第4話
小屋へたどり着いた僕は扉を開けてその入り口を潜る。
そして左右を見渡しながらある一頭の白い馬を探す。しかし、そこにいる馬たちはみんなきれいな茶色い毛並みの馬ばかりだ。
小屋の中で彼らは口をもぐもぐしながら牧草をおいしそうに食べている。するとその内の一頭が僕の存在に気づいてくれたので、近づいて顔を何度か撫でた。
「メルウ、たくさん食べるんだぞ」
話しかけると、その馬は嬉しそうに鼻を鳴らして僕の顔を舐めた。
「こらこら、やめろよ」
そうしてひとしきり触れ合いを終える。
「じゃあ、またね」
そう言って、その馬の顔を最後にもう一度撫でてまた小屋の中を見渡す。
だが彼はここにはいないようだ。
「裏の方にでもいるのかな?」
言いながら僕が小屋の奥の方まで進んでいると隅の方で誰かが一人せっせと鍬を振っているのが見えた。
僕はその男性に声を掛ける。
「ビルダさん!」
男性の名前はビルダ・グッド。
少々ふくよかな体系をした中年の男性で、いつも笑顔。その身体から溢れる優しさが特徴だ。
この城の裏側にある小さな牧場でたくさんの動物たちのお世話をしてくれている。
「おーい。」
その男性の名前を呼ぶと、彼は小屋の入り口に立つ僕に気づいて首に巻いていたタオルで額の汗を拭う。
「はぁ、はぁ、」
ビルダさんは僕に気づくと大きく息をしながらこちらへと向かってきた。
「おぉ、これはこれは坊っちゃん。」
「ビルダさん、こんにちは。」
「はい、こんにちは」
ビルダさんはその見た目通りの優しい口調であいさつを返してくれる。
そんなビルダさんにこれから少々嘘をつかなければならないことには少し罪悪感がある。しかしそんなことを言ってもいられない。僕は単刀直入に彼に要件を伝える。
「どうかされましたかい?」
「あ~その、今から少しだけ街の方に行かないといけなくて、ラックを連れていきたいんだけど大丈夫?」
ビルダさんは顔から滴る汗を拭いながら、少し驚いた表情で僕を見る。
「ほう、今からですか、それはまた急ですね?」
「ダメかな?」
「いやいや、そんなことはありませんよ」
「ありがとう。早速だけどお願いします」
僕は焦りからビルダさんを急かすように言う。
しかし、ビルダさんは何かを危惧して顎に手を当てて言う。
「ラックを連れて行くのは構いませんが、何かの荷物を運んだりさせるおつもりで?」
「まぁ、それもあるけど…、」
「大丈夫ですかね。今日は街中お祭り騒ぎで、人も普段とは比べ物にならないくらい混雑しているようすですよ?」
「そうみたい。」
「そうするとラックに乗っていくのは少々不便じゃないですかい?」
全くもってその通りだ。けれど、
「運ぶものがね、意外と大きいんだ。」
「それなら仕方ないですが、」
ビルダさんは目の前の嘘つきを真剣に心配してくれる。
「それならあいつが引ける荷台も用意しましょうか」
「いや、そこまでは大丈夫、大丈夫…。」
その優しい提案を僕は慌てて止める。
「そうですか?」
そう。だってこれから僕が向かう先は人々が賑わいを見せる街ではない。
その端にある小さな家。基、そこに住む青年のところだ。だから実際には全く不便じゃない。むしろ一刻も早くそこに向かうためにラックの足が必要だ。
そして帰るときにはもう一人、そこにいる彼女を連れ帰らなくてはならない。そのため、ラックと一緒に向かうというのは今回の絶対条件となる。
「午後からは天空教会の人たちがこの城に来るみたいだから、なるべく早く用事を済ませて帰ってきたいんだ。だから少しでも早く戻るために、ラックに乗っていく方がいいと思って、」
それを聞いたビルダさんは何となく納得しながら僕の話を聞き、 そして持ち前の穏やかな表情と共に頷く。
「わかりました。では、連れてきますので入り口で待っていてください。」
ビルダさんはそういって小屋の裏へと向かった。
僕は一応の話を終えたことにほっとしつつ、ビルダさんとラックが来るのを小屋の入り口で待った。
ビルダさんとラックは数分もしないうちに小屋から出てきた。
