第11話

窓からのぞく空は、まだ雲を泳がせながら大地を照らしている。そこにある凪いだ空気は平和そのものだ。

 その景色が望める部屋には一人の少女がいた。

ラミア・シャイナルド。

 この国の第一王女である。

 手入れされた長く美しいシルクのような髪が特徴的な少女だ。少女とは形容したが、その容貌や厳かな佇まいは大人の女性と言っても差し支えないほどに洗礼されたものだ。周辺の国や地域などに出向けばそれを目にした人々が一度は彼女の背中を振り返るほどである。

 実際小国の王子や富豪の家系まで、いままでに何度か求婚の申し入れがあったとか、なかったとか。もちろん彼女自身まだそういった年齢でもないので、一旦は保留ということで体よく断っているようだ。

 

私は窓から見える庭園を見下ろして、今日の昼時の楽しい時間を想像していた。

「お弁当を作ってお庭に出てみんなで食べるのなんていつ以来だろう」

 みんなが笑って楽しそうにしているところを想像すると自然と笑みが零れる。

「今日はホップに感謝しなくちゃ」

 私はそれからしばらくここでこれからどんなお弁当を作ろうかと考える。そしてそれらを決めると身支度を整えてキッチンへと向かった。


 私がそこへ着くと、大理石を用いて作られた高級感のあるキッチンの調理台の一角にはすでにたくさんの食材や調味料が並べられていた。

 それらはどれも色鮮やかであり、素人が見ても質の良さが分かるようだった。

 私は首を傾げて、それらを見つめながら近づく。

そしてその前に立つと、私に気づいたのだろう、そこにいた一人のご老人が声を掛けてくる。

「お嬢様、お待ちしておりました。」

 私もその声に振り返り、姿勢を整えて丁寧にあいさつする。

「こんにちは、ベルミルさん。」

 彼もそれに対してきれいにお辞儀をする。

 

 彼の名前はショーク・ベルミル。

 物腰の柔らかい人で、年齢は国王グレードや従者セバスティスたちよりもやや上と言ったところだろうか。

 しかしながらこの城のキッチンを任されているシェフであり、ここに在籍するコックで彼の右に出るものはまだまだいないようだ。そのため、日々調理子こなしながらも若い才能を開花させることにも努めている。

 背丈は少々低いが、それを感じさせない威厳が感じさせる人物だ。

 

