四人から目立った動きが見られなくなったことから、祐未と祖父江は古池を集中して見張ることにした。すでに休みの期間に入っている祐未は、まるで古池のマンション前に停めてある車に出勤するみたいにやってきた。

「おはようございます」

 時刻は八時半。祐未の学校の定期圏内だから、運賃の心配はない。

「おはよう」

 祐未は後部座席の荷物の山を一瞥して口を曲げた。

「片づけたらどうですか」

「いいの」

「で、動きは?」

「ない。人の動きといったら、午前三時半の新聞屋と古池がコンビニに行くくらい」

「次のターゲットが絞れないんでしょうか」

「どうだろう。少なくとも、カモにされた老人が入っていくようなことはなかったな」

「コーヒーとサンドウィッチ買ってきましたよ」

 ここ数日の祖父江は近くの銭湯で体を清め、ここで隙間時間に眠るという実に探偵的な生活を続けてきた。そんな中での祐未の存在は一服の清涼剤のようなものだ。

「古池はずっと部屋に籠って何してるんですかね」

「さあ……新しい詐欺でも考えてるんじゃないの」

「今どき新聞読んでるなんて珍しい」

 祖父江のために買ってきたはずのサンドウィッチをぱくつく祐未。

「詐欺師だから世の中の情報に疎いのはマズいだろう」

 残りのサンドウィッチを確保する祖父江。もともとは祖父江の経費だ。

「おばあちゃんたち、次はどんな手で来ると思います?」

「見当もつかないね。絵と来て、次は壺でも売りつけようとするんじゃないかな」

 サンドウィッチを温かいコーヒーで流し込む。

「でも、一度失敗している以上、次は同じような手は通用しないですよね」

「確かに、何かを売りつけるのは無理がある……」

 だからこそ、四人の老人たちの次の手が気になるところだったのだ。今は古池を追う以外ない。

「詐欺師って詐欺にかかるんですかね」

「騙されないと思ってる人間ほど騙されるらしい」

「でも、古池は誰も信用しなさそうでした」

「そうでもないさ、現に僕たちのことは受け入れてくれただろ」

 手に余ったサンドウィッチを頬張って祐未は首を振る。

「あれは私たちがいなくても引っかからなかったと思います。もともと、絵に興味なかったんだと思いますよ、古池は」

 古池はご丁寧に笹川と宮根がいかにして自分を騙そうとしたかをレポートにして送りつけてきていた。余裕があるというポーズなのかもしれない。

「三年後に……というのもよくなかったのかもしれないな。古池は目の前の利益を優先する。三年あれば、今の詐欺で十億以上は稼げるだろう」

 祐未はマンションを見上げながら、疑問を口にする。

「お金って、そんなに大事なものなんですかね」

「君も大人になれば分かるよ。何かをしようと思えば、カネが要る」

「探偵事務所開くのもお金かかりました?」

「もちろん。三百万くらい。それに、事務所の家賃だってバカにならない」

「はあ、そういうお金に振り回されない世の中は来ないんですかねえ」

「君はいい共産主義者になりそうだ」

「そこまで極端じゃありません。でも、みんなお金に振り回されすぎですよ」

 そうなのかもしれない。祖父江は目を細めてコーヒーの香りをかいだ。世の中には、このコーヒーを買えない人間だっているのだ。これが本になっているのなら、読者諸君だって、お金を払ってこれを読んでいる。立ち読みならここまで読んできたことに敬意を表するが、そろそろ買ってくれてもいいだろう。

「そんな話をしていたら、出てきたぞ」

 六〇五号室のドアが開いて、薄いダウンを着た古池が姿を現した。

「またコンビニかな?」

 双眼鏡を覗いた祐未が首を振った。

「車のキーを持ってますよ」

 その言葉で、祖父江はシートを起こし、エンジンをかけた。祐未も助手席でシートベルトを締め始めた。しばらくすると、マンションの地下駐車場から深緑色のセダン車が現れた。古池だ。祖父江はゆっくりとアクセルを踏んで後をつけ始めた。

