第12話

息を切らしながら急いで灰色に染まる空の下に出た僕は、今日の朝ラミアと一緒にいたガゼボの元へと走る。

「あれ、僕が一番か。」

けれど、そこには誰もいない。ここで待っていれば誰か来るだろうと思い、一歩ずつ足を進めてそこにあるベンチに腰かける。

 ――――――――――。

 空は曇ったまま、ただ時間だけが流れる。

 瞼が重い。

 僕はしばらくその微睡みに耐えていたけれど、おそらく目を瞑ったその一瞬に意識が沈んでしまった。


「ホップ」

声の主はだんだんと僕に近づいてくる。

「ホップ!」

 僕の意識がその声を捉える。

「ホップ!」

 僕はようやく耳と意識の両方でその声を捉えて、少し体を振わせながら目を開ける。

 そして寝ぼけ眼のまま辺りを見渡すと、視界の右から誰かが手を振りながら僕の名前を呼び、こちらへ駆け寄ってくる。

「ん?」

 両目を擦って目を細めながらその姿をもう一度見る。

「ここにいたのね。」

 そこに立っていたのはシエルだった。

「……、。」

 僕は無言のまま、ただそこに立つシエルの姿を、ぼーっと見ていた。

 シエルは少し息を切らしながら僕の方へと歩み寄ってくる。彼女は僕がここにいることに安堵しているようなのにも関わらずその表情はなぜか不安を浮かべている。

空は依然暗んだままだ。

「寝てたの?」

 シエルは唐突に僕にそう問いかけた。

 いつもの彼女ならここで僕をからかうような口調でそう言いそうなものだけれど、今はそうではない。ただ、話し始めるきっかけを作るためだけに言われた中身のない言葉のように聞こえる。

