地元の大地主が現れるとは思っていなかった祐未は混乱した。

「おばあちゃんたち、そんな人を巻き込んじゃったの?」

「待て待て、まだ分からんよ。これが本当に騙しなのか」

 騙しである。誰か彼に教えてやってほしい。

 中園は繰り返す。その声は祖父江の車のスピーカーから流れてきた。

『六千万でいいんです』

『「でいい」っていう額じゃねえだろう』

 とはいうものの、思案げな古池である。

『そうですが、持ち合わせがない以上、私にはそれしか……』

 頭の中で算盤を弾くような表情で、古池は目の前の中園を見た。最近は算盤ではなくて電卓かもしれないが。

『中園忠賢、だな?』

「お、やっぱり知ってたか」

 祖父江が呟いた。集音マイクを持った右手はしっかり窓の外に出して、古池たちの方へ向けている。

「有名人なんですね」

「新聞にもたまに出てるぞ」

『そうです』

 どこからどう見ても中園忠賢である。中園忠賢以上に中園忠賢といってもいいくらいだ。意味は分からないが。古池は顎髭をジャリジャリとやりながらしばらく黙っていた。やがて口を開いた。

『まずは連絡先を』

『土地は』

『まずは連絡先だけだ』

『しかし……』

『早くしろ。車の邪魔だろうが』

 変なところで律儀だ。古池が周囲を見回すのと同時に祐未と祖父江は体を倒してダッシュボードの陰に隠れた。

「見られてないですよね」

「大丈夫だ」

「なんで自信満々なんですか、気持ち悪い」

「なぜすぐに気持ち悪がるんだ……」

 古池は自分の車の運転席に向かう。

『こっちから連絡はする。それまで待て』

『弁償は……』

『それはその時に話す』

『あ、あの、申し訳ありませんでした』

『いいってことさ』

 そう言い残して、古池は車に乗って走り去ってしまった。しばらく棒立ちになっていた中園もとぼとぼと運転席に戻って、やがて路上から二台の車は消えた。

「しまった」祖父江が唐突に言う。「今の出来事に気を取られすぎて古池を追うのを忘れてた。今からじゃもう遅いが」

「何してるんですか、役立たず。だから未婚なんですよ」

「……そこまで言うことないだろう」

 祐未は座り直して祖父江の方を向いた。短いスカートから太腿が露わになって、祖父江はどぎまぎする。

「でも、どういうことですかね。まず、中園さんはおばあちゃんたちの味方?」

「まあ、タイミングが良すぎるからな。そう見ても間違いはないと思う」

 そう見ても間違いはないと、読者諸君もみんな思っている。

「じゃあ、また失敗?」

「どうだろう。古池が警戒しているのは確かだろう。だから、あの場で即決しなかったんじゃないか」

「そうか、裏づけが取れたら話に乗ってくるかも」

「そう思う。だが、あんな人物を巻き込むなんて、むちゃくちゃな人たちだ」

 そう言われて、祐未はなぜか嬉しそうに頬を緩ませた。

「だって、おばあちゃんたちだもん」

 集音マイクを片付けながら、祖父江は言う。

「ずっと考えていたんだが、祐未ちゃんはおばあちゃんたちをサポートしたいんだろう? だったら今がその出番なんじゃないか」

「とはいうものの、どうすればいいか……」

「僕にはもう妙案が浮かんでるんだが」

「得意そうな顔しないでください。変態」

「……ちょっとくらい格好つけたっていいだろう」

 二人はいったん祖父江の事務所に戻って作戦会議を始めた。

「さて、僕の妙案なんだが」

「祖父江さんの事務所って今見たら余計なものがたくさんありますよね」

「人の話を聞けい」

 祐未はデスクの上の聴診器を取って、オシロスコープを調べ出した。

「なんでこんなのが必要だと思ったんですか」

「別にいいだろう。備えあれば憂いなし、だ」

「備えたこと自体が憂いでしょう」

「やかましい。そろそろ本題に入るぞ」

「はぁい」

 祐未は聴診器をデスクに置いてけだるげな返事をした。

「僕の妙案というのは、古池の生活に基づいている」

「生活?」

「思い返してみてくれ。古池の生活を」

「ずっと部屋に籠ってましたよね。特に気になることはありませんでした」

「いや、古池の習慣の一つに、新聞を読むことというのがある」

「あっ」

 祐未は目を丸くした。

「そう。その新聞を使わせてもらうんだ」

「新聞を? どうやってですか」

「世の中には便利なものがあってね……」

 祖父江はガラクタの山の中から小さな段ボール箱を取り出した。表面のホコリを吹いてよけると、ガムテープにカッターナイフで切り込みを入れた。

「今まで使ってこなかったんですね」

「変なところだけ目敏いな君は」

 祖父江が箱から取り出したのは、未印刷の新聞紙の束だ。

「そんなものあるんですね。……いや、なんでそれが必要だと思って用意しておいたのか謎なんですけど」

「うるさい。今は僕の妙案を聞きなさい」

 デスクの上に白い新聞紙を叩くように置くと、風圧が祐未の前髪を揺らす。彼女は敏感に前髪を直しながら、少しだけ祖父江を睨みつけた。年ごろの女子にとって、前髪は命なのだ。

「新聞を作るんですか?」

「作るんじゃない。本物を一部分だけ改変する」

「どうやって?」

「これは時間勝負なんだが、午前三時半に新聞が配達されたら、地域版のページを含んだ一枚を抜き取って、中園さんの土地売買に関する改変記事を貼りつける。あとはそれをスキャンして両面を印刷し直せば、一部分だけ改変した新聞ができあがる」

「おお~!」

 この物語で初めてといっていいほど、祐未の称賛の声が上がり、事務所にこだました。

「どうだ、この妙案は」

「すごいです。なんか祖父江さんも生き生きしてきましたね」

「そうかもしれない」

 漫然と続けてきた探偵業だった。だが、この年になってこれほどまでに輝きを感じることになるとは、祖父江自身も思いもよらなかった。

「明日の朝刊を差し替えよう。スピードが命だ」

「でも、古池が何の新聞を取っているか調べないと」

 祖父江は不敵な笑みを浮かべる。

「こんなこともあろうかと、あらかじめ調べておいたのさ。古池は日報新聞を取っている」

「なんでなのか分かりませんが、祖父江さんが得意げにしてるとめちゃくちゃイライラしてきますね」

「どうして素直に褒めないんだ」

「じゃあ、日報新聞を明日の朝、コンビニで買って……」

「そこで君には、万が一、古池が早く新聞を取ってしまう可能性を見越して、三時半に新聞が配達されたら抜き取ってくる任務を与える」

「ええ~」

「『ええ~』じゃない。寝て過ごそうと思っていただろう」

「はい」

「素直に認めるんじゃない。とにかく、これは連携が大切だ。僕は記事を改変する。君は新聞を抜き取る」

「女子高生の酷使だ……」

「元はといえば、君が言い出したことだろう」

 祐未はぐうの音も出ないほどに論破されて、唸り声を漏らした。

「それを言われると辛いんですけどね……」

「こうやって出歩いてても何も言われないんだから、朝早くに渋谷にいても大丈夫だろう」

「まあ、うちの親は放任主義なので。でも、心配じゃないんですか、私可愛いからナンパされちゃう」

「大丈夫だ」

「自信持って言わないでくださいよ! バカ!」

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