六章 犯罪者は敵だ!
一
まず、岡部が受話器を取った。三代子から渡された電話番号の紙を老眼のせいで腕をめいっぱい伸ばして見ながら番号をプッシュする。何度も咳払いを繰り返し、声を作る。何度かの呼び出し音の後、受話器の向こうから古池の声がした。
『もしもし』
「ああ、もしもし、さっき電話をもらった初瀬ですけど」
『……声変わりしました?』
「ちょっと風邪気味でねえ」
言いながら岡部は笑いそうになる。危機を察して石田が素早く上司の頭を引っ叩いた。
『今の音は?』
「ああ、痰が絡んで胸を叩いていたのよ」
古池は心配の声もなく、本題を切り出した。
『それで、さっきキャッシュカードを探すと言ってましたけど』
「はい、ありました」
受話器の向こうでも咳払いが聞こえる。
『もう一度言いますが、ここのところ、詐欺事件が頻発しています。警察を装った人間が不当に情報を聞き出す場合もあります』
「はあ、そうなんですかぁ」
近くで三代子が苦笑いした。
「私あんなにバカじゃないわよ」
『今回は特別な状況です。あなたのキャッシュカード情報が盗まれている可能性がありますからね』
「それはたいへん」
岡部は三代子になりきって悲しそうな演技をしているが、その滑稽な様子に一同は笑いを堪えずにはいられなかった。
『それで、キャッシュカードなんですが』
岡部の目が光る。
「あのね、詐欺が心配でしょう。あなたにカードを直接お渡しした方がいいんじゃないかと思って」
『私にですか?』
「ええ、警察の方だったら安心できるもの」
受話器の向こうがしばらく沈黙する。
『しかし、私は別の事件で手が回らなくてですね』
「でも、あなたなら信用できそうだから。あなたにならお渡しするわ」
『そうですか……』
迷ったような声を漏らす古池だったが、やがて口を開いた。
『あくまで被害の試算をするためにお聞きしますが、口座にはおいくら入っていますか?』
電話を近くで聞いていた祐未と祖父江が小声を交わす。
「金額が動くのに見合うか確かめようとしてる」
「まさに現金なやつですね」
岡部は通帳か何かを確認するような素振りを見せてから答えた。
「ええと、六千万円くらいね」
『六千万円ですか。それは、もし被害に遭われたらかなりの損失になります』
「そうねえ」
『分かりました。キャッシュカードをお預けください』
お金が親指を立てた腕を天高くつき上げた。
「それでね、ちょっと足腰が弱くって、外に出れないのよ」
『こちらから取りに伺いましょうか』
「あら、ご親切に、どうも」
『住所は……』
古池が口にした住所はまさに三代子の家のものだった。
「ええ、そうよ」
『では、代わりの者を向かわせ――』
「ううん、あなたに来てほしいのよ」
『私にですか?』
「だって、テレビで観たもの。代わりの人間に取りに来させるっていうのは危ないんですって。だから、あなたじゃなきゃダメよ」
また受話器の向こうが沈黙する。こうした詐欺は、主要な騙し役と受け子と呼ばれる直接やりとりをする人間が分業をするケースがほとんどだ。得てして受け子は広く募集され、ブラックバイトなどと呼ばれている。こうしたブラックバイトにハマってしまい人生を棒に振る若者も決して少ないとは言えないのが現状だ。
『……分かりました。私が直接伺いましょう』
金額とリスクを天秤にかけた結果だろうか。古池は渋々といった様子で承諾した。
「ありがとう。お名前教えてくださる?」
『佐々木です』
「佐々木さんね。必ずあなたが来てちょうだいね」
『分かっていますよ。ご安心ください。多分、あと三十分後くらいにはそちらに伺えると思いますので、しばらくお待ちください』
電話が切れる。岡部たちはホッと一息ついた。祖父江が手を叩いた。
「まずは第一関門突破ですね。あとは、岡部さん以外は二階に隠れていましょう」
岡部は心配そうに眉尻を下げた。
「俺が出迎えていいのか?」
「三代子さんは体調が悪くなって寝ていると言ってください。岡部さんは三代子さんの息子です」
「俺は静岡出身なんだが」
「いや、本当に息子だとは言ってないですから。そういう設定でいてください」
「なんだ、設定か」
「当たり前でしょうが」
一同は時間を見ながら、そろそろ佐々木がやってくるというころになってゾロゾロと二階へ向かい始めた。祖父江は最終確認を行った。
「岡部さん、キャッシュカードは和室にあると言ってください。古池を和室に誘導したら、大きく咳を。その合図で僕たちは一階に降りてやつを取り囲みます。絶対に逃げられないでくださいね」
「任せろ。何年刑事やってると思ってるんだ」
「岡部さん、ファイト!」
なぜか楽しそうに拳を作る石田。
数分後、三代子の家のインターホンが鳴った。岡部は緊張の面持ちでリビングのモニターの応答ボタンを押した。モニターには佐々木の顔が映っている。
「はい」
『椎警察署の佐々木です。さきほどお電話をしましたが』
「ああ、聞いてます」
『三代子さんは?』
「母はちょっと具合が悪くなってしまって、休んでいるんです。話は聞いていますので、ちょっとお待ちくださいね」
玄関のドアを開けて佐々木を招き入れる。スーツ姿の佐々木は、今日は顎髭はないようだ。もしかすると、剃って出てきたのかもしれない。
「キャッシュカードですよね」
岡部は無理矢理に佐々木を家に上がらせると、リビングの方へ歩いていった。古池は言う。
「カードとその情報もいただきたいんですが、大丈夫ですか?」
「ええ。確か、向こうにカードをメモがあったと思うんで、ちょっと待ってください」
いったん佐々木にリビングのソファを勧め、岡部は和室に入っていく。
「確かここにあると言ってたんですけどね」
和室から岡部の声がする。佐々木はイライラしたように室内をキョロキョロと見回した。
「できれば早くお願いします、私も忙しいので」
「すみませんね」
しばらく探す振りをして、岡部はついに引き金に指をやった。実際に拳銃を持っているのではなくて、きっかけを手にしたという意味だ。
「カードって、これですかね」
「なんですか」
佐々木は立ち上がって和室に向かっていった。岡部は手にしたカードを手渡す。
「いや、これポイントカードでしょ」
「ポイントじゃダメ?」
「ダメです」
佐々木は、なぜかスーツ姿の岡部をじっと見つめた。
「あなた、お名前は?」
「岡部です」
「岡部? 下の名前が?」
「ああ、ミドルネームがです。初瀬・オカベ・健太郎です」
「奇妙すぎるでしょ、そんな名前」
「そうですかな?」
岡部は大きな咳をした。途端に階段の方からドタドタと駆け下りる足音が響いた。佐々木が不審に思っていると、和室の入り口に次々と老人が押し寄せた。
「おら、古池ぇ! 観念しろ!」
源十郎がありったけの声量で叫んだ。
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