4

 心配そうな面々が2人を出迎えた。L‐4のレストランはとても明るくて、彼らの表情とは全く対照的だった。白い硬質ゴム製の円卓に揃った面子は、女が3人男が1人だった。結城のいっていたもう1人の男というのが、ここにいる者であるのは明白だ。だとすると、ルナに取り残されたのはここにいる6人だということになる。太田はそういった思考を一瞬のうちにやってのけた。

「お、そっちは見つけたのか?」

 大柄の男が無精髭を撫でつけながら、結城を評価する上司のような得意げな表情を浮かべた。結城は女性陣の顔色を刹那窺いつつ、少し浮かない声を返した。

「ええ。……どうやら残っているのは僕たちだけなようですね」

 男は露骨な溜息を吐く。その影響か2人の少女のうち1人が俯いてしまう。隣り合って座るもう1人の少女は、諸手を胸の前でひらひらさせながら場を取り繕う。

「あ、でも、誰も怪我がなくてよかったですよね!」

「そうね」黒縁の眼鏡を軽く持ち上げて女性が同意する。その声質からは冷静沈着な大人の雰囲気を彷彿とさせた。先の2人の少女とあいまって、太田にはますますそう感じさせたのだ。「あなたのいったように、どうやら私たちはここで待つだけしかできないようだから、大怪我を負っている人がいなくてよかったわ」

 太田には心なしか、彼女の目線が結城に注がれていて、なおかつどこかしら挑戦的な印象があったように思われた。この2人は知り合いなのだろうかと勘繰っていると、男が不満そうな声を上げた。

「しかしよぉ、何だってまたこんな目に遭わなけりゃならないのかねぇ?」

 俯く少女はちらっと彼を見やり、その隣の少女は不快感を露わに男を睨みつけた。結城は苦笑を隠せないようで一歩前に出る。

「あの、神崎さん――」

「それは皆が思っていることです。あえて口に出すことはないんじゃないかしら。言葉は力を持つのよ。滅多なことはいわないでくださいな」

 眼鏡の女は穏やかな口調ながら、言外に激しく叱責するようなニュアンスを込めていい放った。さすがの神埼もこれには黙らざるを得なかった。それでも強かで、

「まあ、いいさ。さっきの話じゃ助かるっていうんだろう? それまで待てばいいんだ。幸いここには美女が揃ってるしな」

 と2人の少女と目の前の女に絡みつくような視線を投げかけた。先ほどから不快の極みであるような表情を崩さなかった少女が、今では口を歪ませ眉間に皺を寄せていた。

「やめてください!」

 彼女は汚らわしい物でも見るようにして、男を視界から追放した。太田は意を決して口を開いた。強い発声を心がけたが、心なしか喉が萎縮している。

「と、とにかく、落ち着きましょう。待っているだけとはいえ、それだけでは退屈でしょう。でも、仲良くやっていきましょう。この周りは隙間なく宇宙です。皆さんも見たでしょう、あの宇宙の中で私たちはこうして偶然にも出会ってしまった。些細な諍いなんて馬鹿らしいと思いませんか?」

 熱心に語った太田に少女の、そうでしょ、という眼差しが向けられる。男はまた大げさな溜息と共に、

「ふー、お熱いこって」

 とうそぶいた。


 30分が経過した。

 先ほどの険悪なムードも空気中に拡散したように宙ぶらりんな様相を呈していた。それでも、一同はその場から動かずに無言だけが彼らを結合させていた。無意識的に、こうして一緒にいることが安全であると考えているのだろう。

