二つになったケースを前に老人たちは驚きを隠せない様子だった。

「なんだ、そのケースは?」

 成作がそう尋ねると、祖父江は恐る恐るといった感じで口を開き始めた。

「今回は皆さんに一つお詫びをしなければならないことがあります」

「お詫び?」

「実は僕が持ってきたこのケースは、本物です」

「えっ!」鹿子が声を上げた。「ということは、祖父江さんが……」

「これも初めから説明させてください」

 祖父江はソファに腰を下ろして、源十郎を一瞥した。

「若宮さんから話があったのは、昨日の夕方ごろでした」

「なんだ、源さんが関わってるのか?」

 成作が、水臭いぞと言わんばかりに源十郎を睨みつけた。

「若宮さんが危惧していたのは、結果的に戻ることになった六千万のことでした」

「俺は心配だったんだよ。大金だろう。また騙し取られたり盗まれたりしないか分かったもんじゃない」

「それも、孫井さんが心配だというんですよ」

「私?」

 意外そうに目を丸くする鹿子。

「そうだ、鹿子ちゃんは、騙されやすいだろう。だから、カネも騙し取られた」

「おばあちゃん優しすぎるから」

 祐未にそう言われて、鹿子は頬を緩ませた。

「そこで、若宮さんは僕に頼みごとをしてきたんです。もう一度孫井さんを騙すように、と」

 ざわめくリビング。鹿子は声を上げた。

「どうしてそうなるのよ!」

 源十郎が弁解する。

「これには深いわけがあるんだ。いや、別に深くはないんだがな」

「どっちなのよ」

「若宮さんは、さすがに孫井さんはもう一度カネにおかしなことが起これば、騙し取られたりしないような人間になるだろうと思ったんですよ」

 鹿子は自分の鼻先を指さして源十郎を窺った。

「私のことを思ってやったというわけ?」

「まあ、そういうことになる。元探偵としてのちょっとした気遣いってやつだな」

「そこで一計を案じたわけです」祖父江が源十郎の言葉を継ぐ。「あらかじめ本物と偽物のケースを入れ替えておいたんです。偽物のケースはロックが壊れていて、どの番号を入れても解錠できるようにしておきました。今朝、孫井さんがケースを開ける時に、僕はその番号を隣で見ていたんです」

「じゃあ、ケースの中身を入れ替えたんじゃなく、ケース自体を入れ替えたのね」

 目から鱗でも剥がれ落ちたかのように三代子が言った。

「その通りです。ケースを入れ替えたのは、夜中のことです。それで、玄関のドアにホームセキュリティの器具を見つけたので、念のため開いていた勝手口から外に出て、僕の車の中に本物のケースをしまい込みました」

「そういうことだったの……」

 鹿子はそう言って、祖父江が持ってきた本物のケースを撫でた。祖父江は念のための人子をを付け加えることを忘れなかった。

「もちろん、初めからこうやってお返しするつもりだったんですよ」

「わざわざ議論をしたのも、大事にしようとしたからなのね」

 得心が行ったように三代子がうなずいた。祖父江は苦笑して祐未を見つめた。

「祐未ちゃんには、ついさっき見抜かれてしまいましたが」

「不自然なことが多すぎたんですよ。祖父江さんなら、まずは家の中を手当たり次第探すと思ってました。私だったらまずはそうすると思うから。でも、そうしなかった。探す意味がないって分かってたからなんですね」

「今思えばそうかもしれない」

「だから、ずっと考えていたんです。何が起こったんだろうって。そもそも、ケースのダイヤルロックがある限り、ケースを破壊しなきゃ中身のお金を取り出すことはできないでしょう。紙の束が入っていた、とかははっきり言ってどうでもいい問題だったんです、私にとっては」

「そこまで言うか」

 鹿子は自慢げに笑みをこぼした。

「さすが、祐未ちゃんね」

「ダイヤルロックの問題が解決した時点で、犯人が祖父江さんだと分かりました。もしかしたら、余計なものばっかり買ってお金に困っていたからこんなことをしたのかと思っていたんですけど、全然違う理由で安心しました」

「さすがに、それが動機でカネを盗むのはダサすぎるだろう」

 祖父江は孫井に頭を下げた。

「今回は余計なことをしてすみませんでした」

「いいのよ。こうして戻ってきたんだし」

 源十郎は満足げだ。

「これで、少しは勉強になっただろう?」

 ケースを祖父江から受け取って、ロックを外して蓋を開けた鹿子が不思議なことを言った。

「紙束が入ってるわよ」

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