 それに対して僕も咄嗟に出た言葉だけを返す。

「ぁ、うん。ごめん。少し前に来てここで待ってたんだけどさ、誰も来ないから少し眠くなって、」

 シエルは浅く頷きながら僕の言葉を聞く。

「そう、」

 僕は彼女のその不自然な反応にどこか不安を感じて、おそらく答えを聞きたくないはずの問いかけを口にしてしまう。

「何かあったの。」

「それがね、」

 シエルの焦点が乱れて、一瞬言い淀む。

 僕は息を呑んで待つ。

「とりあえず城内に戻ろう。」

 状況の分からないまま僕は「わかった」とそう一言だけ返して、彼女と共にまた城の中へと戻った。


城内へと戻った僕は、そのままシエルの後に付いていく。そしてお互い何も言わず、聞かないままで進む。

 途中から無意識に歩いた先でたどり着いたのはラミアの部屋の前だった。僕はそのことに気づいてシエルにその意図を問いかけた。

「ここ?」

「そう。」

 明確な答えは返っては来ず、それだけ言ってシエルは扉をノックする。

 中から「どうぞ」という微かな声が聞こえるとシエルは扉を開けて部屋の中へと入った。

 シエルは特に何も言わず無言だったけど、僕はそれでは気が引けるので「お邪魔します」とだけ言って部屋に入り扉を静かに閉じる。

「いらっしゃい。」

 そう言って座るラミアの前には少し大きなテーブルが置かれており、そこには四角いお弁当箱のようなものが二つ置かれていた。

 僕はしばらく不思議そうにそれを見る。そしておそらく何か理由があることは感じつつもこの状況のわけを聞く。

「どうしたの、何でここ?」

 空気に散らされそうなその言葉を何とか拾ってくれたのはラミアだった。

「ごめんね。約束守れなくて、私が言いだしたことなのに。」

 的を射ないその返事に僕はさらに困惑する。

「それはいいんだけど、ただどうしてかなと思って。」

「……、実はね、」と言いかけたラミアの言葉を聞き取ることができないまま、僕は答えの分かりきっている質問を投げかける。

「天気が悪いから?確かに少し前から曇ってきたよね。」

「そうじゃないの。」

ラミアは首を横に振る。

傍らで座っているシエルはずっと不安な表情を浮かべたままだ。

 さすがにラミアの言葉を聞こうと彼女の方を見る。

 ラミアがもう一度話し始めようとしたそんな矢先、


   グぅぅゥうぅーーゥー~


と、誰かのお腹が鳴る。

僕は一瞬キョトンとして呆気にとられながら、無意識にきょろきょろと不躾にラミアとシエルの二人を見る。

するとラミアも少し驚いた様子で辺りを見ている。シエルはというと、困惑と驚きの混ざったような表情をしていた。

しばらく無言の犯人探しが繰り広げられると僕とラミアの視線は何気なくシエルの方を見て止まる。シエルはというとラミアと目が合っているようだった。

しかし、すぐに僕の視線にも気づいた彼女はこちらにも顔を向ける。そして一歩遅れて僕とラミアを交互に見る。

「な、何よ?」

 まだ困惑した様子でシエルは言う。

「いや、別に」

 不意に目を逸らしながらそう言ってしまった僕。そしてシエルの必死の抵抗が始まる。

「……。私じゃないわよ?!」

 今度はラミアの方を向いて必死に訴えかける。

「本当よ?」

「ええ、そうよね。分かっているわ。」

 ラミアは妹からの訴え聞く。少しだけ視線を逸らしながら。

「もう、何なのよー。」

 僕は慌ててシエルを宥めようと声を掛ける。

「大丈夫、シエルだなんて言ってないよ。」

「当たり前でしょ。私じゃないんだから。」

 彼女は口を結んで頬を少し膨らませて僕の方を見る。

「ホップのバカ」

そしてなぜか怒られた。

 こういう時にはラミアが仕方ない、といった様子でけんかの仲裁をしてくれるのだけれど、今日はなぜか俯いたままだ。

シエルを怒らせてしまい、どうしようかと頭を悩ませていたところ自分自身もお腹がすいていることに気が付いた。

「お腹すいたし、とりあえず食べない?」

 僕がそう言うと二人ともこっちを向く。

「そうね。まずは食べてからにしましょうか。」

「うん…。」

そしてラミアが立ち上がり、その箱を開ける。

その中に入っていたのはサンドウィッチだった。一つは普段よく見るようなたまごやハムと野菜のサンドイッチ。もう一つにはフルーツを生クリームで包み、それをパンで挟んだフルーツサンドというものがきれいに並べられていた。それはどこか宝石のようにキラキラと輝いているようだ。

「「美味しそう」」

 僕とシエルは二人して同じ言葉を言う。そしてお互い視線が合い、自然と笑顔になって笑い合う。

「ありがとう。嬉しいわ。」

 ラミアも笑顔でそう言う。

 さっきまで暗く閉ざされていたこの部屋に3つの光が灯る。

 そして僕たち3人は各々その宝箱に手を伸ばす。

「本当に美味しいよ、これ。ラミアはやっぱり料理が上手だね。もしかするとここにいるコックの人たちよりも上手なんじゃない」

「そんなことないわよ。」

「もぐもぐ。その言い方だと、私は下手みたいじゃない。」

 お腹が満たされてきたシエルが少しばかり穏やかに口を挟む。

「そんなこと言ってないよ。というか、シエルは料理したことないよね」

「大丈夫よ。シエルもやればできるわ。」

「そうそう。私はやったことないだーけ。」

「今度はシエルも一緒にベルミルさんに教えてもらいましょう。」

「「ん?」」

と、ラミアのその発言に僕とシエルは少し首を傾げる。

「ベルミルさん?」

 僕がそう言うとラミアは少し遅れて口元を手で隠し、ついつい秘密を喋ってしまった子どものようにそのまま顔を覆った。

 彼女曰く、すべてというわけではないが、味付けの部分や調理のコツなどといった部分をベルミルさんに教えてもらいながらこのサンドウィッチを作り上げたということらしい。

ラミア自身はそのことを少しばかり恥ずかしがるように言うけれど、彼を頼った彼女の真意は十分にここに詰まっている。それはシエルも同じだろうと思う。

 見ると、そんなことは関係ないというように美味しそうに食べている。

「私は美味しいものが食べられたのだからそれでいいわ。姉さまがそれを私たちのために作ってくれたことがさらに嬉しい。それだけのこと。」

「ラミアが頑張って作ったものが美味しいことに変わりはないからね!」

「二人ともありがとう。」

そして僕たち3人はそこでしばらくの間素敵な時間を楽しんだ。

「美味しかった。ごちそうさま。」

「私も、もう食べられないわ。」

「きれいになくなったわね。」

 そのラミアの言葉に僕たち二人、おそらく遅れてラミア自身もそのことに気づく。

「「「あっ」」」

 そう、これは本来五人分として作られていたものだ。確かにお腹いっぱいになるわけだと思うが今さら遅い。

「食べ過ぎちゃった。」

「ごめんラミア。」

「…、仕方ないわ。……、また作ればいいだけだから。」

 そのまま僕たち三人は食べ終わったテーブルの上を片付ける。シエルは食欲が満たされると今度は眠気が訪れたらしく、ラミアのベッドへと倒れ込みそのまま数分と経たない内に眠ってしまった。

