第2話
彼の名前はフロート。
この国の中心にあるホップやシエルの住む城からは少しばかり離れた場所で、農業などをしながら厳かに暮らしている。
背丈はそれなりに長身でスラっとした細身だが、その内にはどこか力強さを感じさせる雰囲気を纏っている。また、頭髪はさらさらとした銀色の長髪。その長い前髪は彼の金色に光る瞳を隠し、ミステリアスな印象を与える。しかし、彼自身他人に対して冷たい印象を与えることはない。むしろ、ユーモアを交えた会話のできる社交的な人物だ。
ホップやシエルの友人であり、今でもこっそり交流がある。
城という堅苦しい空間では味わうことのできない穏やかでのんびりとした時間の中で優雅な毎日を過ごしていた。
「さて、何を食べようか。」
俺はいつものように朝起きて畑の水やりと野菜や果物の収穫を終えて台所に立ち、食材を揃えて朝食の用意を始める。
手際よく包丁で食材を適当な大きさに切り、それらを火の通りにくいものから順に油を垂らしたフライパンへと入れる。
それぞれに火が通ったところで数種類の香辛料やその他の調味料を加えていき、その円い枠の中ですべてが一つにまとめていく。
それと同時に食欲をそそる香ばしい匂いが部屋中に広がる。
「いい匂いだ。」
棚から適当なお皿を取り出してそれらを盛り付ける。
続けて、卵をひとつ落としてさっとスクランブルエッグにした後にパンに軽く焼き色を付ける。質素ながらも食欲をそそる朝食が出来上がった。
「ん~、美味しそう!いただきます。」
こうして今日も俺の厳かで平穏な一日が幕を開け、られたなら良かったのだが…、
コンコンコンッ、コンコンコンッ!
「フロート!フロート!?いる?」
コンコンコンッ、コンコンコンッ!
「フロート?」
その平穏が早くも幕を閉じる予感がする。
というか開演前だな。
玄関のドアが激しく打ち鳴らされている。
俺は料理を作り終えて、少し遅めの朝食をテーブルに並べ、そして今まさにその一口目を口に運ぼうとしているところだった。
俺は突然の来訪者に一瞬驚きつつも、冷静になり気持ちを落ち着かせる。
ついでにこの出来事の裏にある事象についても今までの経験からおおよその予想を立てることができた。
「さてさて…、」
居留守を使おうかという考えも一瞬過ったが止めた。なぜなら俺は扉の向こうにいるのであろうその少女のことをよく知っているからだ。
後々のことを考えるととても得策とは言えない。
それに俺が開けずともその扉は勝手に開き、その少女はこの家にお邪魔する。
「ふぅ、」
なので、静かに息を吐きつつ椅子から立ち上がる。
そしてその扉を開けて、そこにいる騒がしい来訪者を迎え入れるのだったとさ。
ガチャッ!
「やぁ、シエルおはよう。」
手始めに爽やかなあいさつをする。
「どうしたの、朝から突然、何か俺に用があった?」
なるべく自然な口調で自然な質問をするが、それは残念ながら、彼女の耳には届かなかったようだ。
「お邪魔します!」
彼女は、とりあえずそう言って玄関を潜る。
しかし横を通り過ぎる時にはもう口を噤んでムッとした表情をしている。
そのまま窓際に置かれたベッドまで一直線に進み、正面から倒れ込んでそのままベッドに顔を沈めた。そしてそこにあった枕を力いっぱい叩いた。
ぼふッぼふッぼふッぼふッぼふッぼふッぼふッぼふッ
「シエル、?」
優しく少女の名前を呼ぶ。
しかし、その声はまたしても届かない。
「もう!!!何なのよホップってば。バーカバーカバーカ!!!!ホップなんてもう知らない!△〇×※……、」
彼女の口からは勢いよく、そしてとめどなく俺もよく知るその少年への罵声の数々が発せられる。
そんな彼女を横目に俺は少々苦笑しながらケトルに水を入れて火にかけ、お湯を沸かす準備をした。
グツグツッグツッグツッ
カタカタカタカタッカタッカタカタ
キゥューーゥゥゥウゥーーーー
しばらくしてお湯が沸く。
そして彼女のすすり泣く音とそれに感化されたようにケトルから鳴る悲鳴のような高音が部屋中に響く。
「そろそろいいかな、」
俺はコンロの火を弱める。
グツグツグツグツ
カタ カタ カタカタッ
「今日は朝から賑やかだ、」
そんなことを言いながら俺はその時間を見守った。
「ごちそうさまでした。」
俺が朝食を食べ終えたのと時を同じくして彼女の怒りも一旦静まったようだった。
食後の紅茶を淹れるため席を立ち、先ほど沸かしたケトルのお湯をティーポットに注ぐ。するとそこから上品な茶葉の香りが部屋の中に広がっていく。
俺はテーブルの上にティーカップを二つ置いて、丁寧にお湯を注いだ。
