古池から機嫌の良さそうなメッセージが来て、祐未と祖父江は溜息をついた。

「これでおばあちゃんも諦めてくれたかな」

「いやその前に、なんで君が僕の席に座ってるのか教えてくれ」

 祐未は祖父江の定位置であるデスクの椅子に、祖父江は客が座るソファに腰かけていた。

「細かいこと気にするからいつまでも独身なんですよ」

「関係ないだろ……」

「でも」祐未はデスクを蹴っ飛ばした。「古池にいい顔をさせるのが嫌ですね」

「机蹴らないで」

「これからがこっちのターンですよね」

 悪びれる様子もなく祐未が言う。

「まあ、そうだね」デスクから零れ落ちた書類を整理しながら祖父江が応える。「今、彼は機嫌が良さそうだから、示談に応じるかもしれない」

「いつですか?」

「できるだけ早い方がいい。孫井さんたちがまた変な気を起こす前に」

「じゃあ、おばあちゃんたちに探りを入れましょう」

 祐未が提案すると、祖父江はうなずいた。もう明らかに主従が転倒している。

 二人は四人の老人たちの聖地であるコンビニ前のベンチへと駆けつけたものの、彼らの姿はない。

「おかしいな、いつもはいる時間なんだけど」

「まさか、また初瀬さんの家に?」

 二人は祖父江の運転する車ですぐ近くの三代子の家の付近までやってきた。助手席で双眼鏡を掴んだ祐未が苛立たしそうに声を上げる。

「ここからじゃ見えない。もうちょっと先まで行ってください」

「僕は召使か……」

 十数メートル車を進ませて停止する。祐未は目のまわりに痕ができるんじゃないかというくらい双眼鏡を顔に押し当てていた。

「うーん、気配がないなあ」

 三代子の家の窓という窓を眺めて、祐未は口を尖らせた。

「もういいんじゃないか?」

「何がですか?」

「直接やめるように説得してもいいだろう」

「相対性理論って知ってます?」

 双眼鏡を覗きながら祐未が突拍子もないことを言う。

「名前だけは」

「時間の流れは年齢や人によって違うんですよ。子供のころは一日が長く感じられたでしょ。あれも相対性理論です」

「そうなのか?」

「私の好きなセリフにこういうのがあります。『熱いフライパンに手をつけている時間は一秒でも一時間のように感じられるけど、ホットな女に触れている時間は一時間でも一秒のように感じられる』」

「女子高生の口から聞ける言葉じゃないな」

「人間は、色々な情報を絶えず得ようとしているけれど、大人になるにつれてやめてしまう。だから、一日は短く感じられてしまうんです。今、おばあちゃんたちの一日はすごく長いと思うんです」

「確かに」

「おばあちゃんたちには長生きしていてほしいんです」

 一回り以上も年の離れた少女に人生を諭され、祖父江はシュンとしてしまった。

「いや、僕だってね、詐欺師の味方なんかしたくなかったよ」

「どうしたんですか、急に。気持ち悪い」

 運転席を振り返る祐未の目のまわりには案の定、双眼鏡の痕が赤くついている。

「おばあちゃんたちの気持ちは分かるし、カネを騙し取る計画だって楽しいだろう。僕も昔は法律ギリギリのことをやったもんだ」

「意外ですね。臆病そうに見えるのに」

「臆病になったんだよ。世の中はつまらない。何回か警察の世話になって、次第に無難な道を選ぶようになったんだ。できるだけ波風を立てないようにね」

「そういうもんですか」

「コンゲームだって好きだった。『スティング』、『百万ドルを取り返せ!』、『マッチスティックメン』……だけど、時代を追うごとに陳腐になっていく。古き良きものが淘汰されて世の中がつまらなくなったからなんだ」

「ふーん」

 ダッシュボードに肘を置いて三代子の家を観察していた祐未は双眼鏡を膝の上に置いた。

「私の好きなセリフにこういうのがあります」

「またか」

「まあまあ、聞いてください。『つまらないのは、お前がつまらないからだ』……うちの学校にもいますよ。つまらないつまらないって言ってる男子が。でも、つまらないって思いながら世の中を見ていたら、そりゃあ、つまらないと思いますよ。面白いと思うから面白くなることだってたくさんある。おばあちゃんたちは、この一週間で世の中のこと、面白く感じてるんだと思います」

「新聞も買ってないみたいだからなあ」

「暗いニュースでうんうん言ってるおばあちゃんたちより、よっぽどいいなって思っちゃったんです、私」

 祖父江は小さな車内で感じ入っていた。

「君はずいぶんと哲学的なことを言うね」

「高校生ってみんなこんなもんだと思いますよ」

「君ほどの子はいないよ、きっと」

 急に身を引いて祐未が表情を強張らせる。

「え、気持ち悪い! いきなり口説かないでくださいよ!」

「口説いてない!」

「うそ! なんか女を見る目をしてた、今!」

「してない!」

「よく考えたら、密室に女子高生と二人って、祖父江さんやばいですよね……」

「いや、君が行こうって言ったんでしょうが……」

 祐未は笑った。

「冗談は置いておいて……、いいこと考えついたんですけど」

「君の『いいこと』は、僕にはそうじゃないんだよ……」

「もし、おばあちゃんたちがまだ諦めていなかったら、サポートをしてあげませんか?」

「サポートぉ?」

 素っ頓狂な声を上げる祖父江に対して祐未は真剣だ。

「そうです。より古池が騙されるようなサポートを」

「いや……、それはちょっと」

「なんでですか。さっき言ってたじゃないですか。おばあちゃんたちの計画は楽しいって。いつまでつまらない毎日を続けてるつもりなんですか!」

 その一言は祖父江の心に深く突き刺さった。

「そうだな。どうせ失敗しても示談でカネは取り戻せるんだ。一つ、暴れてやるか」

「暴れちゃダメです。あくまで隠密に」

「はい」

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