魔女リルデルギニの嘘と秘密
冗
魔女リルデルギニの噓と秘密
──魔女審問における注意点(審問官・筆記官必読)
魔女の自白は重要な証拠となるため、かならず筆記官が同席し、すべてを正確に記録すること。罵倒、下品な言葉、大教会によって禁じられた言葉なども詳細に書き記すこと。
魔女の持ち物はすべて収容し、調査の上で焼却処分または大教会に引き渡すこと。
魔女は嘘をつくことが考えられるため、自白の途中で不明瞭な点や他の証言との食い違いが出た場合には、即座に審問官が質問をして嘘を暴くこと。
魔女が悪魔信仰への勧誘を行ったり、悪魔的誘惑を試みることが考えらえるため、審問官と筆記官は毎日曜日かならず大教会の特別審問を受け、誘惑によって堕落していないことを証明すること。
追記 近年の大規模ないくつかの事件について精査が必要であるため、次の単語・人物についてはできるかぎり供述を引き出すこと。
一、魔法島、または単に「島」
一、魔術大降臨
一、魔女リルデルギニ・ヴァーキリ
──魔女フィフリシアドラ・エンティーナの供述
ええそうよ、間違いないわ。あたしは魔女よ。あんただって見てたんでしょ、見てないの? でもみんな見てたわ。今朝あの広場に、あたしが下りた時。そう、ほうきで。名前はさっき名乗ったわ。フィフリシアドラ。一字だって間違うんじゃないわよ、あたしの名前はね、失礼な奴には噛みつくんだからね。
あの島の話をしろっていうの? このあたしに? 冗談じゃないわね。誰があんな最低のくだらない場所! 当り前よ、だから戻ってきたんじゃない。もう二度と、一秒たりとも! あんなまがい物の理想郷で過ごすつもりはないわ。絶対にね。
何も言いたくないってわけじゃないわ。話してあげられることもたくさんあるわよ。
リルデルギニのことが聞きたいんでしょう。あたしがわざわざあの処刑台の前へ下りたの、わかって連れてきたんでしょう。あたしリリーとは友達だったわ。親友だったわ。リリーのことならあたしが一番よくわかってるのよ。だから来たんだもの。あんたたちに全部話すわ。これはね、あたしの復讐よ。ばかね、あんたたちにじゃないわ。わかってないのね。あんたたちを恨んだって仕方ないじゃない。あれはリリーの考えたことよ。あの子はね、リルデルギニ・ヴァーキリは、わざと火あぶりになったんだから。
小さいころから、あの子は完璧だったわ。秘薬を作るのも、結界を張るのも、大人より手際よくって、些細なほころびもないの。呪文の詠唱ときたら、あの声、いけにえの山羊でさえ目を閉じて聞きほれてしまうのよ。ただでさえあの見てくれでしょう。髪なんか夜の海のようにつややかで真っ黒で、肌は透き通りそうなほど白くって、……うらやましいとも思えないほど特別だったのよ。あたし誇らしかったの。リリーの隣で、リリーが褒められるのを聞いてると、あたしまで一段上に上がれるような気がしたわ。
うらやんだりひがんだりする奴もいたのは確かね。でもたいていはそれどころじゃなかったわ。生きるか死ぬかって事態が迫ってる時に、身内同士でいがみ合うほど馬鹿なことってないでしょう。あんたたちの言う魔女狩りってやつが、あたしたちをそれだけ追いつめていたころのことだもの。
リリーのママは拷問で死んだわ。あたしのママも。
リリーのおばあさまは、……きっとあんたたちにも覚えがあるでしょうね。偉大なるベラドンナ・エラエノック・ヴァーキリを、異端審問の奴らがどうしたか……あたしはまだ幼かったけれど、ベラを焼き殺した禍々しい煙のにおいは今もはっきりと思い出せる。おばあさまの形見のショールにくるまって、リリーは泣いたわ……あたし一晩一緒にいたの。あれが最後よ、リリーが涙を見せたのは。誰が死んでも泣かない子になったわ。ママを亡くした時でさえ、きゅっと唇を結んで前だけ見てた。