そして少女に話しかける。
「紅茶を淹れたからよかったら飲んで。」
「……。」
「少しは気分が落ち着くと思うよ?」
「うん、ありがと…」
彼女はベッドから起き上がり、促されるままテーブルに着いた。
そして目の前に置かれたカップを持って一口紅茶を啜り、
「おいしい。」
と、一言呟いた。
そしてこちらも紅茶を一口啜って、その場の空気を整える。しばらくの沈黙を超えて、俺は彼女にそっと話しかけた。
「それで、今日は何があったの?」
「別に、些細なことよ」
彼女はまだ少し怒っているのか、ぶっきらぼうに答える。
「まあまあ、せっかくこんなところまで来たんだからさ、とりあえず話してみてよ」
「……、」
そう言っても彼女はまだ口を開こうとしないので、俺はだいたい予想の付くその核心に触れてみることにした。
「ホップの名前を叫んでいたけど、あいつとけんかでもしたのか?最近はあまりそういうことが無かったように思えていたけど。」
シエルは少し考える。
「うん。言われてみればそう、よね。」
彼の名前を出したものの、彼女は意外にも素直にそう答えた。
「でも本当にちょっとしたことよ。」
「それで、けんかの原因は?」
俺はもう一度問いかけ直す。
シエルはそこで一呼吸置いてついに話し始める。
「私たちがさ、昔から大好きだった絵本があるじゃない。」
俺は数秒考え、彼女が言ったその絵本とやらを思い浮かべる。
「……。あぁ、あったね。」
「それを私がホップの部屋で読んでいたの。そしたらホップが、『またそんなの読んでる。』ってからかうようなこと言ってくるから私もちょっと意地悪なこと言い返したの。」
そこで彼女の言葉は一旦途切れる。
「なるほど」
俺は自分が考えていたよりももっと些細ないざこざであったことに苦笑しつつ、彼女が言おうとしている言葉の続きを補った。
「それでそこから言い合いになって、怒ってとりあえず部屋を飛び出してここまで来てしまったってわけだ。」
俺は簡単に予想できた答えを少し大げさに断定する。しかし、
「少し違うかな。」
シエルはそう言って首を横に振る。
そして内にある想いを語る。
「何だろう、そうやって子どもの頃みたいに言い返してくれて口げんかになっていたならまだよかったのかもしれない。」
シエルは俯きながら淋しそうに言う。
「どういうこと?」
「私さ、ホップに『あなたじゃこの物語の主人公みたいに世界の平和を救うような旅に出る勇気はないわよ。』って、そう、言ったの。」
「そしたらホップそのまま黙り込んじゃって、」
そこには彼女なりの複雑な後悔が渦巻いているようだった。
俺はシエルをじっと見つめたまま、静かに言葉の続きを待つ。
「……私はたぶん言い返してほしかったの。『そんなことない。僕は今だってその物語の主人公みたいになれる!』って」
言葉は途切れて数秒沈黙が続いた。
そしてシエルはまだ俯いたまま両手を膝の上で強く握りしめながらぽつりと呟いた。
「ホップ、あの本嫌いになっちゃったのかな?」
そう言うとそのままシエルは黙り込んでしまった。
瞳からは今にも雫が零れてしまいそうだ。
そんな彼女に俺はそっと言葉を返す。
「そんなことないと思うよ。」
「だけど、……」
少々的外れな杞憂だと思う。
「ホップもさ、あいつなりに成長してだんだん大人になっているんだよ、きっと」
シエルはゆっくり顔を上げて困惑した表情でこっちを見る。
涙が溢れて今にも泣きだしてしまいそうだ。
「なによ、フロートもそうやって私のことを子ども扱いするの!?」
俺はその表情に少しばかり動揺した。
けれど、落ち着いてゆっくりと首を横に振る。
「そうじゃないさ。」
そう言い静かにそのままそっと諭す。
「ただね、みんな日々の暮らしの中でふとした時に気づくんだよ。自分はほかの人と比べて特別なんかじゃないって。ホップも子供のころはあの絵本に出てくる主人公たちみたいに自分もなりたい!なれるって純粋な心で思えていたんだと思う。」
「…、うん。」
「でも、たくさんのことを経験していく中で今まで知らなかった色々なものが見えてくるようになる。それは次に進むためには大事なことなんだけどさ、知ってしまうからこそ、そこで立ち止まってしまうこともあるんだよ。そうするとどこかで自分には無理だ、できるわけないって思って諦めて進めなくなるのかもね。」
それから少しだけ間を開けてもう一言を付け足す。
「……、そうやって最後には自分の心に蓋をする。」
少女は静かに話を聞きながらもまだ少し困惑した表情を浮かべる。そして、
「どうして?」