「こちらの食材、準備してくださったのですか。ありがとうございます。」

 私はその場の状況から察したことを踏まえてお礼を言う。

「はい。つい先ほどグリフィルド殿から聞きましてな。」

「そう。セバス爺が」

「それで、私のほうで勝手ながら必要になりそうなものを見繕って事前に準備をさせていただきました。」

 物腰柔らかい口調でベルミルさんは丁寧に言い終える。

「わざわざありがとうございます。」

 私もそれに応えるように言葉を返す。

「ところで、」

 そう言ってベルミルさんは少しばかり辺りを見渡す。

「本日はお嬢様お一人で行われるのですか?」

 そして少し不思議そうに首を傾げてそう言った。

 それに対して私は他意なく肯定する。

「ええ、そうです。」

「そうでしたか。もしかしたらシエル様などもご一緒かと思いまして」

「そうね。本当は彼女も一緒にできたらよかったのですけれど、あまりこういうことは好きではないみたいなので。」

 私は、どうしてか少し寂しそうな表情でそう返す。

「私も何かお手伝い致しましょうか?」

 その様子を見たベルミルさんは気を利かせてくれたのか、お手伝いを申し出てくれた。

「いえ、そんな。今日は私が突然無理を言って、ここを使わせていただくのですからそれだけで十分です。」

 私は体の前で大げさに両手を振りながら応える。

「そうですか。」

「はい。……、」

 そして私は少しの間を開けて、

「今日は自分で頑張ってみたいと思うんです。」

 俯きがちにそう言った。

それが少し恥ずかしくて、それを悟られないようにするために私はその場で思い付いたような言い訳を口にする。

「それに、ベルミルさんのような人の横で私のような素人がお料理をするのも何だか恥ずかしくって……。」

聞きながらベルミルさんは静かに頷く。

「だから、その……。」

 そして、そこに助言の言葉を付け足す。

「その気持ち、大切だと思いますよ。」

「え?」

 言われた私は唐突なその言葉に首を傾げる。

「何のことですか?」

「これは私個人の思いですが、料理をする上で、今お嬢様が言われた言葉の中にあるお気持ちはそれだけで最高の調味料です。」

「私が今言った言葉、?」

そう言われても、私はまだベルミルさんの言葉の真意が掴めずにいる。

そんな私に彼はもう一言ヒントを与える。

「お嬢様はどうして、ご自身で料理をお作りになりたいと思われたのですか?」

 言われて私はその場で少し考える。

 そして考えた末に見つけた答えを少し恥ずかしそうに伝えた。

「私は、私の作った料理でみんなに喜んでほしくて。だから、ベルミルさんに手伝ってもらうとそれはどこか嘘になるような気がしてしまって。」

 言い終えて、私は彼に頭を下げる。

「ごめんなさい。」

「ほっほっほっほっほっほっ」

 それを聞いたベルミルさんはわざとらしく笑う。

「お嬢様も意外と素直ではないですな。」

 そう言って私に笑いかける。

「しかし、それだけ大きなものを持っておられるなら安心だ。」

 その言葉に私はもう一度首を傾げる。

「何を隠そう、私もそのおかげで今の妻と出会うことができましたのでな。」

そこまで言われるとさすがに私も彼の言わんとすることを察して、先ほどよりもさらに顔を赤らめてしまう。

「そ、そんな、別に私は、」

「ほっほっほっほっほっほっ」

 彼は腕を後ろに回し、背を逸らすようにして目の前にいる私を少しばかりからかうように穏やかに笑う。

「大事なものが何かお分かりになられましたかな。」

「分かりました。分かりましたから。」

 そう言って恥ずかしがる顔を見られないように両手で顔を覆う。

「少々度が過ぎましたかな。」

 ひとしきり笑い終わった彼は体勢を戻す。

「もう、からかわないでください。」

「申し訳ない、老いぼれの冗談に付き合わせてしまいましたな。」

「本当ですよ。」

 しかし、とベルミルさんは最後に続ける。

「それ以外のことは本当ですぞ。お嬢様がここに来て料理を作りたいと思ったその気持ちが本当に一番大切なことです。」

 私はもう一度その言葉を受け取る。

「『誰かのために』と、その思いで始めたことに時々間違いはあっても嘘はありませんからな。」

 言い終えると彼は一歩引いて、

「後は無用な手出しは致しません。今のその気持ちのまま頑張ってくださいませ。もし何か分からないことなどあればすぐに呼んでください。」

そう言いながら踵を返す。

私は今の言葉を頭の中で反芻する。

「あの、ベルミルさん。」

「はい?」

「一緒にお料理、手伝っていただけませんか」

 振り返ってくれた彼はとても嬉しそうに笑っていた。


 私は部屋で考えていたメニューのメモを取り出して調理台の上に置き、それと横に置かれた食材とを見る。

