第3話

時は少し遡る。


 先のことで、僕は部屋でひとり落ち込んでいた。

「はぁー~、」

 先ほどから定期的にわざとらしく深いため息ばかりが出る。

「何やってんだよ。僕は、」

 そうして同じ思考が頭の中を支配する。

 シエルとけんかをしたのなんて後にも先にも、もうずっと前のことだ。それにけんかの内容なんておおよそ子ども同士がするような他愛ないものだったから時間が経てばお互いにその原因なんかすっかり忘れて、また何事もなかったかのように笑い合っていた。

 だけど、今回は少々たちが悪い。

昔のように、適当に時間が経ったら解決。

と言うわけにもいきそうにないので、僕はあまり回っていない頭の中でシエルを上手く宥めるための何かいい名案が浮かぶのを待った。


   カチッ カチッ カチッ カチッ カチッ


ただただ時間だけが少しずつ足を進める。

――――――――――。

 この空間においては自分だけが取り残されているように感じる。


   タッタッタッタッ

   ドンッ ボンッ

   カンカンカンカンッッッ

   サーッサーッサーッ

   ポンッポンッポンッ ポポンッ


しかし、僕のそんな気分をよそに廊下側や窓からは城内外からの慌ただしくも賑やかな音の数々が鳴る。

 うるさい。

今の僕にはそれが只々辛く響いた。


今日は天空教会の人々がこの国に訪れている。

人々が多少にも浮かれるのも当然だ。

しかしその世界に入り込めない自分が情けなかった。

そうして沈み込む中で何気なく天空教会のことについて考える。

天空教会とはその名の通り『空』を信仰の対象とした宗教組織だ。昔から『空』に対して信仰心のある人は一定数いたみたいだけれど、それを天空教会の教祖であるゼルスという人が中心になってまとめていった結果今の集団として成り立っていったらしい。

天空教会は決まった所在を持たない。

その代わり世界の各地に拠点があり、その地域に間借りするような形で礼拝堂のようなものが設けられている。そして天空教会に所属し、各地で布教活動をしている人々などはその場所で寝泊まりすることもあるらしい。

彼らは基本的には今回のように世界の各地を回って『空』というものの素晴らしさを伝え説き回っている。

加えて、そこからもたらされる暖かな日の光やそれらにより育まれ芽生えた木々や草花、それによりもたらされる大地の恵みなどについても説き、人々が世界への感謝の心を持ち続けることを目的に活動している。

加えて近年ではその教えを説いて回るだけに留まらず、人々の生活をより豊かにするための活動にも大きく尽力している。

その成果として彼らが世界に貢献したものの一番の代表としては『気球』というものが挙げられるだろう。

今日も彼らはそれに乗ってこの国を訪れており、今も数機浮かんでいる。

それまでの人々の主な移動手段はその国やその地域独自のもので様々だが、一言で言ってしまえば地上を移動するという方法だけだった。

しかし、地上の移動には難が多い。

一歩城郭の外に出れば、広大な自然が広がっており、そこには人の背丈よりも高く生い茂る草木や高くそびえる岩山、そして突如として襲い掛かってくる獣の群れなどのさまざまな難所や危険が待ち構えている。

と人から聞いたり本で読んだりしたことがある。

しかし、天空教会によって『気球』が発明され、それを人々が利用するようになってからは、人の移動や物資の搬送が簡単にできるようになった。

気球に乗って空高く飛んでしまえば、行く手を阻んでいた草木や岩山を簡単に超えて何にも遮られることなくまっすぐに目的の場所までたどり着ける。

また、地上では道中常に警戒を強いられていた獣たちに怯えることもない。

 これにより人々の生活の利便性は飛躍的に向上した。

 他にも語ることはあるが、こうした活動の成果によって天空教会という組織は人々の信頼と支持を獲得していった。

昔と比べても信仰者の数はだんだんと増えているという。それに「空」というものに感謝するという共通の思想は大小みんなが持ち合わせている。

そのため今回のように国を訪れた際には国中がその来訪を祝福し、歓迎されて、場所によっては今日のようなお祭りが開かれる。


 そんな時ふと考える。

 打算なく信じられるものがあるというのはどんな感覚何だろう。

毎日を力強く生きるための指針を示してくれるもの?

 塞ぎ込んでしまったとき、手を差し伸べてくれるもの?

 倒れないように後ろから背中を支えてくれるもの?

 絶望から自分を救ってくれるもの?

 考えたってどうしようもないことで現実逃避する。

 そして机の上の時計を見る。

「……そろそろ準備しないと、か」

 僕も一応は一国の王子という立場にあるため、今日は午後から城内に招かれる天空教会の人たちとの会談に参加することになっている。

 そのため早々に正装に着替えて会談が行われる部屋に向かいで教会の人たちを出迎えれるように準備をなければならない。

しかし僕は先のことで全くと言っていいほどに頭が回っておらず、気分も完全に沈んだまま。未だに無気力に脱力したまま椅子に座り、机に突っ伏していた。

「はぁ、……」

またため息がこぼれる。

「何であんなこと言っちゃったんだろう」

 言って思い出すと、延々とそのことばかりがまた頭の中を駆け巡る。

「シエルはあの本を読んで、ただ単純に好きっていう気持ちを伝えてくれていただけだったのに、」

 そんな自分にイライラして両手で頭を掻く。

「……、どうやって謝ろうかな。」

 しかしながら、そうしたところで具体的な名案は閃かれることない。

時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 僕は机に置かれた時計をもう一度チラッと見る。

さすがにまずいと思い体を起こす。

そして、机に両腕を突いて体重を支えながら、なんとか椅子から立ち上がった。

気が重いけど、しかたない。

 僕はクローゼットに向かい正装用の服を取り出す。

 そしてその服に着替えようとした時、


   コンコンコンッ!