「ラック!」
僕はその白い馬の名前を呼び、そして彼の元へと駆け寄った。
その白馬は凛とした佇まいで僕を迎える。
そのため、さっき小屋にいた馬のように喜びの感情を前面に出すようなことはしないが、それでも僕の姿を見ると少し嬉しそうな様子で静かに寄ってきてくれた。
「久しぶりだな。元気だったか?ごめんな、最近会いに来れなくて」
ラックは静かに僕を見る。
それを横で見ていたビルダさんがからかうようにラックの腰を叩く。
「相変わらずクールなやつだな。もっと喜べ!」
「さっき坊っちゃんの名前を言ったときはあんなに嬉しそうにしてたじゃねえか。ほんとはお前も久々に坊っちゃんに会えてすごく嬉しいんだろ!」
そう言ってラックの気持ちを代弁する。
ビルダさんの言葉を聞いたラックは少し照れくさそうなそぶりを見せた。
しかし残念ながら今はこの感動に浸る時間がない。
「じゃあ、あまり時間もないからそろそろ出発するよ。」
そう言い、早速僕はラックの背に跨る。
「はい。気を付けて行ってらっしゃい」
僕は後ろからラックの顔を覗き込む。
「来て早々いきなりで悪いけど、フロートの家まで頼むよ。」
僕はラックの頬を撫でながら目的地を伝える。すると彼は頷くような動作を見せる。
「よし行くよ、ラック!」
そう言って僕は出発の合図をする。
僕はビルダさんに「ありがとう」と一言伝えて手を振る。
そして前に向き直りラックと共に街へと駆け出した。
この国は僕たちの住む『ガルディア城』を中心にして周囲に街が広がるように展開されており、その端を大きな塀が囲む城郭都市のようになっている。そのため、城の近辺には多くの家屋や建物が立ち並び、そこではたくさんの人々が日々生活している。
城を出てしばらくすると街は普段以上の賑わいを見せていた。
そこには人々の大きな笑い声や明るい曲長の音楽などで活気に満ちており、まさしくお祭り騒ぎだ。
僕は普段とは違うその様子に圧倒される。
「すごい人だな。ビルダさんの言ってた通りだ。」
なるべく人混みの少ないところを通って行こうと考えていたけれど、どうやらそれは少し考えが甘かったらしい。
ラックに乗ったままではとても移動できそうにない。
「よいしょっと、」
僕は鐙(あぶみ)に足をかけて一度ラックから降りる。
「仕方ない。人が少なくなるところまでは少し歩いて進もう。」
僕はそうラックに告げ、手綱を引いて歩くことにした。
少年とそれに引かれる一頭の白馬。その組み合わせはどうしたって人々の注目を集めてしまう。そのため、あちこちから声が聞こえてくる。
「おかあさーん、みてみてー、しろいおうまさんがいるよー」「本当ね。」
「立派な馬だなぁ」
「ねぇ、見てあの馬。きれいよ」
「向こうでやっていたサーカス団の馬か?」
「城で飼われている馬にあんな色のやつがいたような?」
まずい。白い馬というだけでかなり目立っている。でもここで正体がばれたらさらに注目の的になる。僕は顔を隠すようにさらに深くそのフードを被る。
そう思いながら足早にその密集した場所を抜けようとした矢先、どこからともなく美味しい空気が漂ってきた。
お菓子や果物の甘い匂いが僕の鼻をかすめる。
その匂いがする方を振り向くと、そこには普段の食事の場ではあまり見かけないようないろいろな食べ物を売る屋台がところ狭しと立ち並んでいる。
その中の一つに視線を向けると、溶かしたチョコレートやキャンディにフルーツを潜らせたものがきれいに並べられている。チョコレートの方にはさらにその上からさらに装飾がなされていて、キャンディの方はそれ自体が宝石のようにキラキラしている。
「何だろうあれ?初めて見るな。おいしそう」
また別の方に目をやるとアンティークな小物や様々な宝石を使用した装飾品を売るきらびやかな雑貨屋が目に留まる。
あの赤色の宝石、シエルが好きだろうな。
あっちの白いやつはラミアが好きそう。
あの変な形の置物は父様の部屋に同じようなものがあったような……?
