源十郎は隣に座る祖父江に問いかけた。

「探偵って地味なんだな」

 場所は新宿区役所。二人はじっとその時が来るのを待っていた。

「そりゃあ、そうですよ。どういうのを期待してたんですか」

「尾行とか尋問とかいろいろあるだろう」

「そんなことしてる探偵いないんじゃないですかね」

「今どきの探偵はつまらん」

「昔の探偵も知らないでしょ」

 祖父江はまず、鹿子が交わしたという契約書を借り、念のため鹿子に委任状を書かせた。鹿子が訪れたというセミナーの開催場所はマンションの一室で、後にもぬけの殻になったということから賃貸だと思われ、住民票の写しを取得できると考えたわけだ。ただし、第三者の住民票の写しの取得にはハードルがある。そのハードルを変えるための武器が鹿子の契約書だ。契約内容の確認ができず、住所が移動したのであれば、それは住民票の写しを取得する正当な理由となるだろうと踏んだのだ。よい子は真似をしないでもらいたい。

「まあ、これは一か八かっていうやり方ですけどね」

「どうしてだ?」

「まず、世帯主が古池隼人という名前じゃない可能性があります。それから、僕たち──というか僕のやり方でも取得に足る理由とみなされない場合もありますからね」

「よく分からんが、つまらんな」

「つまらないんですよ、探偵って。夢見るようなものじゃない」

 まわりの人々が次々と窓口に向かう中、二人は時が止まったように椅子に張りつけになっていた。

「じゃあ、なんで探偵に?」

「源さんと同じですよ。探偵に夢を見ていた。最初は、大手探偵会社のバイトに。なんだかんだでこれしかやれることがなくなって独立しただけです」

「空しい話するんじゃねえよ」

「源さんが聞いてきたんでしょうよ。そういう源さんはどうなんです。なんで元探偵だなんてうそを?」

 源十郎は苛立たしそうに指先で膝をつつきながら答えた。

「自分でも分からんよ。おしゃべり相手ができて、自然な成り行きでこうなった。俺のせいじゃない」

「後に引けなくなっちゃったんですか」

 源十郎の溜息が答えだった。

「番号札五九三でお待ちの方~」

 二人は労せずして古池隼人の住民票の写しを入手した。物語にしては安易な方法である。もっと尾行や尋問など派手にやってくれれば書き甲斐があるものを。

「住民票の写しには今の住所も載ってるわけです……今は渋谷区のマンションにいますね」

「これからどうする?」

「どうするも何も、相手の居場所が分かったわけですから、示談を──」

 源十郎の鼻息は荒い。

「張り込みだな」

「何を張り込むんです?」

「ちょっと見に行くだけだよ。それくらい、いいだろう」

 祖父江は腕時計を一瞥して渋々うなずいた。

「まあ、確かに、下見は必要かもしれませんね」

 二人は祖父江の運転する車で一路渋谷を目指す。助手席で勝手にタバコを吹かす源十郎に、祖父江は窓を開けて対抗した。

「運転席が懐かしいよ」

「乗らなくなったんですか?」

「免許を返納した」

「一応理性的な判断力はあるんですね」

「やかましい。あれだけジジイババアが車で轢き殺してるんだ。明日は我が身だと知ったよ。車も売った」

 急に暗い話題に突入して、祖父江は思わず奥歯を噛みしめた。

「まあ、それでも車が必要な人もいるわけですからねえ」

「車の要らない場所に移るしかねえんだよ」

 知らないうちに社会派的な展開になりかけたところで、車は目的地に到着した。八階建ての白い外壁のマンション。祖父江は路肩に車を停めてそれを見上げた。

「あれの六〇五号室ですね」

 ちょうど通りからは玄関のドアが並ぶ通路が見える。祖父江は後部座席から双眼鏡を取り出してじっと観察した。

「ああ、またセミナー場所になってますね。玄関に貼り紙がしてある」

「じゃあ、またカモにされてるやつらがいるわけか」

「そうなりますね」

 乗り込もうと喚く源十郎を無視して祖父江は車を出した。


「まだ騙し取ろうっていうのね」

 三代子が表情を強張らせる。次の日のベンチだ。

「許せんやつらだ」

 成作も勢いよく煙を吐く。

「結局どうするの?」

 三人の視線を一斉に浴びて、源十郎は黙り込んだ。ただ何も浮かばないだけだが、三人は固唾を飲んで沈黙が破られるのを待っていた。

「俺は乗り込もうと言ったんだ。だが、孫のやつが尻込みしやがってな」

 今はここにいない祖父江はどこかでくしゃみをしているかもしれない。

「どうするつもりだったのよ?」

 鹿子が聞く。

「そりゃあ、もう、ドアをバーンとやって、やつをグッとして、カネをバーッだよ。『耳揃えて六千万返しな』ってな」

 よく分からない答えだが、老人たちには刺さったらしい。

 と、コンビニの自動ドアが開いて口を真一文字に結んだ祐未が現れた。彼女は黙ってベンチの裏に貼りつけたスマホを取り上げて、憤りの声を上げた。

「全部これで聞いたよ」

「な、なあに、祐未ちゃん、どうしたの?」

「ごまかさないでよ、おばあちゃん。六千万も騙し取られたんでしょ」

 四人の老人はあたふたとお互いの顔を見合わすばかりで何も答えることができなかった。っだが、やがて観念したようにうなだれるのだった。

「どうして何も言ってくれなかったの?」

「心配かけたくなかったのよ」

「今からでも遅くない。警察に連絡しようよ」

 四人は口々に叫ぶ。

「やめなさい!」

「どうしてよ!」

 詐欺師からカネを奪い返す、とは言えなかった。が、祐未には筒抜けだ。

「どうして危険を冒そうとするの」

「あのな、祐未ちゃん」源十郎が声をひそめる。「男には戦うべき時ってのがあるんだよ」

「おばあちゃんは女でしょ」

「あのな、祐未ちゃん」成作が声をひそめる。「六千万が俺たちを待ってるんだ」

「ごめん、意味が分かんない」

「あのね、祐未ちゃん」三代子が声をひそめる。「あのね、うまいセリフが思いつかないわ」

「無理しないで、三代子さん」

「あのね、祐未ちゃん」最後に鹿子が優しい声を絞り出した。「ずっとここに座ってる毎日も楽しいけれど、おばあちゃんたち、それだけじゃ物足らなくなっちゃったのよ」

 その一言は、祐未には衝撃的だったらしい。驚いた顔を一瞬だけ見せたが、すぐに眉間にシワを寄せた。

「もういいよ!」

 ポニーテールを揺らして走り去ってしまう。四人の老人はそれを引き留めることもなく、ただ座りつくしていた。

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