そのころはもう国じゅうの魔術師が街をあきらめて、山すその谷間に難を逃れて隠れ住んでいたわ。あの森を抜けたところよ、ええ、それはもう知っているんでしょう。あの霧の谷に集まって、肩を寄せ合うようにして暮らしてた。ママたちのような大人の魔女はずいぶん殺されてしまって、あたしたちと同じみなしごが多かったわ。だから、リリーは余計に、泣くわけにいかなかったのね。リリーのあの、きりりと美しい背中を見ていれば、あたしたちもまだ何とかこらえられる気がしたけれど……リリーが折れたら他の子たちも耐えられないわ。あの子、そういうこともすべてわかってたから、だからあんなに最後まで。
しばらくして……あたしたちが12になったくらいだと思うわ。計画が動き出して、あたしたちみたいな子供にもそういう話が聞こえてくるようになった。魔法使いだけの国を作ってみんなで移り住むんだって。そのころはまだどこにどうやって作るのかも決まってなくて、新しい国がどんなところになるのか、あたしたちいろいろ空想してた。雲の上かもしれないし、海の底かもしれないし、……わくわくしながら話し合ったわ。そう、きっと美しい夢の国ができるんだって、心の底から信じた。その日その日を生きながらえるので精いっぱいだったあたしたちに、はじめて希望の道が与えられたのよ。リリーは言ってたわ。どんなところだっていい、殺したり殺されたりしないですむ場所ならどこだってあたしのふるさとよ、って。……おかしいわね、あたし、それがかっこよく見えたから、ずうっとリリーのまねをして同じこと言ってたわ。そのうち周りのみんなも言い出した。殺し合いのない新しい故郷、ってね。リリーが言い出したことって、いつの間にか流行ってしまうの。
この世界では魔女だっていうだけで、魔法を使えるってだけで、異端として殺されなきゃならない。異端だけで暮らす国ができれば、そんな理不尽から自由になれるわよね。だって、みんなが異端なのよ。そしたらもう異端とは呼べなくなるじゃない。
魔法島計画って名前が決まったころから、大人の魔術師が西の海目指して出ていくようになったわ。本格的な建国準備が始まって、腕に覚えのある魔法使いはみんな駆り出されたの。新しい陸地を作り出すっていう計画よ。世界中の魔力をかき集めたって足りるかどうかわからなかった。さいごには、まだ14になったばかりだったリリーにまで声がかかったわ。誰が見てもとびきり優秀なリリーなら、きっと助けになるだろうって。あたし自分のことのようにうれしかったわよ。参加ってことになれば、あたしたちのリリーが最年少に違いない。でもね、リリーは断った。「幼い子たちを置いていくわけにはいきません、この谷にはもう大人の魔術師がいないんです」って。そうよね、誰もが納得したわ。小さい子供たちを魔女狩りから守るのは大切で美しい役目よ。あたしもその時は、リリーの責任感に感じ入ったわ。だけど本当の理由は別にあったの。リリーには、どうしても行くことができない事情があったのよ。
その日の夜だったわ。リリーがあたしだけに打ち明けてくれた。
完璧なはずのリリーの、たった一つの弱点。リリーは、空を飛ぶ術が使えなかったのよ。
空を飛ぶ方法はね、魔女が最初に教わる初歩の魔法の一つよ。イボガエルを干して、黒くなるまで煎って……ああ、そんなのはいいわね、とにかく薬と、ほうきやかごがあればいいの。体に薬を塗りこんで、あとはほうきにまたがるなり、かごに腰掛けるなり、それで飛べるわ。魔力があればね。
飛べるってことは魔女の証みたいなものだから、幼い魔女が最初に飛んだ日にはかならずお祝いをするの。あんたたちだって子供が立ちあがったら喜ぶでしょ、魔女にとって飛ぶってのは、立って歩くのと同じことなの。飛べない魔女なんていないわ。普通なら6つになるまでには自由に飛べるようになってるものよ。だから、まさかリリーが飛べないなんて誰も思いもしなかった。あの子の家族も内緒にしてたんでしょうね。だって、リリーが恥ずかしい思いするでしょ。いつまでたってもオネショがなおらないのとおんなじように見られるわ。