「あの」太田はこれで何度目か分からないが、会話の発端を探り出そうとしていた。「結局これは事故なんでしょうか?」

「そうとしか思えねえな」

「だとしたら、原因はなんなんでしょう?」

 太田はつい結城を見てしまう。それに釣られるかのように数人の視線が彼に突き立てられる。結城は困惑した表情で首を振った。

「詳しくは分かりません。ですが、皆さんも経験したようにあの衝撃は尋常ではありません。あるいは、スペース・デブリが衝突したのかもしれませんが……」

「スペース・デブリ?」

 先ほど神崎に不快感を露わにした少女――雛森芽衣は首を傾げる。横では多良部沙羅が彼女の顔に注目していた。眼鏡をかけた片桐仁美は、じっと結城を見ていた。

「人工的な宇宙ゴミのことですよ。もしくはメテオロイドという自然的な塵の可能性もありますが」

「それが衝突して、今回の事故に至ったというわけなのね?」

 片桐は鋭い眼光でもって探るような視線を向けた。一方の結城は自信がなさそうに唸った。しばらくいいかねていた様子だったが、沈黙の重圧は思いのほか強かったようだ。

「そのことなんですが、それは考えられないと思うんですよ」

「何故ですか?」

 雛森が先を促す。その目が好奇に輝いているように、太田には見えた。

「実はルナの外殻には特殊な装備が施されているのです。それがためにこのルナは安全性を保証されているんです。ルナ・オートマティック・レーザーというレーザー装備なんですが、その頭文字をとって『ラー(LAR)』と呼ばれています。エジプトの太陽神と同じ名前を冠するこの装備は、その名に恥じない威力を持っています。宇宙空間を飛翔する塵を感知して衝突する前に撃墜するシステムなんです。100年ほど前のスター・ウォーズ計画に端を発するこの技術は高性能です。だから、このような衝突によってルナがダメージを被るということはあり得ないんです」

「あり得ないって……」

 誰ともなく困惑の言葉が漏れ出る。神崎は1人不満に顔を歪ませていた。

「何が安全性の保証だよ。だったら、こんなことは起こらんだろうよ」

「ということは、考えられるのは」片桐は彼の言葉を完全に無視していた。眼鏡を軽く押し上げると滑らかな口調で話し始める。「その『ラー』システムが発動しなかったということね。衝突は実際にあった。でも、このルナにはそれを完全に阻止する矛があった。この矛盾を解消するには、矛が振られなかったと考えるほかない。矛が振られなかった原因があったはずよ。ハードというより、ソフトの問題のような感じがするわね」

 この場を深刻な黙考が漂い始めた。誰もがその謎に囚われてしまったかのようだ。その重い空気を察したのか、結城が笑顔を取り戻して話を逸らせようとする。よく気の付く男だ、と太田は1人感心していた。閉鎖された空間での場の重圧は思いのほか影響が強い。彼はそれを懸念したのだろう。

「今ではレーザーといいますが、これは元は略語だというのを知っていましたか?」

「え、略語? どんなですか?」

 雛森が顎から手を話してぱっと表情を華やかせた。

「Light amplification by stimulated emission of radiation――誘導放出による光の増幅装置というんです。この頭文字をとってLASERとしたというわけです」

「ラ、ライ……なんだって?」

 神崎も食い付いて来たようだったが、ついてはこれなかったようだ。結城の思惑に片桐も同調してきたのか、肩の力を抜いたようにして手振りを交えていった。

「それにしても、うまい具合に名前がはまってるわね。月を意味する『ルナ』、それに装備された太陽の神『ラー』。月と太陽。面白いわね」

「別段苦労して名付けたというのではなかったみたいですけどね。名前を付けてみたら偶然ということらしいです……。本当かどうかは知りませんけど」

 流れに加わるべく、太田も身を乗り出すようにして知識を披露した。

「太陽は確かに神と崇められるような星ですよね。太陽系の惑星の質量を全て足しても太陽の0・13パーセントしかない。太陽にしてみたら、無視できる質量です」

 うんうんと頷きながら雛森は思い出すように人差し指を突き立ててそれをくるくる回すといったような仕草をとっていた。隣の多良部はまだ一言も発していない。ただ、事の成り行きを見守っているようだった。

「でも、その太陽が銀河の中ではありふれているただの星だって知ったときには、ちょっと愕然としちゃいましたよ。超新星にもならずに惨めに冷えていくんですよね、あと50億年後くらいには」

 太陽の6倍の質量がなければ、星は地味な末路を辿ることになる。その様子をたとえるなら、1000億の豆電球のひとつが、あるときふっとフィラメントを切らすようなものだ。はたから見れば気づくことのほうが難しいだろう。その豆電球の傍には目に見えないほどの青い星――地球がたいした自己主張することなくある。