横のやつはセバス爺が持ってそうだな。
他にも数多くの露店が出ていて、その中には最後尾がわからないほどに長蛇の列を構える店もあった。
おもちゃを売っているところでは小さな男の子が母親にそれらをねだっている。
また、その奥で賑やかな音のする方に視線を移すと、中央に用意された大きな舞台の上でピエロやマジシャンといった、曲芸師の人たちが思わずアッと驚くようなものから見ているこっちがヒヤヒヤするような様々な芸の数々をひっきりなしに披露して集まった人たちを絶え間なく楽しませていた。
「おぉー、すごぃ。」
無意識に声を出しながら自然と小さく拍手をする。
華やかに人々の注目が集まるその横に視線を移すと天空教会の人が集まった人に向けて、厳かに教会の理念や教えを丁寧に説く姿があった。そこに集まった人たちは、みんなそれぞれ話に耳を傾けていて中には感極まったのか涙を流す人さえいた。
僕は次々と視界に飛び込んでくるそれらの光景に目移りし、ここにいる目的も忘れてつい歩みを止めてその様子に見入ってしまう。
そんな僕の様子を見てラックは諫めるように「フンッ」と鼻を鳴らして少し強めに鼻先で僕の背中をつっついてきた。
僕は、はッとなってラックの方を見る。
「あ、ごめん。ありがとう。そうだね、早いところここを抜け出してシエルを迎えに行かないとね。」
僕もまだまだ子供だよな。と思いつつ、苦笑しながら歩きだす。
と、次の瞬間
ドンッ!
正面から歩いてきた人と肩が大きくぶつかってしまった。
「っごめんなさい!」
僕はすぐさまその人の方を振り返り謝る。
その人は白い生地に所々シンプルな装飾が施されたローブを身に纏っていた。その服装からして、どうやら天空教会の人だということが窺えた。
しかしその白い衣から不意に見えた彼の瞳は見たものを世界の裏側に吸い込んでしまいそうなひどく黒く冷たく暗いものだった。
瞬間、急に寒気がして身震いしてしまう。それと同時に胸が締め付けられるような激しい怯えを感じた。
僕がその場でほんの一瞬硬直していると彼もまた僕の方を見る。しかし自分の顔は隠すように俯いたまますぐにこくり、と頭を下げる。
「いや、こちらこそ不注意だった。すまない。」
そう暗い声色で告げる。
「いえこっちこ……、」
と僕が返事をする間もなくその人はそのまま人混みの中へ消えていき、あっという間に姿は見えなくなってしまった。
そして一呼吸置き、気づくといつの間にか先ほどまでの胸を締め付けられるような感覚はなくなっていた。
ラックなそんな僕の様子には気づいていないようだった。だからだろうかまたも呆れたように鼻を鳴らす。
そしてもう一度ラックに背中を押された僕は躓くように足を一歩前に出しながら前屈(まえかが)みになり、ラックの方を振り返って苦笑いをした。
そうこうしながら僕とラックはようやくさっきまでの喧騒の輪の中から解放された。
一度大げさに肩を上下させて深呼吸をする。
「はぁ、やっと抜け出せた」
そんな謎の達成感を感じて思わず背伸びをしてしまう。と、その先で、ジッとこちらを見るラックと目が合う。
ゴホンッ!とわざとらしく咳払いをする。
「わ、わかってるってば、早いとこシエルを連れて戻らないとね。さぁ、ここからはよろしく頼むよ、ラック!」
そう言うとラックは少し得意げな表情を浮かべる。僕は再びラックに跨ってその手綱をしっかりと握る。
「よし、行こう!」
その掛け声を合図にラックは5,6歩ほど軽い助走をつけると、そのままスピードを出してまさに風を切るように駆け出した。
ラックはどんどん加速し、その速さから見える景色は目まぐるしく変わっていく。
視界にはさっきまでとは打って変わって広大な自然が広がって見える。辺りがほとんど緑一色になったくらいで後ろを振り返ると街やその中心に構える城でさえも遠くに小さく映った。
うるさいくらいに鳴っていた楽器の音もほとんど聞こえない。
花火だけはまだまだ鳴り響いている。けれどそれももう気にならない。
唐突に始まった非日常的な体験に慣れてきたところだったけれどそれももう終わり。前を向くとまもなく彼の家の屋根が見えてきた。
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