祖父江の言葉は寸分違わぬ事実だった。源十郎と成作も屋根裏に顔を入れてキョロキョロと確認をしていたが、首を傾げながら戻って来るだけだった。

「成作さんがお金をしまったの?」

「そうだ。鹿子ちゃんも三代子ちゃんも屋根裏に届かないからな」

「本当にそこにしまったの?」

「本当だよ」

 二度ならず三度までもあるべき場所からカネが消えて、一同は疲れ切っていた。もう時計の針は午後十時を指そうとしている。

「いつお金をしまったの?」

「昨夜の十時半ごろだな。紙の束を詰めたのもそのころだ」

 祐未は祖父江のように頭を掻きむしった。

「すごく複雑になってきた」

 祖父江が助け舟を出す。

「まずは、時系列順に整理をしよう。

・青野さんと孫井さんと初瀬さんが手を組んで、紙の束を作った。

・若宮さんと僕が手を組んで、偽のケース……Bケースを用意する。

・青野さんがお金を屋根裏に隠した。

・お金が入っていたケース……Aケースに紙の束が詰められる。

・僕がAケースとBケースを入れ替えて、Aケースを車に置く。

・翌朝Bケースが開けられて、騒動が始まった」

「そう考えると、今日の朝にケースが開けられた時はおばあちゃんたちはそれがAケースのままだと思ってたってことなのね」

「そうよ、ケースを開けた時の結果は同じだからね」

 鹿子はうなずいた。

「昨夜の十時半ごろにお金を屋根裏にしまって……それ以降確かめた?」

「いや、確かめてない。変に動くとバレるだろうからな」

 成作は源十郎を横目にそう答えた。祐未は肩を落とした。

「ということは、お金はこの二十四時間で消えたことになる。時間の幅が広い……。だけど、ここにお金があったことを知っていたのは三人だけなんだよ」

「残念だけど、そうなるわね」

 至極残念そうに三代子が答えた。一同は二階から一階に移動して再びリビングが推理劇の舞台となる。ソファに座るなり、祐未は三代子に尋ねた。

「この家にはああいう屋根裏に繋がってるところは他にもあるの?」

「何か所かあるわよ。二階の山部屋は全部そうなってるし、洗面所の天井に蓋があるし、和室の押し入れの天板も外れた気がするわね」

 早速それらの場所が重点的に創作された。だが、案の定というか、当然のようにカネは見つからなかった。祐未は降参したような顔をしていた。

「今回ばかりは、三人以外の容疑者はいないけど、その誰がっていう話になると、もう限定のしようがない」

 彼女は一応、ノートに鹿子と成作と三代子の名前を書き入れたものの、そのまま鉛筆を置いてしまった。三人の誰もがカネを取り出せた。

「だけど」祖父江が言う。「外に持ち出せかどうかなら、それは一人しかいないぞ」

 ざわつくリビング。祖父江はもったいぶらずに先を続けた。

「ゴミ出しに出た三代子さんだ」

「私?」

 自分の名前がこんな佳境に出てくるとなると、否定の言葉にも力がこもりそうだが、三代子はただ驚くばかりだった。

「初瀬さんは今朝六時過ぎに起きてゴミ出しに出たんですよね。その後、孫井さんと祐未ちゃんが起きてきたのは六時半過ぎ。約三十分間の空白時間だ」

「その前に確認したいんですけど、昨夜から今まででこの家から一歩でも外に出たことがあるのは誰かということです」

 祐未の声に源十郎と三代子が手を挙げた。

「源さんは今朝の六時過ぎとさっきの中園さんの家に行った二回よね?」

「そうだな」

「三代子さんは今朝のゴミ出しの時だけ?」

 三代子がうなずく。また、祐未と祖父江も手を挙げた。

「私は中園さんの家に行った一回。祖父江さんはAとBのケースを入れ替えて車に乗せた時とさっきの中園さんの家へ行ったので二回ね」

 やはり、前提条件である「カネの在り処を知っていた人物」から必然的に三代子の名前が浮き彫りになる。

「私じゃないわよ」

 そう否定する声には元気がなかった。もうすぐ一日が終わりを告げようとしているのだ。祐未は三代子の言葉にうなずいた。

「確かに、三代子さんでもない気がする。だって、三代子さんがお金を持って出ていけたのが六時から六時半の間ならば、お金を取り出したのはそれより前ということになる。そうなると、その時間はおばあちゃんと私が寝ていたから、気づかれる可能性が高い。成作さん、お金はどういう状態で屋根裏にしまったの?」

