第6話
僕とシエルはもう一度ラックに乗って駆け出す。
そして迂回しながら城の裏側にそびえる山を目指す。
大地に広がる草原を駆けていくと、しばらくして僕たちは林の中へと入る。そしてラックはそのまま木々を躱しながら、山道をどんどんと駆け上がっていく。
シエルはその激しい挙動に振り回されながらも僕の体をしっかりとしがみつく。
その後ろからフロートも風を操って加速し、ラックに遅れることなく追ってくる。
その険しい山道を抜けるとついに僕たちは城を見下ろす高さまで登り着いた。
林を抜けた先は少し開けており、僕はラックの背からその先にある崖を見下ろす。
下には山の麓とそこに隣り合う街の様子が見える。街の人たちの姿は小さく映る。また目線の先には気球も見え、それらの景色が今いる高さを自覚させる。
僕は何とか平常心を保とうとするが、それに反して心臓の鼓動は速まるばかりだ。
手綱を握る手には汗が滲む。
そんな時ふと、絵本の少年のことを思い出す。
彼のような強い心と勇気があれば。
そう思いながら一呼吸置き、僕は覚悟を決める。
そして横にいるフロートを見る。
「頼むよ、フロート。」
「あぁ!任せろ。俺が考えたことだからな。絶対に成功させるよ!」
その言葉に含まれる自信に少し圧倒されてまた緊張してしまう。
「肩の力抜けよホップ。もうちょっと気楽にいこう。」
フロートは不安な僕の心を察してわざとらしく笑いかける。
「う、うん。。」
胸の鼓動はまだ速い。
「もし失敗したらケガするかもしれないけど、その時はごめん。」
そう言ってフロートはわざとらしく親指を立てて見せる。
「止めてよ。不安になってくるから。」
反面僕の緊張は自然と少し解かれていた。
「冗談だよ。」
フロートは大げさに笑って見せた。
すると、そんな不安定な僕の覚悟を支えるかのようにシエルがそっと僕の身体を強く抱きしめてくれる。
「シエル?」
「ホップ。大丈夫、信じているから。」
僕はそれを聞いて、驚きながらもどこか安心する。
「うん。ありがとう。」
そう言って彼女の手に自分の手を重ねた。
僕はラックと共に、助走に必要な十分な距離を取り、改めて進む方向を振り向く。
「行くぞ。ラック!」
そして崖の近くに立つフロートの方を見て右手を大きく振り、準備ができたことを伝える。
「行くよシエル。しっかり掴まっててね。」
僕は努めて冷静に声を出す。
「うん。」
彼女がそう力強く頷いたのをその背に感じる。それと同時に僕はラックの腹部を足で叩き、疾走の合図を出す。
「ラック!!!」
それに合わせてラックは前傾になりながらその足で地面をより一層深く踏みしめて勢いよく走り出す。
ラックはその全力とフロートが起こした追い風を以って一気に加速し、崖までの距離の半分を過ぎるころには最高速度になりそのままで突き進んでいく。
僕は目を開けたまま、まっすぐ前だけを見て自身の体幹をしっかりと安定させる。そこに同シエル存在も感じながら手綱を握る手の力が次第に強くなる。
そしてついにラックのスピードとフロートへの信頼とシエルの想いを受けて、
翔ぶ!