「こういう時の定番としてサンドウィッチを作ろうと思います。」

「うんうん。いいと思いますぞ。」

「あまり難しいものはできないけれど、たまごとハムと野菜と、」

「いいですな。」

「それからこの前フルーツサンドというものを知ったのですけれど、そう言うのもできるでしょうか?」

「できます。できます。」

「はい。分かりました、頑張ってみます。」

「これでもこの城一番のコックとしてシェフを任されていますのでな。大船に乗った気持ちでやりましょうぞ。」

 ベルミルさんは腕にグッと力を入れて冗談めかして笑う。

「よろしくお願いいたします。」

「では、早速一品目から作りましょう。」

 こうして私たち二人は早速調理を始める。

 まずはお湯を沸かして、そこにたまごを6つほど入れて茹でていく。

「茹でる前に殻に少しだけヒビを入れておくと、後で殻を剥く時に比較的簡単に割ることができますぞ。」

 たまごが茹で上がるのを待つ間に、次は野菜の準備。レタスを根元の方から丁寧に捥いでいく。

「根元の方は砂など汚れが残っていますからよく水で流してくださいな。」

「はい。きちんと洗えました。」

「よろしい!では、適当な大きさに手で千切って少し水に浸しておきましょう。」

「次はハムの調理です。」

「これも何か手を加えるんですか?」

「そのままでもいいのですが、少しだけ両面を焼く方が香ばしくなっておいしくいただけるかと思います。」

「そうなのですね。やってみます。」

「ではフライパンを準備しましょうか。」

 そう言ってベルミルさんは卵が茹でられている横のコンロにフライパンを置き、少しの間火にかけて全体を熱していく。

「そうしたらそろそろたまごの方が茹で上がる頃合いなのでお湯から上げましょう。」

「はい。」

 彼にそう促された私は少々焦りながらもたまごが茹でられていた鍋を火から上げてシンクにお湯を流す。

「それではこちらでハムの調理を行いましょう。」

 そう言ってベルミルさんが私を手招く。

 私は緊張しながらトングで、適当な厚さにスライスされたハムを掴む。

「そんなに緊張なさらずとも大丈夫ですぞ」

 ベルミルさんはその緊張をほぐすように優しく後ろから私に声をかける。

「はい…。」

「大丈夫です。」

「ちゃんと見ていますから」

 私はハムの表面にきれいな焼き色が付いたところで、それをフライパンから引き上げる。

「さすがですお嬢様!いい具合ですぞ。」

 私はほっと一息ついて胸を撫で下ろす。

 一応断っておけば、私は料理に関してそれほど不得意というわけではない。むしろ好きなことなので、今日のように時間の取れる時には積極的に行っている。それでも…、

「久々なのもありますけど、やっぱり見られていると緊張します。」

 緊張からか、そんなことを吐露する私をベルミルさんは変わらず穏やかな表情で見る。

「では次はたまごの殻を剥いていきましょう。」

 私は再びシンクへと移動する。

 そしてしばらく無言の時間が経過する。そして、

「ふぅ、終わりました。」

「お疲れ様でございました。」

 その後、たまごをボウルに移して適度に潰した後、数種類の調味料で味を調えていく。

「ベルミルさん出来ました」

 そう言って私は出来上がったものをベルミルさんの前へと差し出す。

「はい。では一口。」

 ベルミルさんは手に持ったスプーンでそれを一さじ掬って口へと運ぶ。

「ふんふん」

 私はその様子を静かに見る。

「どうですか?」

「さすがはお嬢様!完璧でございます。」

 私を安心させるためか、ベルミルさんは少し大げさなくらいに両手を叩いて頷きながら、私を褒めてくれた。

「ありがとうございます。ベルミルさん。」

 それに対し、私は気恥ずかしそうに返事をする。

「それでは次はいよいよフルーツサンドの方も作っていきましょうかな!」

「はい。お願いします。」

 そう言って私は今一度表情を引き締めつつ、笑顔で答える。

「ではまずは使用するフルーツを決めていきましょうか。」

 私はもう一度用意してもらっていた食材を確認して、目に留まったものから一つ一つ順番に選んでいく。

「まずはイチゴ。それにオレンジとバナナとキウイ、パイナップルも美味しそう。マスカットも使わせてもらおうかな。」

 楽しくなってついついたくさんのフルーツを手に取る。

そして私はその手にいっぱいのフルーツを抱えながら、どこかで我に返り恥ずかしさから少し俯いてベルミルさんの方を振り返る。

「少し、選びすぎてしまったかも」

「いえいえ、そんなことはありませんぞ。たくさんのフルーツで作った方が見た目にもきれいで、美味しそうですからな。」

 私の心情を汲み取るように、彼もまた無邪気な子供のような表情になって言う。

「そうですね!」