あたしもびっくりしたけれど、つまり、リリーは特別な体質だったのね。イボガエルの薬を受け付けない体だった。あれを塗ると皮膚がただれて高熱が出るんだって、そんなこともあるのかって思うけど……小さいころにやってみて2度も死にかけたんだって。あの子のおばあさまも、もちろんママも、いろいろ考えて試してくれてはいたの。二人とも秘薬作りの名人だったもの。でも魔女狩りにとられてしまって、リリーはだれにも頼れないまま、一人でずっと悩んでいたのね。自分でも代わりの方法を考え出そうとして、必死に研究して、だからあんなにいろんな魔術に秀でていたんだわ。
とうとうあたしに相談した時には、リリーはもうその新しい方法をつかみかけていたの。イボガエルを使う代わりにドクヤモリを入れて、蜘蛛の糸を増やして、その秘薬で体に呪文を書き込むのよ。あとはもう実際に試して、配合や呪文の位置なんかを調整するだけってところまできていたの。それで、あたしに頼んだのよ。飛んだことのないリリーの代わりにその方法を試して、どれくらい飛べそうか、どう直せばいいか、そういうことを教える役目よ。
興奮したわ。胸が燃えるんじゃないかってくらいうれしくて。
だってあのリリーがあたしを頼るのよ。あたしがリリーを頼るんじゃなく、リリーがあたしを必要としてるのよ。他の誰かじゃなく、このあたしを。
それからの半年は、あたしのこの短い人生の中で最高の時間だった。
お天気と月が許す限り、毎晩のように試験飛行をやったわ。ほかの子たちの目に触れないように谷を出て一時間も歩いて、山奥の切り立った崖で。失敗して青あざや切り傷を作っても、ちっともつらくなかった。その怪我を隠して、みんなの前で平気な顔をつくろうことも、まるで秘密の冒険のようで、誇らしくて楽しかった。リリーがあたしにだけわかるように目くばせをしたり、聞かれないように声を潜めて話をしたり……あたしだけがリリーの仲間だもの。言ったでしょう、あたしほどリリーをよく知る者はいないって。それがどんなに幸せなことか。
半年かけて、百と4回の試験飛行をして、ついに、あたしとリリーはこれ以上ないっていう最高の結果をつかんだわ。その方法で、あたし、ふつうのイボガエルのやり方より何倍も楽に、速く飛ぶことができた。何時間でも飛んでいられるのよ。それで、次の夜には同じ方法をリリーも試したんだけど、2分も浮き上がっていられたの。最初でそれなら素晴らしい成果よ。ひと月もあれば自由に飛べるようになるわねってあたしが言ったら、リリーが後ろからあたしの肩におでこをつけて、ぎゅっと抱きついたわ。ありがとうって言った声が震えてた。見えなかったけれど、きっとあの時、十年ぶりに、あの子は泣いてたんだと思う。
あたしその夜は眠れなくてね。谷に戻っても、横になっても目がさえてしまって、隣で寝てるリリーを見てた。不思議な衝動に駆られて、ナイフを取って一本だけ髪を切ったの。リリーの髪。後でわかったけれど、あれは予感だったのね。
そう。その朝だったのよ。
おかしなにおいだと気付いたのが、ちょうど空が白み始めたころよ。あたし起きていたから真っ先にわかったの。みんなを起こして谷を出ようとして、そのときにはもう谷からも真っ黒な煙が見えていたわ。あの森に火をかけたのがどういうやつだったのか知らないけれど、馬鹿な話よね。あたしたちを蒸し焼きにする前に、自分の村が焼けてしまったんでしょう。まだ言ってるの? あたしたちが炎の向きを変えたって? あのねえ、夜明けは風が変わる時間なの。そんなことも知らないで、なんでも魔法のせいにしてごまかすんだから。どっちにしたってあれであたしたちも谷を捨てなきゃならなかったわ。リリーがいなきゃ、幼い子たちは死んでいたかもしれない。
