七
源十郎は両手を広げて論じ始める。
「だって、そうだろう。さっき祐未ちゃんも言っていたが、二人が寝ている部屋に進入してカネを入れ替えるのは危険すぎる。だから、それはあり得ない。となると、自然に鹿子ちゃんが……」
「なんでおばあちゃんがそんなことをするの?」
祐未が鋭く言い返した。源十郎が反応するよりも先に、祐未は二の句を継いだ。
「クローゼットは部屋に入ってすぐ左にあるんだから、すぐにケースだけ運び出して入れ替えれば問題はないでしょ。だいいち、わざわざ自分が一番疑われる形でおばあちゃんがそんなことをする意味ってあるの?」
矢継ぎ早の攻撃に、源十郎はたじろいで口を噤んだ。祖父江があとを継ぐ。
「そもそも、なぜケースの中身を入れ替えて元に戻したのかという問題があります。それから、仮にこの中に犯人がいるなら、どこで大量の紙を手に入れたのか」
「それなら」成作が答えた。「納戸に紙があったはずだよ。この前絵を作った時の道具を片付けたんだ。その紙の束、画用紙じゃないか?」
ザラザラした手触りの白い紙だ。祖父江は急いで納戸まで言って大量のスケッチブックを抱えてやってきた。スケッチブックはページがずいぶんなくなっていた。
「やけに品揃えのいい納戸だ。なんでセメントまであるんですか。で、こいつが……」
「確かに、ここから持ってきた感じですね。わざわざ紙の束を作ったわけですよね」
言いながら髪をかきむしる。不可解な事件だ。祖父江は思い浮かぶ疑問点をノートに書きだしたかったが、あまりにも膨大で、鉛筆を置いてしまった。その様子を見てか、祐未が突然の爆弾を放り投げた。
「勝手口が空いていたのなら、外部の人間が犯人の可能性もあると思う。例えば、古池とか」
「古池ぇ?」成作が素っ頓狂な声を上げる。「あいつはここのことを知らないだろう」
「分からないでしょ。私たちは一度は古池を騙そうとしたんだよ。こっちのこと調べてないとは言い切れないでしょ」
「いやいやいや……」祖父江は混乱しかけて言い争いに一石を投じた。「さすがにそれは考えにくい。今まで詐欺に傾倒していた古池がいきなり居空きに入るわけがない。だいいち、勝手口のロックが外れていることに賭けてやってきたというのもますます考えられない」
「そうですけど……」
祐未は口を尖らせる。そうとは分かっているが、言わずにはいられなかったのだろう。この家の中の誰かが犯人などとは考えたくなかった違いない。だが、そんな彼女の機微に祖父江が気づけるわけがない。だから、いつまで経っても未婚なのである。
「古池が犯人という説は、今は考えなくていいと思う。問題は、誰かが夜のうちに紙の束を作って、ケースの中身を入れ替えたということだ」
その言葉に源十郎が膝を叩いた。
「犯人は祖父江、お前だ!」
一同から驚嘆の声が上がる。源十郎は上気した頬をさすりながら言う。
「元探偵の俺が言うんだから間違いない。祖父江くん、なぜ君はみんなの夜の時間の行動しか聞かなかったんだ? それは、夜の時間にカネが差し替えられたことを知っていたからだ」
「ちょっと待ってください、若宮さん……」
だが、鹿子が加勢して場は過熱する。
「でも、確かに、リビングから納戸まで一番近い場所にずっといたんだもの」
「いやいや、僕はスケッチブックがあそこにあったなんて知らなかったんですよ!」
「知らない振りをしていたとか探しだしたとか、色々言えるわよねえ」
三代子と鹿子が言葉を交わす。祖父江は額に手を当てて深い溜息をついた。もう、この場をコントロールするのは難しいだろう。世のミステリを紐解いてもここまでひどい探偵はいない。祐未は言う。
「確かに、朝の行動を聞くのもいいかもしれない。ほら、祖父江さん、進めて」
「もうやだよ……」
「なに弱気になってるんですか。だからいつまでも未婚なんですよ」
祖父江は打ちのめされながら、ノートに「今朝」と殴り書いた。
「ええと、じゃあ、まずは僕から……。僕は、七時過ぎに目覚めて洗面所で顔を洗いました。初瀬さんが朝ご飯を作っていたので手伝っていたんです。それは初瀬さんも孫井さんも祐未ちゃんも証言してくれると思います」
三人はうなずいた。祖父江は胸を撫で下ろして先を続けた。
「それから七時半にみんなでご飯を食べて八時過ぎにケースの中身が入れ替わっていることに気づくまでリビングからは出てないです。これは皆さんが承認ですよね」
一同はまたうなずいた。
「では、今の流れで初瀬さん」
「私は六時前に起きて勝手口から外に出てゴミ出しをしに行ったわ。その後はキッチンで朝ご飯の用意を。あとは祖父江さんと同じね。祐未ちゃんもそうでしょ」
「うん、朝ご飯の後にトイレ行ったけど。朝は六時半くらいにおばあちゃんが起きて私も一緒に起きた。私も朝ご飯作るの手伝ってたよ」
「朝起きた時に、変なことには気づかなかった?」
祖父江の問いに祐未は首を振る。
「まさかそんなことになってると思わなかったですから」
「では、孫井さん」
「私は、祐未ちゃんが言った通り、六時半ごろに起きて、一階に降りてトイレに行って、それからずっと三代子ちゃんたちといたわよ。で、八時過ぎに成作さんが『六千万を生で見てみたい』っていうから二階からケースを持ってきたの」
成作に一斉に視線が集まる。成作は慌てたように手を振った。
「ちょっと言ってみただけだぞ」
また場が混迷を極める前に、祖父江は先を促した。
「成作さんは今朝どうしていましたか?」
「俺は七時過ぎに起きて、飯を食って、それだけだ」
簡潔な報告をノートに落とし込んで、祖父江は源十郎を見た。彼は視線を感じて今朝の状況を話し始めた。
「俺は六時くらいに起きて散歩に行ってきた。戻ってきたのは七時過ぎで、あとは成作と同じだな」
「散歩ですか」
「日課なんだよ」
「裏付けられる人は?」
「いや、誰とも顔を合わせないまま外に出たからな」
三代子は首を振った。スマホを取り出してホームセキュリティにアクセスすると、口を開いた。
「今日の六時八分に玄関のドアが解錠されてるわよ。それから今もずっと鍵は開いたまま」
祖父江はメモを取りながら顎を掻いた。
「ということは、六時過ぎから玄関と勝手口の鍵は閉まっていなかったんですね」
「違うわ。ゴミ出しに行って戻ってきた時に鍵を閉めたから」
「ゴミ出しは数分ですよね」
「そうね」
「なるほど」
なるほどと言いつつ、何もなるほどではないのが現状だ。そんな中、再び源十郎が声を上げた。
「犯人は、成作だ!」
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