 部屋の扉がノックされる音が聞こえた。

僕は突然のことに慌ててとりあえず返事を返した。

「どうぞ」

すると扉アの向こうから声がした。

「ホップ、入るわね?」


ギィーーイィーー


 そして静かに扉が開く。

 そこにはもう一人の少女が厳かに立っていた。

「あぁ、ラミア。おはよう。」

 彼女に目で合図して部屋へと招き入れる。その時、いつものことながら最初にまずそのキレイな髪が眼に留まる。腰の高さまで伸ばされたその金色の髪は毎日丁寧に手入れされているのが僕にも分かる。平凡な表現だけどまるでシルクのように美しい。

そしてその容姿は端的に言ってシエルを少女から女性に引き上げたような雰囲気だ。それに伴ってシエルにはまだ足りない気品というものが見て取れる。

 僕が無意識に頭の中で彼女への感想を並べ立てていると、

「ホップ?」

 ラミアは少しばかり困惑した表情でゆっくりと僕のもとへ歩いてくる。

 それに気づいた僕は意識を目の前の彼女に戻す。

「どうかしたの?」

するとラミアはその表情のまま話し始める。

「シエルがどこにいるのか知らない?」

「えっ!」

 唐突にその名前を聞いた瞬間、僕はドキッとして、反射的に口から音が出る。

「ホップ、どうかしたの?」

「あ、シエルね。さっきまでこの部屋にいたんだけど、ちょっと前に出て行ったよ。その後どこに行ったかはわからないな?」

 事実を伝えているのだけれど、後ろめたさもあるので半ばそれを誤魔化すように答える。

「シエルがどうかしたの?」

「さっきから探しているのにどこにもいないのよ。」

「そっか、」

「午後から会談があるというのに、あの子ったらどこに行ったのかしら?」

 少しの怒りと、困惑の感情が伝わってきた。

「庭園の方にでもいるんじゃないの?」

「そう思って探しに行ってもらったのだけれど、そこにはいないみたいなの」

「そぅ、なんだ」

それを聞いて脳裏に不穏がよぎる。

「たまに一人の時は大体あそこにいるのにね?」

 シエルは普段あまり庭園に行くことはない。けれど、何か嫌なことがあって落ち込んでいるときに限っては庭園で一人になっていることがある。

 だから今回もあんな風に部屋を出ていったからおおよそ庭園にでも行ったものだとばかり思っていた。

 しかし彼女がいないという事実が不安を煽る。

 額にいやな汗を感じつつ、焦りで息を吞む。

「今日は大事な日だから、きちんと自分の準備はしておくようにとあれほど言っていたのに!」

 そんな僕をよそにラミアのお小言が始まる。

「まったく、あの子は。しっかりしているようで、こういう肝心な時に限ってみんなを困らせるんだから。もう少しこの国の王女であることの自覚を持ってもらわなければ困るわ!」

 ラミアは声を荒げるわけでもなく、しかし静かに怒りをあらわにする。それに伴い彼女から困惑の表情は消えてそれはだんだんと険しいものになっていく。

まずい。

 僕はこの事態の一端を自分が招いたということに薄々気づきつつも、それを今この場で彼女に伝える勇気はなかった。

 しかし、今のシエルの行先についてもう一つだけ心当たりがあった。

「城の中じゃないとすると、もしかして」

 小声で漏らした言葉にラミアが反応する。

「ホップ、何か言った?」

「何でもないよ」

 考えていても仕方ない。

 僕は何とかこの状況を打破しようと、半ばはったりを利かせるようではあるけれど、なるべく心配をかけないように彼女に言う。

「まだ会談までは時間があるし、僕も探してみるよ」

「えぇ、お願いね」

 と、言いつつラミアは僕が一瞬見せてしまった不自然な自信に気づく。

「ホップ、」

「え、何?」

「シエルがどこにいるかわかっているの?」

「そうじゃない、けど、時間もないし僕も頑張って探そうかなーって」

「そぅ、ね!」

 ラミアはそのまま部屋を出て戻って行った。

 一瞬ヒヤッとしたが何とか乗り切った。

それに今彼女にシエルがおそらく彼のところにいるであろうことを伝えれば怒りがまた一段と強くなる。

彼女が去っていくのを確認して僕はもう一度クローゼットに向かい、別の服を出してすぐに着替えた。

静かにドアを開けて廊下に人気がないことを確認しながら誰にも会わないように慎重に外へ出る。そして足早に城の裏にある小屋へと向かった。

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