と悲しい疑問の言葉を返す。
彼女の純粋さと強さに対して俺は少し苦い表情をしながら答えてしまう。
「自分を傷つけないため、かな?」
「傷つけないため?」
「そう、なんだ。」
俺はそのまま話を続ける。
「もちろんだからと言って、シエルが今でもあの絵本を好きでいるのはおかしなことではないし、それはとても素敵なことだ。だけどあの物語が大好きで、たぶんシエルよりももっと、主人公たちに自分を投影していたホップは、どうしたって自分が彼らのように特別にはなれないって思えてくるから、だから子供のころみたいに物語を純粋に楽しめなくなっているんじゃないかなって思うんだよね……。」
それを聞いてシエルは黙り込む。
少しばかり彼女を不快にさせてしまったか。そう思ったが、彼女は顔を上げて
「そっか。」
とだけ言い、どこか納得したような表情になるとカップに残っていた紅茶を勢いよく一気に飲み干す。
そして、
「ありがとう!フロート。私帰ってホップに謝るわ。」
と言って椅子から立ち上がった。
「うん」
俺も見送りのために立ち上がる。
これで一件落着。めでたし、めでたし。
とは、いかないようで…、
シエルが、
「お邪魔しました。」
と言って玄関の扉に向かおうとしたとき、
シュ~~~ーッパッァン
外から大きな音が響いてきた。
俺は突然のことにびっくりしたが、そこから見えた窓の外にはきれいな火花が見えたので、すぐにそれが打ち上げられた花火の音であるということに気が付いた。
そしてそのまま窓の外を見ながら、扉の前に佇む少女に尋ねる。
「びっくりしたなぁ。」
「……。」
「お城の方からか。今日って何か特別な催しでもあるの?」
「……。」
「こんな昼間から盛大に花火なんて打ち上げているけど?」
「……。」
しかし、なぜか彼女からは何の返答もない。
「シエル?」
不思議に思いシエルの顔を覗き込むと彼女は口を大きく開けたまま固まっていた。
「シエル~?」
俺は左手を少女の顔の前に出し反応を確認するように上下に振ってみた。しかし、やはり何の反応もなかった。
そうかと思うと彼女は突然、ばッ!っと、俺の方に顔を向けた。
そして焦りを隠せない様子で頭を抱え込む。
「どうしよう忘れてた!!!!」
俺はあまり状況が理解できていないながらも、定型文的に
「どうしたんだ?」
とその一応の言葉を返す。
「どうしようどうしようどうしよう。」
そして彼女は自身の置かれた絶望的な状況を早口で説明する。
「今日は午後から天空協会の方々がお城に訪問される日なの!だから、協会の方々をお出迎えするためにきちんと身支度を整えて準備しておかなければならなかったのよ!」
俺はさっきまでここで怒って、泣いて、落ち込んでいた少女が慌てている姿に思わず少し笑ってしまう。
「笑いごとじゃないの!!」
それを見たシエルが一瞬睨みつけるようにこちらを向いたが、俺はぎりぎりのタイミング表情を戻した。
「うん、それで。」
俺は改めてその先の話を促す。
彼女は再び目の前の現実に思考を戻す。
「私、ホップとけんかした後誰にも言わずにお城を飛び出してここまで来てしまったの。だからきっとお城中大騒ぎになっているに違いないわ。」
「それは、さすがに大変だね。」
どうやら彼女の今日の予定はそこそこ重要なようだ。
「それに今日はお父様や姉様に、大切な日だからくれぐれも外に遊びに行ったりして遅れることがないようにって、ずっと前から言われていたのに。」
シエルは頭を抱えてその場に塞ぎ込む。
俺は彼女のそんな様子にまだまだ幼げな子どもらしさを感じてどこかほっこりする。
「どうしよう、今から走って帰っても絶対に間に合わないわ。」
シエルは扉の前で焦りを見せ、さっきまでとは別の涙を流しそうだ。
俺はそんな彼女の様子にまた可笑しくなりながらもその肩をそっと叩く。
「大丈夫。」
「え?」
「今からだとかなりぎりぎりになるかもしれないけど、とりあえず今から俺が全力で城まで送るよ。」
俺はできる限り彼女を安心させようと笑ってそう話す。
「あ、でも俺が一緒にいるのを誰かに見られたら後々面倒なことになりそうだから、城門のすぐ近くまでになっちゃうけど、」
「本当に?!ありがとうフロート!助かるわ。」
それを聞いたシエルは、胸の前で祈るように手を組み先ほどとはまたも別の意味で目に涙を浮かべていた。
「じゃあ、早速だけどお願い」
そう言ってシエルは玄ドアノブに手をかけ、その扉を勢いよく開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます