予期しないことが起こった。

 祖父江と鹿子は揃って目を白黒させてアタッシェケースの中を見つめていた。中身は札束に見せかけたただの紙の束だ。それがケースの中一杯に詰まっている。

 翌朝八時過ぎのことだった。

「実際の札束を見てみたい」という誰かの一言で二階の部屋からケースを運んできた鹿子が、リビングのテーブルの上でロックのダイヤルを回して蓋を開ける。それを隣で祖父江が覗き込む。そして、悲鳴にも似た鹿子の声が家中に響き渡ったのである。

「なに、これ!」

 目も口も開け放って、祖父江はケースの中に釘付けになった。三代子と祐未はテーブルの向こうから回り込んで中身を確認する。悲鳴を聞いた成作が飛んできて腰を抜かさんばかりに大声を上げる。源十郎もその光景を見てまた大声を上げた。三代子の家は朝っぱらからやかましいスタートを切ったわけだ。

「ええと、大問題です。六千万が紙切れでした」

 祖父江がケースをみんなの方へ向ける。源十郎は急いで中園へメッセージを送った。しばらくすると、

『中身は本物だよ、それがどうした?』

 という返信がやってきて、場は混迷を極めた。

「ええと、六千万が消えたということに……いつ、どうやって、誰が……」

 古池から金を騙し取る計画会議がいつの間にか六千万が消えたことに関するものに塗り替わっていく。成作が言う。

「誰かが中身を入れ替えたに違いない!」

「でも誰が?」

 三代子の言葉に誰もが口に出したくない言葉を飲み込んだ。祐未は冷静だった。

「外部の人間がやったとは到底思えないですけど……」

 誰もが想像しただろう。この家の中の誰かがカネをすり替えたのでは、と。

「俺じゃないぞ」

 先陣を切ったのは源十郎だ。だが、鹿子は言い返す。

「誰も源さんを疑ってるなんて言ってないわよ」

 その声には少しだけ棘があるように聞こえた。

「疑ってるような目つきじゃねえか」

 源十郎がやり返すと、一同の間にぴりついた空気が張り詰め始めた。三代子が叫ぶ。

「私だって、違うわよ!」

「ちょっと待って!」祐未が老人たちを制する。「みんな落ち着いて!」

「俺はカネに困ってないからな」

 成作が言うと、源十郎が返す。

「カネに困ってなくたって六千万は欲しいだろう」

「なんだと!」

「そっちこそなんだよ!」

 唐突に訪れた刺々しさに祖父江は手を叩いて注目を集めた。

「落ち着いて。なぜこんなことになったのか冷静に考えましょう」

 だが、成作は煮え切らない。

「お前が、ってことだって考えられるんだ」

「ちょっと、僕を疑うんですか!」

 祐未は目を瞑って叫んだ。

「みんな静かにして! なんでいがみ合ってるの!」

「祐未ちゃん、落ち着いて」

 鹿子が言うが祐未は食い下がる。

「私が一番落ち着いてるよ!」

 混乱である。たっぷり十分は言い合いが続いたが、それを書き記すほどの意味がここにはない。とにかく、コンプライアンスに引っかかるような言葉が飛び交ったため、自粛した次第でもある。

「冷静になりましょう」

 祖父江の言葉でようやく全員は我に返り、その場に腰を下ろした。三代子の家のリビングはこうしていきなり事情聴取の現場と化した。祖父江はノートを開いた。

「公平を期すために、まずは僕から昨夜から今朝までの行動を発表していきます。皆さんにも聞いていきますから、うそなどつかないようにしてください」

「お前もだぞ」

 成作が釘をさす。

「まず、昨夜は〇時まで祐未ちゃんと話し合いをしていました。これは祐未ちゃんが証明してくれます」

「はい、その通りです」

 祐未がうなずく。

「その後、僕はこのソファで朝まで寝ていました。正確には、夜中に一度トイレに行きましたが」

「それは何時のことだ?」

 源十郎が目敏く問いかける。

「いや……覚えていないですよ。時計もちらりとしか見ていなかったですから……」

「その時間にカネの入ったケースを……ってことも考えられるよな」

「いや、ちょっと待ってください……」

 再び議論が紛糾しかかったところに三代子の声が割って入る。

「うち、ホームセキュリティに入ってるのよ。トイレに人がいた時間ならスマホで見られるわよ」

「あら、ハイテクね」

「トイレで倒れたりしたら、警備会社の人が駆けつけてくれるようにしてくれたのよ」

 そう言いながら三代子はスマホを取り出して、ホームセキュリティシステムにアクセスした。

「夜の間に五回トイレに入った記録があるわよ。トイレに行った人、手挙げて」

 三代子が手を挙げると、源十郎と成作、祖父江も倣った。祐未が顎に手をやった。

「回数と人数が一致しない」

「いや、俺が二回行ってる」

 源十郎がそう言う。成作が茶々を入れる。

「なんだ、前立腺が弱いのか?」

「やかましい」

 三代子はトイレ利用の時間を読み上げていった。

「午前二時十七分、午前二時四十四分、午前三時七分、午前四時三十一分、午前四時五十六分……あとはついさっきのものね」

 祖父江が記憶を手繰り寄せながら応える。

「三時までは言ってなかったと思いますんで、二時四十四分が僕かもしれません」

「そのホームセキュリティって他に何が見れるの?」

 鹿子が聞くと三代子はメニューを表示させて鹿子に見せた。

「玄関のドアと勝手口と窓のロック状態も分かるわよ。窓は勝手に鍵も閉めてくれるの。で、分かったんだけど、私、昨夜勝手口の鍵を閉め忘れてたみたい」

 祐未は呟いた。

「ということは、外から人が入ってくることはできたってことか……」

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