「ゴミ袋に入れて」

「じゃあ、ガサガサ音がするよね」

「そりゃあ、そうだろうな」

「それに、三代子さんの背じゃ、屋根裏まで届かない。椅子か何かを持ってこなくちゃいけないから、やっぱり状況は不利になる」

 何度目の不可能状況か。状況が更新されるたび、容疑圏が狭まる上に外部犯の可能性が低くなる。だが、結局、また容疑圏内の人間すべてに犯行が難しかったことが証明されてしまった。

 老人たちは疲れ切っていた。丸一日、家に帰らず、疑い疑われる環境はそうあるものではない。彼らはカネの行方と同じくらい早く眠れるかどうかに興味が言っているようだった。客人用のパジャマから選択が終わり乾いた私服に着替える。三々五々に部屋に戻邸苦老人たちを尻目に祐未は小声で祖父江に話しかけた。

「もうそろそろ家に帰れるようにならないと」

「それはそうなんだが……」

「もうこの家にはお金はないと思います」

「どうしてそう言える?」

「私が犯人だったら、早くこの閉鎖環境からお金を解放させたいと思うからです。もし、家の中にお金を隠したままで、今後見つかってしまったら、ここまで頑張ってきたのが水の泡になってしまうでしょう」

「確かに……。だが、彼らが何かまた企んでいるのを隠しているかもしれない。そう考えると、この家に居てもらうのがいいと思うけどね。彼らには悪いけど」

 祐未は溜息をついた。

「もう古池を騙すとかいう以前の問題になっちゃいましたね」

 テーブルを挟んで反対側に腰を下ろした祖父江は苦笑した。

「これがうまく解決すれば、軌道に戻るさ、きっと」

「解決によっては、仲違いしたままで宙ぶらりんになってしまう可能性もありそうですけどね」

「カネは人間を変えるというやつか」

「私だって、信じられないくらいの大金が入ったら、平静を保てる自信ありませんもん」

「そりゃあ、そうだろうな」

 カネと精神状態の関係性は興味深いものがある。もともと躁状態の人間は、カネを多く使う傾向にある。だが、大金を手に入れた正常な人間もまたカネを多く使ってしまう。たとえ正常な人間だとしても、大金が与える高揚感は躁状態と大差ないというわけだ。

「おばあちゃんが源さんに仕掛けたようなことも、大金がそうさせたんだと思います。普通だったら、あんなこと考える人じゃないから」

「だが、カネを奪った犯人は皆目見当がつかない」

「このまま分からないままだったら……なんて思っちゃいます」

「君らしくない」

「私らしさってなんですか」

「ミステリの探偵役みたいだ」

 祐未は歯を見せると、ノートに文字を書きつけて祖父江に見せた。

「これ、知ってますか?」

「『後期クイーン的問題』……もちろん。だが、いきなりどうしたんだ」

「評論家はいつだって物事を難しそうにしますよね」

 彼女の持論であってこの物語全体としての見解でないことに注意していただきたい。

「研究っていうのは、えてしてそう言うもんさ。難しい問題は誰だって解きたくなる」

「後期クイーン的問題は、探偵が犯人の運命を決めてしまっていいのかと言いますけど、悪いことしてそれを指摘されてるんだから、自業自得だと思いますけどね」

「その問題は、探偵がいるから事件が起きるんだということを批判してもいるんだよ。作中で殺されたり、不幸な目に遭う人は、探偵がいなければそうならなかったんじゃないかというわけだ」

 祐未は頬を膨らませた。

「さっき祖父江さんは、私がミステリの探偵役みたいだって言いましたよね」

「そういう意味で言ったんじゃないぞ」

「でも、私がいるせいでおばあちゃんがこんな目に遭ったのだとしたら……」

「そんなことはないさ」

「そう言いきれないでしょう。本当は、犯人の動機に私の存在が織り込まれていたら?」

 祖父江は溜息をついた。

「じゃあ、その時は僕が探偵役だったと思うといい。君はそういう悲劇の引き金ではない」

「たまには格好いいこと言いますね」

「そうかな」

「推理も的外れだし、探偵らしくないですけど」

「傷つくようなこと言うなよ」

 祐未は笑い声をあげて、時計を見た。〇時を回っている。老人たちが部屋に引きさがってずいぶん経つ。祐未は言う。

「本当は、もう一つの問題について考えていたんです」

「もう一つの問題?」

「後期クイーン的問題の、ですよ。探偵が手に入れた手がかりで導き出された真実は、果たして本当に真実なのか。手がかりが作られたものかもしれない」

「それはつまり……」

 祐未はうなずいた。

「誰かがうその証言をしていたとしたら、事件の様相は全く違ったものになるんじゃないでしょうか」

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