小さい子を引っ張り上げるみたいにして山に登ったわ。試験飛行で何度も行った道だから、あわてていても迷いはしなかったけれど。荷物をまとめる暇もなくて、手近な道具をかごに放り込んで、とにかく必死で。崖からは、どこがどう燃えてるのかよく見えるの。あたしにはわからなかったけれど、リリーにはもっとたくさんのことまで見えていたみたいだった。
「フィフィ、あたしたちはもう戻れないわ」って、リリーが言った。吹き下ろす風に髪をなびかせて、ずっと遠くを見ながらね。「戻れば、あの炎よりも大きな敵意に巻き込まれるわ。これはあたしたちのせいではないけれど、あたしたちのせいになる」もちろんその意味はわからなかったのよ。その時のあたしにはね。いろんなことがわかったのは、すべて終わってからだった。
リリーほど先の見える目を持った人が、ほかにいるかしら。
まさか、自分たちの誰かがかけた火を、あたしたちのせいだなんて決めつけて憎むなんて。あたしには考えもつかなかった。魔女の隠れ谷を焼こうとして下手を打った張本人はどっかに雲隠れしたか、知らないふりでこっそり逃げ戻ったか、どちらにしろあきれるような卑怯者よね。
……ああ、もう、だからわかってないっていうのよ。できるかどうかっていうなら、できるわ。火を起こすことも、風を変えることも、魔法を使う者にとっては難しいことじゃない。もちろん必要な時間と材料がそろっていれば、の話だけれど。たとえばもしリリーなら、余計なところを焼かずに村の家だけ真っ黒にすることも、反対に周りの地面を焼いて家だけ無傷で残すこともできたでしょう。でもね、どうせ信じないでしょうけど、リリーは絶対にやらないわ。できるかどうかは問題じゃないのよ。するか、しないかよ。たとえママを殺した奴の家だって、リリーは絶対に火なんかつけない。よく考えてみればわかるでしょう。リリーがあんたたちに復讐するなら、あんなに何年も待つことないわ。ママが殺された日にすぐやってるわよ。もっとずっと効率よく、理にかなった方法でね。そういう当たり前のことを、あんたたちは、見ないふりしてやり過ごすのね。
あたしたちはただ崖に立って、火が広がっていくのを見ていただけ。どうにもできずに。
リリーは、もしかしたら、次に起こることがわかってて、待っていたのかもしれないわね。
はるかな西の空に、やがて、ポツンと点が見えたのよ。煙の中を突っ切って、飛んできたのは一羽のカラスだったわ。そうして、こう告げたの。……喋るのよ、そういう魔術を使えばね。とにかくカラスが来て言ったの。
「ぎりぎり間に合った。島が完成した、だが迎えをやる余力がない。飛べる者はすぐに西へ飛べ。街の群衆がいきり立ってここへ来る。飛べない幼子はあきらめてでもすぐに発たねば、この谷のものは全滅するぞ」
あぜんとしたわね。すぐには事態が呑み込めなかった。
もちろん真っ先にリリーのことを考えたわ。やっと浮くことができるだけのリリーに、はるか西の島までの旅はとても無理よ。そうでなくても、谷にはまだ6つにならない子供が4人もいた。まだ飛べない幼子が4人。それに、10くらいまでの子が飛んで行くにも、島は遠すぎた。確実に、何人かは途中で魔力が尽きて墜落してしまう。そのことを言いたくても、カラスはすぐに魔術が切れてどこかへ行ってしまったわ。途方に暮れるしかなかった。
リリーは……あの子にとっては死刑宣告よ、なのに表情も変えずに、じっと立ってカラスを見送っていたわ。そうしてあたしに言ったの。
「フィフィ、あたしたちの研究が役に立つわ。新しい薬を持ってきてて本当によかった」
ねえ、わかる? あの時リリーは、あたしたちの研究って言ってくれたのよね。リリーひとりでなく、あたしたちふたりの研究って。
