二度目の告発の威力はさほど高くはなかった。ただの当てずっぽうだと思われたに違いない。だが、源十郎はお構いなく先を続けた。

「朝の六時半から七時半まで鹿子ちゃんたちの部屋は無人だった。そして、その時間に二階にいたのは成作だけだ。ケースの中身を入れ替えるチャンスは十分あるだろう」

 当てずっぽうではあるが、とりあえず、筋は通ったことは言っているらしい。だが成作は顔を真っ赤にして反論した。

「バカか! そんな真っ先に疑われるようなタイミングでやるわけないだろうが!」

 とはいうものの、一時間の無防備な時間に成作が一人で二階にいたという事実は、老人たちにある程度の説得力を与えていた。

「なんだよ、その顔は!」

「その推理を確認する方法がありますよ」祖父江が言う。「二階の青野さんの部屋を調べるんです。青野さんにはケースの中身を入れ替える時間はあったかもしれません。しかし、カネを外に持ち出すことはできなかったはず」

 立ち上がった成作だが、祐未の冷静な指摘が入るとその場に立ち尽くすことになった。

「祖父江さん、玄関のドアは六時過ぎから解錠されていたので、それ以降なら外に出ていけますよ。だから、成作さんが仮に犯人だとしたら外に持ち出してどこかに隠した可能性もあると思います」

「祐未ちゃんまで俺を疑うなよ……」

「一応言っておくけど、疑ってるわけじゃないからね」

 念のために二階の成作の部屋が調べ上げられたが、特に収穫はなかった。成作は言う。

「俺は犯人じゃない!」

 源十郎が応戦する。

「今確認したのは、部屋にカネがなかったことだけだろう。お前が起きた時間をうそついて、鹿子ちゃんたちが下に降りたのを見計らってケースの中身を入れ替えて、カネは外に持ち出したかもしれんだろう」

「なんだと!」

「なんだよ!」

 いがみ合いがまた始まる。掴みかからんばかりの二人の間に三代子が割って入って何とか喧嘩は収まったが、険悪なムードは払拭できなかった。祐未はしばらく何かを考えていたが、やがて顔をしかめて口を開いた。

「ちょっと考えていたんだけど、たとえこの中の誰かにケースの中身を入れ替えるチャンスがあったとしても、実際に中身を入れ替えるのは不可能だと思うの」

「藪から棒に何を言い出すの、祐未ちゃん」

 三代子が問いかける。

「だって、このケースにはダイヤル式のロックがかかっていて、その番号はおばあちゃん以外誰も知らないでしょ」

「あっ!」

 誰もが失念していたらしい。

「そうでしょ、おばあちゃん?」

「そういえば、そうよ。私、中園さんからケースを受け取った後で自分で番号を設定したの。誰にも言っていなかったけど」

「じゃあ、誰も中身を入れ替えられないじゃねえか」

 成作が言うと、源十郎が首を振った。

「鹿子ちゃん以外はな」

 これには鹿子は黙っていられなかった。

「どういう意味よ、源さん」

「あんたには中身を入れ替えることができたってことだよ」

「だーかーらー!」祐未が叫んだ。「おばあちゃんがそんなことをする意味がないでしょ。お金を受け取ったのはおばあちゃんなんだから」

 祖父江のメモにも、同じようなことが書かれている。容疑者候補は鹿子以外の全員だ。もちろん、祖父江自身も含まれている。

「孫井さん、ケースにダイヤルロックを設定したのはいつのタイミングですか?」

「昨日この家に来た時よ。念のためにロックをかけといたの」

「俺たちにとられると思ってたんじゃないだろうな」

 源十郎の嫌味ったらしい言葉に鹿子はただ首を振るだけだった。

「ダイヤルロックが設定されるまでは孫井さんがずっとケースを持っていたので、この家の中の誰もがケースを開けられなかったということに」

「不可能犯罪……」

 祐未が小さな声でそう宣言した。不可能犯罪。その犯罪が実行不可能な状況下で行われたということだ。アタッシェケースという小さな密室の中にしまわれた六千万は、鹿子以外には触れることができなかった。そして、当の鹿子には、六千万を奪う理由がない。

「じゃあ、今まで考えてたことは無駄だったってことじゃねえか」

 成作が口を尖らせる、無用な言い争いを続けてきたっことが馬鹿馬鹿しくなったのだろう。途端に険悪なムードは鳴りを潜めていった。そして、疑いは一点に集約されていった。源十郎は言う。

「中園さんが本当にカネを寄越してくれたのかが問題だ」

 即座に祖父江の指摘が疑いを瓦解させる。

「いや、僕も今そのことについて考えていました。そんなにすぐにバレることをする意味はないと思いませんか。だいいち、この家の納戸にあったスケッチブックが使われているんです。やはり、中園さんは無関係ですよ」

 堂々巡りの議論だ。中園が偽のカネを渡したのでないならば、ケースの中身の入れ替えが行われたのはこの家の中で、ということになる。しかし、この家の中でケースの中身が入れ替えられたのだとすると、ダイヤル式のロックの番号を知りえない彼らには不可能だったということになる。

 議論は昼まで及び、一度昼食のために中断された。食後にゴミを捨てに勝手口から出た祐美と祖父江は伸びをしながら春の太陽を見上げた。暖かい陽光が眠気を誘う。祐未はポツリと言った。

「私の目はごまかされませんよ」

「なんだ、いきなり?」

「この家の中でおばあちゃん以外にケースのロック番号を知ることができたのは、祖父江さんだけなんですよ」

 祖父江はじっと黙り込んでいた。

「おばあちゃんがケースを開けた時、隣にいた祖父江さんにはダイヤルの番号が見えていたはずです」

「あの時に番号が見えていても意味がないだろう」

「タネは簡単ですよ。あらかじめ紙の束を入れておいたケースを本物と入れ替えておきます。このケースはそもそもロックが破壊されていてどの番号に合わせてもロックが外れるようにしておくんです。おばあちゃんは自分が設定した番号に合わせて蓋を開けますから、それを見て後で本物のケースを開ければいいだけです」

 祖父江は祐未を見つめた。

「証拠は?」

「近くに祖父江さんの車が停まっているはずです。そこに本物のケースはある」

「もしなければ?」

「それをここで議論する前に、確認しに行けばいいでしょう」

 祐未に促され、祖父江は渋々や三代子宅の敷地を出た。数分歩いてコインパーキングまで辿り着く。そこに祖父江の車が停まっていた。その助手席に、銀色のアタッシェケースが鎮座していた。

「祖父江さん、どうしてこんなことを……」

 祖父江はそう問いかけられたものの、無言のまま助手席からケースを取り上げた。

「みんなの元に戻ろう」

「祖父江さん!」

 答えを聞きたかった祐未だったが、祖父江はゆっくりと歩き出した。

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