはあなたにL‐4から見ていくようにいったそうですね。L‐4にはレストランがあります。あなたには凶器を持ち出すチャンスが十二分にあったわけです」
確かに、太田は厨房に立ち入っていた。それでも、彼は信じられなかった。彼は震える声でなんとか食い下がる。
「し、しかし、しかしですよ、その……、私は、そう、L‐6の方面に向かったのは私と片桐さんだけです。そ、そんな状況で、私自身が一番疑われる状況で、私が、そんなことをしようと、するでしょうかね? 私なら、そんなことはしない。犯人というやつは、たいてい自分が犯人であると疑われたくないものですよ。今の私の状況はその全くの逆じゃあ、ないですか」
「そういった、常識の裏を突くというやり方もある、と僕はいいたいのです。最近の推理小説ブームの風潮からもこのやり方は目くらましになる。犯人に思われる人間は犯人ではないという考え方です。そこに何らかの真相が隠されているのではないか、と人は踏み込んで考えてしまうのです」
結城の言葉にはさすがの太田も頷かざるを得なかった。確かに、近年何十年ぶりかの推理小説ブームが到来していた。それを契機として、古典の作品がどんどんと復活を見たのだ。このブームは社会現象にまで発展した。この流れに乗ってPブックは絶大な売り上げを記録したのだ。そして世間に趣向を凝らしたような計画的な犯罪が増えたのは事実であった。このような背景を持ち出されては、結城のいうような考え方があることは認めるほかなかった。
「それでも」太田の主張は強く、そして弱かった。「私は犯人じゃない」
片桐の死が判明してからすっかり人の変わってしまった感のある雛森の口振りは太田にとって冷酷そのものだった。
「でも犯人としての条件は充分持ってる。犯人はあなたなんです」
「提案があるんだがよ」神崎が含み笑いでいった。太田はその真意を汲みきれずにぞっとしていた。「犯人はこいつっていうことだ。この先何をしでかすか分からない。どこかに幽閉するってのはどうだ。見張りでも決めてよぉ」
幽閉という言葉に太田は暗くじめじめとした纏わりつく空気を感じた。彼の言葉に積極的に同意する者はいなかったが、大方の態勢は肯定的であった。神崎は売り込みでもするように勢いづいていた。その様子を咎めることは太田には出来なかった。もはやこの状況はあたかも彼の手から放たれ、そして触れることの出来なくなってしまったものとなっていた。
「推理小説って話だが、その中じゃ、たいてい1人が殺されて仕舞いじゃないだろう。必ず次があるんだ。だったら、それを未然に防がにゃあならん。ただでさえ今は大変な状況なんだろ。だったら、ひとつでも憂いは潰しておくべきだ」
「それがいいと思います」
雛森が真っ先にそう答えた。その目は冷ややかに太田に向けられている。先ほどまでのこの2人の諍いはどこへ行ったのかという問いを飲み込みながら、太田は自由が次第に削り取られていくのを感じていた。
「問題はどこに閉じ込めとくか、だな」
「どこかのエリアを閉鎖できればいいんですけど」
「まあ、そこまでする必要はないでしょう」
雛森の大胆な提案をさらりと退けると、結城は考えを巡らすように辺りを見回した。
「手頃な部屋があるのはL‐2だけですね。映画館の中に入ってもらうとして、それを見張る人間がいれば充分でしょう」
頼みの綱といってもよかった結城がそういいのけるのを、太田は寂寥感にまみれた視界の中で確認していた。
善は急げというが、それを体現したかのように一同の足が自然と動き出す。先陣を切る神崎とそれにつく雛森、太田を目で促す結城の顔はどれも無表情だった。流れに飲まれた形となった太田の足も前を行く3人に追従していく。反駁するにもどうすればいいかわからないというのが現状だった。この歯痒さを疎ましく思いながらも、太田は鉛のような空気を呼吸していた。
囹圄への行軍をしばらく見つめていた多良部は、その目を転じて横たわる片桐へと向けた。次に、しゃがみこんでその状態を仔細に眺めていった。
片桐の体は振り返られることなくそこにあった。片桐の体――片桐だった体というべきなのだろうか。しかし、それは間違いなく片桐仁美という生を受容し、神の手によってつき動いていた。
多良部は瞑目し、じっとその場に縮こまっていた。
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