祐未の思いと共に、再び不可能状況が立ち現れたことに祖父江は頭を抱えたくなった。さきほどの祐未の推理は的を得ていた。少なくとも、祖父江よりも手際よく、見栄えもよく、彼の存在意義を根本から脅かすような推理劇であった。

「孫井さんが言うように、祐未ちゃんが部屋で紙の束を作るのは難しいと思う。それに一つ勘違いしているよ。三時半までの間、祐未ちゃんの部屋にあったケースはダイヤルロックがかかっていた。中身を入れ替えるには、番号が分かっていなかければならないんだ」

「あ……、そうでした」

 祐未が顔を赤らめて舌を出す。

「犯人には、二つの障害があった。一つ目は、さっき祐未ちゃんが言ったように、紙の束を作る機会がなかったこと。二つ目は、ケース自体にロックがかかっていたこと。より堅牢な不可能状況だ。追加するなら、カネをどこに隠したのかという謎もある」

 いつの間にか、時刻は夕方に突入していた。三代子がリビングの照明をつけると、どこからともなく疲労に満ちた溜息が漏れ出した。祖父江は渋っていたが、やがて口を開いた。

「こうなってくると疑いの余地は広がってくることになります。つまり、本当に初めからケースの中にカネが入っていたのか?」

「中園さんを疑うのか?」

 源十郎が目くじらを立てる。

「そう疑わざるを得ません。もともと、ケースにカネを入れたのは中園さんです。その後、孫井さんがロック番号を設定した。その番号が孫井さん以外誰も知らなかった。ならば、そもそもの始まりに疑いの目を向けるのは当然のことでしょう」

「だが、中園さんは『本物だ』と言っていたんだぞ」

「うそかもしれない」

 祖父江は立ち上がって源十郎を指名した。

「中園さんのもとへ行きましょう。確かめなければならないことがたくさんある」

「私も行きます!」

 祐未が手を挙げる。

「君は待っていてくれ」

「嫌です」

「僕の車は前の座席しか座れないんだ、知ってるだろう」

「後ろにも座れるスペースはありますよ」

 一歩も引かない祐未に、祖父江は折れるしかなかった。成作と鹿子と三代子を残して、三人は外へ繰り出していった。

 中園邸までは車で十数分だった。昔ながらの大きな家といった風情で高級住宅街の一角に建つ中園邸は静かに三人を待っていた。インターホンを押すと、中園の妻の声がした。あの病人の振りをしていた彼女だ。

『どちら様ですか?』

 源十郎がスピーカーに顔を近づけた。

「若宮です。さっき中園さんには連絡を入れたんですが」

『あら、若宮さん。どうぞ、入って』

 広いリビングに中園は座っていた。一人で詰め将棋をしていたところだったらしい。テーブルの上には将棋盤と駒、そして何冊もの参考書が横たわっている。

「よく来たなあ。それから、お友達も」

「いや、どうしても来たいというもんでね」

 平然とうそをつく源十郎に祖父江は苦笑した。

「で、今日は何の用で?」

 中園の目は将棋盤の上に注がれている。源十郎は口をもごもごさせて、答えあぐねていた。ここにやってきた目的……それを口にするなんて、面の皮が熱くなければできないことだ。

「今日来たのは、聞きたいことがあったからです」どうやら祐未の面の皮は相当に扱ったらしい。「昨日おばあちゃんに持ってくてくれたケースの中身は本当にお金でしたか?」

 それまで将棋盤の上から離れなかった目が祐未を捕えた。

「藪から棒に難だね。このお嬢ちゃん、大丈夫かね?」

 源十郎に笑いかける中園だったが、ひきつった笑顔が返ってくるに至って、眉間にシワを寄せた。

「一体全体、どういうことなんだい?」

「それがですね」

 祖父江が事情を話していくと、中園の表情は次第に曇っていった。

「というわけなんですね」

 あれだけの内容をコンパクトに収納できるなんて小説は便利である。

「それで俺の……」中園は怒るどころか笑いを挙げた。「そりゃあ、そうなるか。ちょっと待ってな」

 中園はポケットからスマホを取り出して画面をこちらに向けた。数字の羅列だった。

「銀行取引のログだ。六千万を現金で引き出したというのがここに書かれてるだろう?」

 三人は身を乗り出して数字を確認した。

「さすがに六千万はすぐに現金化できん。何日かかかって、知り合いの支店長に頼み込んだんだよ」

「本当にそのお金をケースに?」

 もう疑惑を隠すつもりもない祐未がそう尋ねた。

「そうだよ……と言ってもどうすれば信じてもらえるか」

 祐未としても、どうすれば中園の言葉を信じられるか分からないままだった。だが次の瞬間には祖父江たちを驚かせるようなことを言い始めた。

「家の中を調べてもいいですか? 現金の六千万円がどこかにあるかもしれない」

 中園の大笑い。

「いいけど、時間かかるぞ」

 結局中園邸の捜索は強行された。夜の帳が下りてからしばらくするまで終わらない捜索の結果は読者諸君が想像する通りだ。ここでカネが見つかってしまったらつまらないだろう。

「ダメだ……」

 リビングでへたり込む祐未に中園は笑いかける。

「ご苦労だね」

「この度は疑ってすみませんでした」祐未は素直に謝罪した。「おばあちゃんに粋な計らいもしてもらったのに、ごめんなさい」

「まあ、いいってことよ。古池の方がどうなった?」

「それを考えている矢先にこの出来事だったので……」

「そりゃあ、災難だな……。まあ、六千万はもう一度っていうわけにはちょっと行かないんだ。それだけは分かってくれな」

「もちろんです。本当にありがとうございました」

 三人は中園邸を辞去した。なんの収穫も得られないまま。帰路の車内は陰鬱とした様子だった。祐未は呟く。

「中園さんがうそをついていたとしても、私たちにはどうしようもないですよね」

「それ、どんなうそなんだ?」

 源十郎がルームミラーの中で窮屈そうにしている祐未に問いかける。

「本当はケースの中に紙を入れて渡したのに、お金を入れたって言い張った」

「そんなうそつくわけがないだろ」

「……ですよね。すぐバレますしね」

「疲れたんじゃないのか、祐未ちゃん」

「疲れましたよ。祖父江さんのせいで」

 運転席で声が上がる。

「なんで僕のせいで」

「源さんの変な提案に乗らなければよかったんです」

「提案に乗ったから考えやすくなったって、君が言ったんだろう」

「そんなこと言いましたっけ」

「ダメだこりゃ」

 祐未との言い争いを断念して、祖父江はハンドルを切った。ボーっと窓の外へ目をやる祐未は集音マイクの風貌をいじりながら溜息をついた。

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