ラックが最後に崖を全力で蹴る力はその背に跨る僕にも十分に伝わるほど力強いものだった。それによりラックは想定を遥かに超えた跳躍を見せる。
しかしそれでも城壁を超えるにはまだ届かない。
けれどそれは一瞬にも満たない杞憂だった。僕はただ後ろから放たれる彼の言葉を信じて前を向き、その瞳に光を入れる。
「まかせろって!」
確かにその声が聞こえた。
ブフゥゥオォーォォーーーー
その瞬間、風が僕たちを一瞬空へと引き上げながら前へと突き進ませる。さらに過ぎていくその風は足場のない空中に確かに道を作る。
ラックはその身に風を感じながらそれを纏うように軽やかに駆け抜けていく。
これは昔からずっと使い古されて来た陳腐な表現なんだろうけれど、そう思わずにはいられない。
僕は今まさに天馬に乗って空を翔けている。
「うわあぁぁ!すごい!!!」
突然後ろからシエルの純粋な感動の声が聞こえてくる。
「見て!見てよホップ、ほら!」
「え?!」
振り返ろうとする僕の目線を遮るようにシエルは右腕を伸ばして前方を指差す。言われるがまま僕は手綱を握る力を少し弱めて前方を見る。
「……すごい!」
そこには自然とそう呟いてしまうほどに壮大な光景が広がっていた。
今僕たちは城の中で一番高い塔よりももっと高い場所にいる。そこから見えるのは本当の意味で見たこともない光景だった。
この国とそれを取り囲み地平線まで続く雄大な大地、そこに育まれる自然。そしてその地平線から折り返すように広がる青い空が僕の視界の全てになる。
僕だけではどうしたって見えなかった、見ることができなかった光景。
それが今、自分の目の前に広がっているということに抑えきれない高揚感がどうしようもなく湧き上がって来る。
僕はこの時、いつからかずっと自分を覆っていた目には見えない透明な殻をほんの少しだけ割ることができたような気がした。
それと同時にあの絵本の最後の三行に書かれたその言葉を思い出す。
光はその希望に宿り、それはどこまでも今を未来に導く。
そしてその光はきっと未来で受け継がれ、たどり着いた先でまた新たな光を灯す。
そうして運命はどこまでも光に照らされる。
忘れていた。と、そう思っていた。
お伽話の最後の言葉が僕の心に強く響く。
そして僕はまだ不確かな希望を少しだけ取り戻す。
「なんだ、まだ覚えてるじゃないか。」
そう、自分に呟く。
「えー?何、よく聞こえなーい。何か言ったー?」
そんな僕のひとりごとにシエルは無邪気な声で反応する。
それを真似するように僕も返す。
「べつにー!何でもない!すっごくキレイだ。」
「そうね!とってもキレイ。」
そして数秒、僕たちはもう一度この景色に耽る。
「シエル、ありがとう。」
今度はしっかりと真剣な声でこの気持ちを思い出させてくれた彼女に感謝を伝える。
「え?…、あ!」
突然だったからだろう。少し間の抜けた返事だ。でも、
「うん。」
どうやらすぐに気付いてくれたようだ。
「私も、ありがとうホップ!」
今シエルの顔を直接見ることはできない。だけど分かる。
僕の後ろには、今この瞬間においては世界中で一番の歓喜と感動と幸せと、そういうものすべてを纏った最高の笑顔が広がっている。
そんな柄にもないことをこの時だけは信じた。
ラックはフロートの風に導かれるまま空中を駆け抜け、そのまま軽やかなステップを踏みながら悠々と城壁を超えて地上へと降りた。
そしてフロートも僕たちに続くように軽やかに着地する。彼は力を使いすぎた反動からなのだろうか、そのまま地面に仰向けになって寝転がった。
それを見て僕はすぐにラックから降り、彼の元へ駆け寄る。
「フロート、大丈夫?」
彼は胸の上で両手を組み、深呼吸をしながらゆっくり答える。
「あぁ…、大丈夫。こんなに力を使うのは久しぶりだったから、少し調子に乗って、やりすぎたよ。」
そう言って彼は僕の方を向いて笑いかける。
「無茶しすぎだよ。」
「大丈夫だって、ホップ」
「なら、いいけど。」
「お前は優しいな。」
「だって、」と言いかけたところで、フロートが僕の言葉を遮るように目をつぶったまま静かに言った。
「大丈夫だっただろう、今も。」
「それは、そうだけど…。」
僕は少し言葉を詰まらせる。
「ホップを見ていたら、俺もつい全力になっちゃったんだよ。」
「え…、うん。ありがとう。」
その反応を見てからフロートは急に笑い出す。
「ははははははっっ」
「な、なんだよ!」
「お前ってやつは、まったく」
「何だよ?」
「さっきの、自分は何もしてないって思ってないか?」
そう言われると確かにそう思うところも少なからずある。けれど、僕の無言の肯定をフロートは笑いながら呆れ顔で否定して見せる。