リリーがてきぱきと指示を出して、あたしたちは全員の体にあの薬で呪文を書いた。一番小さい子にも平等に。それから手近な枝を取って、大急ぎでほうきをこしらえたわ。幸いかごはあったから、ほうきに乗ったことのない小さい子たちはそれに乗せて、年長の子のほうきとつないで、引っ張って行けるようにしてあげたの。もちろんその方法もリリーが考えたのよ。誰も置いていかれたり、墜落したりしないように。
でもね、あたしだけは知ってたわ。リリーだって飛べないのよ。新しい秘薬があれば、幼い子たちは大丈夫でしょう。でもリリーだって助けがいるはずなの。
あたし、飛行術には自信があったから……毎晩のようにやってたんだもの……だから、リリーを引っ張って行くつもりだったわ。落ちそうになったら引っ張り上げればいいと思った。あたしもかごを引いてたけれど、あたしならふたり引っ張って行けると思った。
飛び立つ前、あたしの後ろでかごに乗ってた子が、不思議そうに聞いたの。
「リリーのほうきにはかごがついてないわ。リリーは誰を引っ張るの?」
そうよね、みんな、リリーがいちばん飛べるはずだと思ってたでしょうから。
リリーは笑って答えたわ。
「あたしはいちばん後ろで、誰かがこぼれたとき拾う役目をするのよ」
そして、いよいよ飛び立つって時になって、リリーがあたしに近寄って、みんなに見えないようにそっと、小さい箱を……さっきあんたたちに渡したあの箱をくれたの。
「あたしたちの秘密が入ってるわ。フィフィ、おねがいね」
そう言って。
あたし、そのとき、わかったわ。電撃のようにわかったわ。リリーは一緒に来ないんだ、これでお別れなんだ、リリーは死んでしまうんだって。
さあ行くわよ、って大きな声でリリーが言って、あたし半分ぼうっとなって無意識に飛び立っていた。リリーになんにも言えなかったわ。ただ、リリーに頼まれたことをやりぬかなきゃ、ってそれだけしか考えられなくて。
西へ西へ。振り向きもせずにまっしぐらに飛び立ったの……リリーがいなくなったって、誰かほかの子が叫んでるのが、夢のなかみたいにぼんやり聞こえたような気もするわ……。
これで、あたしとリルデルギニの話は終わりよ。えっ? 知らないわ。話を聞いてなかったの? あたしはそのまま島へ飛んで行ったのよ。一緒に飛び立った後、あたしたちと離れてリリーが何をしたかは、あんたたちのほうがよく知ってるでしょう。あの子はここへ下りたのよね。ええ、あたしは後から聞いただけよ。島で千里眼の術を使って、リリーのことを見たって人たちからね。
あんたたちには、リリーはさぞ恐ろしく見えたんでしょうね! あんたたちの言う悪魔の同類そのものに見えたんでしょうね。リリーは演技もうまかったんだわ。でもね、言い当ててあげるわよ、……誰も死んでないんでしょ。けが人も病人もなしでしょう? さっき言ったじゃない。リリーには、あんたたちを殺すつもりなんてこれっぽっちもないのよ。あの子の理想のふるさとは、誰も殺したり殺されたりしないところ。親の仇でさえ殺したくないのがほんとのリリーだったのよ。ふふ、あの子に騙されたのね。リリーは嘘も一流の腕前だったってことだわ。
魔術大降臨? 恐ろしげな名前よね。リリーが考えたのかしら。とっさに考えたにしては素敵な思いつきだと思うわよ。魔女狩りの犠牲になって殺された魔女たちが、悪魔の手を借りて蘇り、降臨する日がやってくる。素敵。いい考えよね。
でまかせかって? ええ、聞いたことなかったもの……でもね、あたしは信じるわ。だってその日が来たら、リリーも降臨するんでしょう? 信じることにしておくわ。そうよ。いたずらに犠牲者を増やさないことね。みんな降臨しちゃうんだから。
ただ言えるのは、リリーの目的はそんなことじゃなかったってことね。もちろん、脅しをかけて魔女狩りの熱狂が少しでもおさまってくれたらいいって、そういう気持ちはあったんでしょうけど。