 私は抱えたフルーツをシンクに置き、表面を一つ一つきれいに洗う。

「これらは特別何か調理をするということもありません。まずは適当な大きさに切り分けていきましょう。」

「はい。」

 私はフルーツ用の小さな包丁を手に持って、手際よくフルーツを一つずつ丁寧に切り分けていく。

「切り終わったものはペーパーを被せて水気を取るようにしましょう。」

「バナナはすぐに表面が黒ずんでしまいますから、なるべく後からにしましょう。」

「キウイはスプーンを使って皮から剥がすとキレイに取れますぞ。」

 そして適宜指導を受けながらすべてのフルーツを切り分けた。

「何とか全部終わりました。」

「頑張られましたな。」

「すごいですよね、みなさん。」

「ん?」

「大変なことなのに毎日一生懸命に頑張っていてすごいです。」

「そうですな。しかしながらいつの時も、必要としてくれる誰かのために頑張るというのは尊いものです。」

 ベルミルさんはそう言い、改めて私の方を向く。

「そしてそのように他者の加護を受けていることに目を向けられることもまた、私は同じくらい尊いものであると思いますよ。」

「そうですね。私もそう思います。」

「ふふふっ」

「ほっほっほっほっほっ」

 私たちは向かい合ったまま、お互いに微笑み合う。

「慣れないことを言うと私も少々恥ずかしくなってまいりましたよ。」

 そしてベルミルさんは冷蔵庫へと向かう。

「それでは最後の仕上げとまいりましょう。」

「生クリーム作りですね!」

 私が意気込んで材料を取りに行こうとした矢先、ベルミルさんは唐突に冷蔵庫から大きな銀色のボウルいっぱいの生クリームを取り出した。

「え、それ。」

 私は首を傾げて、それを見つめる。

 彼の方はというと、苦笑しながら手に持っているそれについて説明を始めた。

「実はですな、昨日生クリームを使おうと作った際に作りすぎてしまいましてな。こんなに余ってしまいました。」

「そうだったのですね。」

「破棄しようかとも思ったのですがそれも気が引けまして、別のところで使おうかと悩んでいたのでございますよ。」

 私はベルミルさんの言うことをそのまま静かに聞く。

「お嬢様のお気持ちを尊重したくはございますが、ここは老いぼれの意地を汲んでいただければと思います。」

 そう言って彼は丁寧にお辞儀をする。

「それはもちろん。私としても助かります。」

「ほっほっほっ。お優しいですな。」

「そんなことありませんよ。」

「優しい方には時として幸運がもたらされるものです。」

 ベルミルさんは、言いながらそれをキッチンに置く。

「頑張るのは尊いことと申しましたが、たまにはこうして誰かの肩に寄りかかって休ませてもらうことも大事です。」

 冗談めかして言われた彼の言葉に思わず私も笑う。

 こうしてついにすべての材料が揃う。

「これらは長方形にして食べやすいようにしておきましょう。」

「フルーツサンドの方は三角形に切ると断面がきれいでいいかと思うのですけれど」

「おお、それはいいアイデアですな。より美しく見せるためにもオレンジはこのようにおきましょうかな。」

「いいですね。素敵です。」

「では切ってみてください。」

 私は慎重に包丁を入れる。

「わぁ!」

「おぉー!」

 切られたフルーツサンドの断面はとても色鮮やかだった。

「これはみなさん絶対に喜ばれると思いますぞ。」

「ベルミルさんのおかげです。ありがとうございます。」

「お嬢様もよく頑張られましたぞ。」

 私たちは向かい合って笑顔で互いを称え合う。

 こうして出来上がったサンドウィッチを一つ一つ丁寧に箱へと詰める。そしてきれいに並べられたそれらを慈しむように私は最後それに蓋をした。

「また色々教えてください。」

「こちらこそ。いつでもいらしてください。」

 私はその宝箱を両手でそっと持ち、最後に満面の笑みでベルミルさんにお礼を言ってキッチンを後にした。


 私が一度部屋へ戻ろうと、廊下に差し掛かった時、ふと窓の外を見るとそこから見えた空は灰色に染まってしまっていた。

 私はその景色にどこか不安を感じて手に持った二つの箱を守るようにぎゅっと持ち直す。

「雨、大丈夫かな。」

 漠然と込み上げてくる不安を吐露するように出てきたのはそんな言葉だった。そしてどこからか押し寄せるその不安に囚われる。

 しばらくここで立ち尽くしていると、遠くの方から忙しない足音が響いてくる。振り向いた先にいたのはセバス爺だった。

 彼は険しい表情ながらもどこか安心したように私を見る。

「お嬢様、ここにおられましたか。」

 けれど、唐突に彼から告げられたのは今の私にとって残酷な現実だった。


 雨はまだ降らない。

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