「やっぱりな。いいか、いくら俺がさっき全力でラックの下に風で足場を作っていたからって、ラックがその上をちゃんと走らないとさっきみたいに上手くはできなかったよ。」
「そう、なのかな?」
「ラックだっていつもみたいに地面を踏みしめられるわけじゃない。もしホップが不安を感じたまま合図を出して走り出していたらスピードにも乗れず、ラックとの息が合わないまま、真っ逆さまに落ちていたよ。」
そう言うとフロートは大きく深呼吸をして、もう一度静かな声で話す。
「それでもできた。それはあの場でホップが不安とか迷いみたいなものを自分自身で振り払って進むことができたからだ」
フロートはそう言ってくれたけれど僕はまだ半信半疑だ。
「まぁ、自分自身でって言われると少し微妙ではあるけど……。」
「そっか。でもいいよ。」
フロートは呟くように言うと、スッと体を起こして僕の方を向く。
「誰かの力を借りたっていい。その力を自分のものにすることができるなら、それも含めて全部がその人の力だと思う。自分じゃない誰かの力を授けられること、そしてそれを正しく授かること。ホップにはそれができるんだよ。それでも届かない時は、また少しずつそこに自分の力を足していければいい。」
「うん。」
フロートはそう言い終えた後、大きく背伸びをした。
「まぁ、とりあえずはそんなところかな。」
僕はフロートの言葉を聞いてさっきあの空の上で感じた、まだ上手く言葉にできない不確かな想いを思い返して胸にしまった。
いつかまたその気持ちを思い出してちゃんと前に進めるように。
「ありがとう。」
今度はちゃんと頷くことができたと思う。
それを見てフロートも頷く。
「それじゃあこの話はここで一旦終わり。」
そう言ってフロートは僕の後ろを見ながらクスッと笑う。
「お姫様も最後までちゃんと救出しないとケガしそうだからな。」
言われて振り返るとシエルが足をぷるぷると震わせながらそれでも両腕でラックの背中にしがみついて何とか降りようとしている。ラックはというと彼女が自分から落ちないようにせめてもの努力でジッとしている。
その姿を見て僕も不意にクスッと笑ってしまう。どうやら着地するなり安心して腰を抜かしてしまったようだ。
そんな僕たち二人の様子に気づいた彼女は少し恥ずかしそうな顔でこちらを見る。
「もう、何よ、二人とも。見てないで、というか笑ってないで早く降ろさせてよ。」
「あぁ、ごめん。」
僕は彼女の元へと駆け寄り、その脇を抱えながらそっと彼女を降ろした。
「ありがとう。何かすごく疲れた……。」
シエルは服の裾を払いながらほっとしたような声で言う。
「お疲れ様シエル。ありがとう、何とかできたよ。」
「…うん?」
僕が無意識に言った言葉にシエルはきょとんとした表情で返事を返す。
「それにしてもすごい景色だったわね。本当は誰かに話したい気持ちでいっぱいだけど、それができないのが惜しいわ。だからホップ、またお願いね!」
たぶん何気なく付け加えられた最後の言葉がなぜだかとても心に残る。
「そうだね、いつかきっと。」
不確かな言葉だったけれどその願いは絶対に叶えてあげたいと思う。それだけで僕はまた頑張れると思った。
「二人ともー。」
柄にもなくそんな感傷に浸っている横からフロートが僕たちを呼ぶ。
「一難去って一段落しているところだろうけど、早く戻った方が良いんじゃないか。ここまで来るのにもかなりの時間はかかってるぞ。」
その言葉で僕たち二人は現実へと引き戻され、急に恥ずかしくなってくる。
「、そうだよね。何とか間に合ったんだ。シエル、急ごう。みんな待ってる。」
「、そうね。急ぎましょう。」
そう言って僕たちはお互いの手を取る。
「ラック、ここまで本当にありがとう。今日はビルダさんのところに戻ってゆっくり休んで。また会いに行くよ」
そう言うとラックは小さく頷くように頭を下げて、そのままてくてくと歩き出す。
「フロートも今日は本当に色々とありがとう。また何か手伝えることがあったら言ってね。」
「うん、二人ともまたな。いつでも遊びに来てくれ。」
「えぇ、今度はおいしいお菓子やケーキを持って遊びに行くわ。って、たぶんだけどこれ言うのは今日二回目よね?」
フロートはくすっと笑い、
「ありがとう。そうだな、今度は二人で仲良く遊びに来いよ。」
一部の言葉を強調してからかうようにそう言った。
「「わかってる(わ)よ!!!!」」
僕たちの声はぴったり重なった。
「それじゃ俺はのんびり祭りでも堪能して帰るから、二人ともあとは頑張って!」
「うん、じゃあまた!」
そう言って僕たち二人はフロートと別れてその場を後にした。
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