あたしにはわかるわ。リリーは目をそらそうとしただけなのよね。あんたたちの目を。
あの日、あたしたちが奇妙な列を組んでよろよろ飛んでいくのを、見られないようにしたかった。だから、自分に注目したらいいと思ったのよ。あたしたち以外にも、隠れ住んでいた魔女たちが、あちこちから一斉に飛び立っていったはずだわ。それこそ大陸中の魔術師が、あの日あの島へ向けて旅立ったんだもの。その大きな動きから大教会の目をそらせるようにって思ったのよ、だからわざわざ派手なことをして、わざとつかまって、わざと気になるような予言をして見せたんだわ。リリーはそういう子なの。あんたたちにわからなくても、あたしだけはわかってる。
おかげであたしは谷の子たちを一人残らず島へ連れていけたわ。島が生まれたてでまだ不安定な頃に、大教会から余計な詮索や手出しをされることもなかった。みんなリリーのおかげで助かったのよ。その代わり、リリーはいないわ。もうどこにもいない。
あたしが島を出たのは……そうね、話してしまうわ。
さっきの小箱の中身を見たかしら。見たってわからないはずだとは思うけれど。
あれはリリーの研究の記録よ。すべて書いてあるわ。なぜリリーが飛べなかったのか、どうやって秘薬を改良し、呪文を編み出したのか、それから、あたしたちがどんなふうに試験飛行をしたか。そう。それが秘密の正体。あんたたちにとっては役にも立たない代物。がっかりした? 知ったことじゃないわ。ああ、そうね、あんたたちはその大降臨の防ぎ方を探しているのね。ご苦労だこと。あたしにとっては大切な親友の思い出で、今でも守り通そうと決めてる最後の秘密よ。
リリーの名誉を傷つけることはできないわ。絶対に、島の連中には知られたくない。だからといって、あたしの手で処分することもできなかったの。できないわよ。だって、リリーが人生のすべてをかけて成し遂げた成果なんだもの。
残念なことに、あの時あたしがこれを受け取ったのを見られていたのよね。つまり千里眼で。
ほんとうに、ばかばかしいことなんだけど。口に出したくもないほどくだらないことだけれど。
あんたたちと同じように、島の魔術師たちも馬鹿な空想にとらわれたのよ。リリーを特別な魔力の持ち主だと思い込んだの。あの子の必死の嘘に騙されて。あんたたちには、リリーが魔女の女王か何かに見えたんでしょう? 特別強い呪いの力を持ってて、悪魔をいっぱい引き連れて街に降臨したみたいに見えたってことよね。リリーは確かに優秀だったけれど、完全無欠じゃないわ。飛べない魔女が、そんな恐ろしい魔王のはずがないじゃない。ばかばかしいけれど、それを知ってるのはあたしだけなの。島でも、リリーの素晴らしい才能だけが噂になっていたのね。だれも、ほんとのリリーがどんな子か、ぜんぜんわかってないの。天才だと思われてる。違うのよ、リリーは努力して術を身につけたの。完璧に近づこうと必死になってあがいた子なのよ。つらくて泣きたいのを押し隠して、凛と前を向いて立ち向かう子なのよ!
あの小箱に……リリーの特別な魔力の秘密が詰まってて、あたしがそれを独り占めして隠しているんですって。笑っちゃうわね。
魔法島はいつでも魔力不足であえいでいるわ。魔力で国を支えて、魔力で結界を張って、魔力であんたたちの目から隠しているんだもの。みんな魔力が欲しくて欲しくて、優れた道具や薬があれば奪い合いになって……殺し合いまで起きているわ。
わかったでしょう。島全体が、あたしとリリーの小箱を狙っているの。
あたしはね、だれにも渡さないわ。絶対に渡さないし、見せないわ。島の連中は嘘つきよ。こんなことになっても、いまだにあのスローガンを掲げているのよ。殺し合いのない新しい故郷……! どこが! あたしを殺してリリーの秘密を暴こうと思ってるくせに、リリーの望んだ理想の言葉を語るなんて!