 その様子を見てラミアは彼女にそっと布団を掛ける。

 僕は最後にテーブルを部屋の端っこに移動させる。その時窓の外から見えた空はこの時間にしてはいつもよりも暗い気がした。

「雨、降らないね。」

「そうみたい。キッチンにいて気が付かなかったけれど、今日はお昼前からずっと曇っているのよね。」

 それでももうすぐ降ってきそうだからと、ラミアはその扉を閉める。

「また晴れた日にはみんなでお庭に出てサンドウィッチ食べましょう。」

「うん」


 その後、僕は自分の部屋へと戻った。

 机の上にはジルマーナ先生の授業で使ったものが散らかっている。机の上を片付けるついで今日習った内容にもう一度目を通す。

 ふと窓を見ると空はもうすっかり暗くなっている。僕は椅子を引いて立ち上がり、カーテンを閉める。

集中力も切れてきたので、息抜きに何か本でも読もうと思いそのまま本棚の前に立つ。並べられたそれらを見渡しながら最初に目に留まったのは昨日シエルがこの部屋で読んでいた絵本だった。

「もう一回、読んでみようかな。」

 それを手に取り、椅子に座る。

ページを捲って読み進めようとするけれど、外から入ってくる忙しい音がうるさくて集中できない。城内はさっきからなんだかずっと慌ただしいままだ。

 僕はそのことにやっと違和感を覚えた。そしてゆっくりとその理由を考える。けれど、僕はいまだにこの慌ただしさの理由を知らないでいる。

 色々と考えられる限りの思考を巡らせては見るけれど、残念ながらこれといった明確なものは思いつかない。

「催しは昨日で全部片づけ終わってるし、明日また何かあるわけでもないよな」

 一応口に出しては見るものの、それも自分の中で否定されてしまう。

 この状況がだんだんと不安に感じてしまい、それが邪魔してさらに思考が上手くまとまらなくなっていく。

 自分を落ち着けるように、一度目を瞑って深呼吸する。

「すーふぅーはーぁ~」

 そしてさっきまでのことを思い返す。

 お昼に庭園へ出てみんなを待ってたけど、結局誰も来なかった。しばらくしてシエルはどこか不安そうな様子で僕のことを迎えに来て、そのままラミアの部屋へと二人で行った。みんなでサンドウィッチを食べて、その後は特に何事も無かったようにして部屋に帰って、

「あの時、何か話そうとしてたよな。」

 と、そこでそのことを思い出す。

 このままここにいて悶々と答えの分からないことを考えているのも嫌なので、僕はもう一度ラミアの部屋へと向かう。

 部屋の前まで行き、扉をノックする。

「はい」と言う返事と共にラミアが扉を開ける。

「ごめん、さっきのことなんだけど、」

 僕は少し焦って彼女に問う。

「さっきのこと?」

ラミアは突然のことに少し困惑しながらも「とりあえず中に入って」と言い、僕は促されるまま部屋の中へと移動する。

 そこではシエルがまだぐっすりと眠っていた。

 ラミアは首を傾げて今の質問をもう一度促す。

「急にごめん。ここでサンドウィッチを食べる前に何か言おうとしてたでしょ。結局それを聞きそびれたままだったから。」

 彼女の言葉を聞かないまま僕はまとまりのない質問を続ける。

「お昼に庭でみんなで食事しようって言ってたのが中止になったり、城内がずっと慌ただしかったりするのって何か関係あるのかなと思って、」

そこまで言うとラミアも僕の質問の意図を理解してくれたようで、それらの理由を話し出す。

「それが今日城内で、」

 言いかけたその時、


   バァッッッーーーンンッッ

   ボォォォオォーンンッッッッ

   ダォッッッッッンッ


「うわーーーぁーー」

「オォーーーォオォォーーー」

「あ˝あぁぁーーーーぁ˝あーーーー」

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――。

 思わず耳を塞ぎ込んでしまうほどの強烈な爆発音が部屋中に響く。そしてその中から怒号とも叫び声とも、あるいはその両方が混在したとも取れる悲痛な音が聞こえてくる。

「何?」

 不安な表情のラミアを無意識に抱き寄せて周囲を見渡す。

「びっくりした。何?今の大きな音、」

 飛び起きてベッドの上に立つシエルと目が合う。

「分からない。いきなり大きな音がして、」

 シエルはこちらに駆け寄り、ラミアの肩を抱く。

 僕は少しでも状況を確認しようと、カーテンを開けてそこから窓の外を見る。暗がりでよく見えないが、近衛兵の人たちが何かと交戦している様子がある。

 何かの演出や、リハーサルか。そんなはずない。現実逃避でバカなことを考えるな。どう考えてもただ事ではない。

「ホップ?」

 後ろでシエルが静かに問う。

「とにかくここにいると危険だ。一度外に出よう。」

「うん。」

「ええ。」

 二人とも理解を示してくれたようで、ラミアはその場で靴を履き替えて準備を整える。

「僕も準備する。木刀とか、無いよりはましだから。」

 そう言って部屋の扉をそっと開く。

そこにはまだ誰もいないようだ。

そのまま自分の部屋にある木刀を掴む。杖とジルマーナ先生の授業のノートそれと、読みかけていたその絵本をカバンに入れる。

「お待たせ。」

震える心を何とか落ち着かせて、僕は守るべき二人を見た。

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