「そう考えると」雛森の弁は熱い。「地球外生命体やUFOがどうとかいってるのは、首を傾げたくなりますよね。だって、銀河には1000億の星があって、その数の中には地球のような惑星は含まれてない。塵程度の割合でしかないから無視されてるんですよね。その無数の塵の中のひとつに異星人がやってくるなんて確率的に低すぎる」

 結城がその後を継ぐ。人類が宇宙の進出を容易とする現代において、このような宇宙の知識はもはや常識のようになっていた。

「今では、ちょっと眉唾ですが、知的観測領域なんていう仮説も囁かれていますね」

「宇宙は観測なしには存在しない。これは一種の人間原理ですけどね。そして、ひとつの生命体では宇宙全てを観測することはできない。だから、宇宙には幾つかの生命体があってそれらが互いに交わらない観測領域を持っているという、あれね?」

 片桐の反応に結城は首を縦に振った。雛森は懐疑的で、「なんか人間中心的で面白くない」などと呟いている。結城はそれに笑ってさらに続けた。

「しかも、この知的観測領域が交わるとき、二つの観測主体は互いを滅ぼそうとする、というんですよ」

 太田にはこの沈設に一種感慨深いものを感じていた。

「なんだか人間関係みたいですね。互いに滅ぼすとまではいわなくても、この世界を観測する個々人が集まって、ここでいう観測領域が交わることで変化が起こった。それが社会とか文化だと思うんです」

「なるほどね」片桐は太田の言葉に深く頷いていた。「そしてその集団は、外を知ることで結束していく。対外的な意識によって、集団はぶつかり合うことになる。ところが、ぶつかり合うという衝突さえも包含する巨大な集団に気づくと、また2つは結びついて更に外を知ることになるのよ。今はそれがようやく地球を包み込んだところなのかしら。やっと宇宙に向き合うという段階になったのかしらね」

「まあ、まだ地球内での争いがなくなったわけではありませんからね。皆、『国』という呪いに未だに囚われているということですよ」

 太田はそういって円卓の面々を見渡した。不快そうな神崎の表情が目に入る。輪の中には入っていたが、体を椅子の中で大きく仰け反らせて部外者を決め込んでいるようだった。不意に、神崎の口が開くのが分かった。

「あーあ、やだねえ! どいつもこいつも現実を逃避しやがってさあ! 国の呪い? 太陽の質量?」彼はここで円卓を思い切り殴りつけた。「今はそんなことくっちゃべってる場合じゃねえだろうがよ!」

 回復しかけていた軽やかな雰囲気が一気に重みを増していく。広いレストランの店内に神崎の怒号、ただそれだけが響いていた。窓の外の回転する宇宙のビロードの中の星々が瞬いている。人間以外の全ては皆、素知らぬ顔だ。神崎は結城を目の前から指差していた。

「お前は、ここのことに詳しいんだろ? だったらさっさと原因を究明しろよ! 話してる暇があったらよぉ、仕事しろよ、馬鹿野郎!」

 今にも掴みかからんとする彼に対して太田と片桐の2人が立ち上がっていた。片桐が神崎を制する。

「ちょっとやめなさいよ、そんないい方。私たちじゃ、原因を探ってもどうにもならない。探りようもない。待つしかないと、さっき話し合って分かったでしょ?」

「待つだって?」神崎の顔色がみるみるうちに赤みを帯びていく。「こんなふざけた状況で、どれだけ待ちゃあいいんだよ。お前等能面みたいな顔でぐだぐだと……」

 ――そうか。

 太田は立ち上がったまま神崎の喚く様やなだめる結城、押さえ込む片桐や呆然と見守る雛森、多良部を視界の中に捉えていた。そうして、騒ぐ神崎も、その取り巻きも間違いなく人間なんだなと思っていた。

 神崎は今まさにどうにかしてこの状況から脱したいと願っている。でもそれが叶わないことも知っている。だから、自分の中に行き場のない怒りを感じているのだ。

 今までなんらこの状況を見ない話題に花を咲かせていたその他の人間も、今すぐに地に足を付けたいという思いは同じだったはずだ。どこかで取り乱してはいけないという強迫観念に駆られていたのだ。

 文明がいくら進化しようとも人間の本質は変わらない。それを現に目前にしていた太田は1人、静かな心を仄かな光が照らす窓の向こうに向けていた。

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