あたしの復讐よ。これは島への復讐よ。
あいつらにリリーの秘密を明かすくらいなら、何にも知らないあんたたちにあげちゃったほうがずっといいわ。ええ、裏切者よ、あたしは。いいじゃない。あいつらだってリリーの美しい夢を裏切ったんだから。
ふふ、皮肉ね。この研究をほしがる人はいっぱいいるわよ。どうしていままでより長く飛べるか……あの連中の期待は完全な的外れってわけじゃないのよ。リリーの呪文にはね、魔力を増強する効果が含まれているの。もっと改良を加えれば、魔力不足を解決する糸口になるかもしれない。でも何にも知らない、知ろうとしないあんたたちの手に渡るわ。あんたたちのケチで臆病な神様が、知恵の木の実を禁じてくださったからね。魔女は木の実を求めるわ。でもあんたたちは汚いものでも触ったみたいにこの真理を放り捨てて、火をつけるんでしょうね。お笑い草だわ。こんなに小気味いいことってないわ。
誰も異端と呼ばれずにすむ国になるはずだったあそこで、あたしが最初の異端。あたしが、狩られる魔女。結局どこにでも異端は生まれるんだわ。
どうせリリーのいない世界なのよ。ええ、あんたたちに殺されるほうがずっといい。だってそれならリリーと同じだから。リリーのいるところがあたしの理想のふるさとよ。
──魔女フィフリシアドラの消失(大教会司教の報告書より抜粋)
魔女フィフリシアドラの火刑は最初のうち実に平和的に滞りなく行われた。しかし、魔女が火刑台にあげられ、罪状の読み上げが始まったころから、徐々に周囲に霧が立ち始め、火をつける段階になると真っ黒な雷雲がおしよせ、雨が降り始めた。その雲の間にほうきに乗った人間らしきものがいくつも見えたという証言が、立ち会った群衆から何件も寄せられたということである。
雨は火を消してしまうほどの勢いにはならず、火刑は続行された。
しかし火が魔女の足に届きそうになる前に、どういうわけかこの魔女の口を戒めていた轡が外れ、魔女が言葉を発した。
死刑執行人によると、
「いまいましい島の強欲な豚ども邪魔をするな」
という内容だったということであるが、これがどういった意味を持つ呪文であるかはわかっていない。
この直後、あきらかに様子のおかしい白色の煙が大量に立ち上り、火刑台の魔女が姿を消した。
以上のことを考え合わせると、魔女フィフリシアドラの消失事件には他の魔術師が大きくかかわったと見るほかない。彼女を奪い返すために魔法島の魔術師が飛来し、目的を遂げて連れ去った、というのが最も有力な線であろうと思われる。
関連して見過ごせない異変として、審問官一人が悪魔憑きの症状に陥っていることを挙げねばなるまい。
この審問官ミシェール・ホプキンズは、フィフリシアドラの審問を担当したほかに、かつてリルデルギニ・ヴァーキリの審問を行った男である。長年の間職務に忠実に従事し、じつに28人もの魔術師および悪魔信奉者に刑を与えてきた実績の持ち主でもあった。
ホプキンズはフィフリシアドラの火刑の日、持ち場に現れず、押収された魔法の小箱とともに姿を消した。二日後に彼の親戚の家で納屋に隠れているところを発見されたが、「魔女は我々と同じ人間である」「私たちは真理を手に入れるべきだ」など意味不明な内容の発言を繰り返しており、重度の悪魔憑きとして厳重に隔離された。なおこの時彼が盗み出したと思われる箱はいまだ見つかっていない。記録によればこの箱は、魔女フィフリシアドラが捕獲の際に所持していたもので、中には悪魔的秘儀の手法が書かれた紙数枚と、魔女のものと思われる毛髪が一本、ラベルに「フィフィとリリー、愛をこめて」と書かれた薬瓶が一つ入っていたはずであり、非常に危険な魔術具である可能性が高い。
これらの事件により、魔女がいかに危険で厄介な敵であるかを再認識させられたのは、私一人ではないはずである。
私はここに、異端審問および処刑における警備の強化を提言する。
従来の甘いやり方を改め、より徹底して厳しく管理しなければ、今回の失態は繰り返され、魔女の根絶の日が遠のくであろうことを強く危惧している。
また、審問官の発狂の原因を推察するに、フィフリシアドラ・エンティーナの供述に危険な誘惑が含まれているのではないかと思われる。供述書は現在、当地の裁判所に保管されているが、私はこれを読むべき立場にないと考える。この有害な書物は大教会において厳重に管理し、外部の閲覧を固く禁ずるよう求める。
次に、私個人の意見として、述べておきたいことがある。
以前より検討されていることではあるが、異端審問の正当性を民衆にはっきりと知らしめ、告発の効率を良くするためにも、やはりリルデルギニ・ヴァーキリの予言「魔術大降臨」については箝口令を敷くべきであろう。
今回の事件は予言が行われた地で起きたこともあり、民衆が大いに不安を募らせていることが見て取れた。これは異端追放を使命とする我々にとって喜ばしくない事態である。民衆が多くを知りすぎることは大教会に害悪をもたらすことにつながる。この忌むべき予言について、実際に見聞きした民衆が多くいるが、この目撃者たちを異端として排除することも視野に入れ、再度よく検討していただきたく思う。
魔女リルデルギニの嘘と秘密 冗 @hara-joe
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