「事故らないでくださいね」

「僕がゴールド免許なの知らなかったのか?」

 古池の車を二台先に見ながら走っていくと、高速に乗る。

「椎町の方向だぞ」

 渋谷から高速で二十分ほど行けば、椎町だ。

「またあの寂れた町に戻るのかぁ」

 助手席の祐未は不満げだ。

「椎町、嫌いなのか?」

「嫌いというわけじゃないけど、廃墟が多いし、夜ちょっと怖いんですよね」

「ああ、それは昔、街の中心だった企業が倒産してからのことだよ。十二年くらい前かな」

「私五歳」

「で、デパートとか工場の跡地が遺されたわけ」

「あの感じさえなければいいんですけどね。なんか、死んだ街みたいで」

「確かに、少し前にも廃墟で事故があったらしいから、危険だな」

 古池の運転する車は、その死の街へウィンカーを切って高速を降りていく。街の外れに入ると早速錆だらけの工場跡地が出迎える。

「まさか、おばあちゃんたちのところへ?」

「そんなバカな……」

 車は工場地域を抜け、中心である駅の方へ向かう。その途中で方向転換して閑静な住宅街へ入っていく。四人の老人たちの住む方とは逆だ。

「新たなカモでも見つけたかな」

 不穏な想像を口にすると、十字路で少し距離を取られる。

「見失わないでくださいよ」

「僕が何年探偵やってると思ってるんだ」

 と、大きなクラクションと小さな衝突音が聞こえて車列が急に停止した。祐未が窓を開けて乗り出してみる。古池の車のリアバンパーが外れていた。

「事故です」

 事故車両を回避するように進む前方の車たちとは別に、祖父江は車をすぐ路肩に停めた。数十メートル先で運転席から出てくる古池の姿が見える。ぶつかった方の車から出てきたのは高齢の男だった。ただし、今まで見たことのない。二人は路上でなにやら話し合っている。

「祐未ちゃん、後部座席に細長いマイクみたいなやつない?」

「え、ちょっと待ってください」後部座席に首をつっこんで荷物を漁る。「なんで人生ゲームがあるんですか!」

「暇潰し用に」

「あ、ありましたよ。なんですか、これ」

「集音マイクだよ」

「なんでこんなもの持ってるんですか! 変態!」

「なんで変態になるんだ。どんな想像してるんだ。早く寄越しなさい」

「何のために持ってるんですか」

「探偵として使うかと思って最初に買ったんだよ。今まで使ったことはなかったが」

 祖父江は答えてコードをカーステレオに繋いだ。その間に古池と老人は車を路肩に寄せて再び車外に出てきていた。運転席のドアを開けて、集音マイクを二人の方に向けると、車内のスピーカーから声が聞こえてきた。

『……ません』

『どうするんだよ、これ』

 古池の声だ。

『弁償はします』

「助手席におばあさんが乗ってる」

 祐未が双眼鏡を片手にそう言った。

『いくら払うんだよ』

『今は持っていなくて……』

『財布は?』

 古池は老人から財布を催促する。老人が渋々渡すと乱暴に受け取って、中身を検めた。

『五千円しか入ってねえじゃねえか』

『……妻の病院の帰りで……』

「あの老人、どこかで見たことあるな……」

「本当ですか? どこで?」

「思い出せん」

「脳もジジイ化しないでくださいよ」

「『脳も』ってなんだ」

 古池が財布を地面に投げ落として老人に詰め寄る。

『どうやって弁償するつもりなんだ』

 老人はあたふたと言葉を探す。

『この車、高級なんだよ』

『と、土地があります……』

『土地だって?』

 古池がバカにしたような笑いを浮かべる。その老人の言葉に、祖父江は膝を叩いた。

「中園忠賢! 地主の」

「地主? なんで知ってるんですか?」

「この街の廃墟問題の時には必ず名前が出てくるんだよ」

『もうすぐ買い手がつく土地があるんです』

『いくらだ』

『六億。だけど、妻はがんなんです』

『それがどうした』

『多少のお金はいただきたい』

『なんで俺が金を払うんだ』

『八千万でいいんです。それだけあれば、妻に充分な治療を施せる』

『そんな大金は出せん』

『でも、弁償が……六千万でもいいんです』

 その金額に、祐未と祖父江は顔を見合わせた。

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