四
「で、調子乗って困ってると」
背中を丸める源十郎の前で、祖父江可也がメモを取る。
「そうなんです」
あの時の勢いはどこかに落としてきたらしい。この狭い事務所以上に肩身の狭い思いを抱えながら、源十郎は祖父江探偵事務所のドアを叩いたのであった。
「率直に言いましょう、こういう依頼はありふれてる」
「え、そうなんですか?」
「うそです」
「いや、どういううそなんだ」
「初めてですよ、こんな依頼は。っていうか依頼なんですか、これは」
「カネはいくらでも払うから半額負けてくれ」
「いや、安く済ませたさすぎて願望出てますから」
スリーピースのスーツに身を包んだ祖父江は、かっちりしているようだがデスクに足を乗っけたり、シャツの襟が黄ばんでいたりとどこかだらしなさを感じさせる。髪もセットしているが、適当に後ろに撫でつけているだけだ。
「なぜ警察に言わないんですか」
「俺は元探偵だということになっているからだ」
「うそなんですか?」
「誰にも言わないでくれ、頼む。この通りだ」
「いや、バウムクーヘン食べてるじゃないですか」
「とにかく、警察はなしだ。ベストを尽くすのが君の仕事だろ」
「なんでそんな監督みたいなこと言われなきゃいけないんですかね」
祖父江はしばらく考えた。ある程度の頭脳はある。
「僕にできることといえば、その詐欺師の身元調査と示談交渉くらいですよ」
「耳元調査と舌でコショコショ?」
「そんないやらしいこと言ってませんよ。詐欺師の居場所を見つけ出してその身元を調べるんです。で、カネを返してもらうように交渉する」
「なんかもっと爆破して派手にやれないか?」
「いや、西部警察じゃないんでね」
動転した源十郎にも祖父江は平静を保っている。大したものである。というより、化けの皮が剥がれた源十郎がひどすぎるのかもしれない。
「じゃあ、その君ができる範囲で手を打とうじゃないか」
「譲歩してるのそっちですからね」
「で、もしカネを取り返せなかったらどうする?」
祖父江は腕を組んで考え込んだ。
「結局、詐欺なわけですから、警察が出るハメになると思いますけどね。もちろん、警察に連絡するぞと脅しをかければ何とかなると思いますが」
「映画ってそんなにしょぼい解決法か?」
「いや、違うと思いますけどね。もっと騙し合いというか、コンゲームみたいになるんじゃないでしょうかね」
「コンゲーム……狐の化かし合いみたいなことか」
「違いますけど、まあ合ってますね」
「そっちのプランで頼む」
「いや、そんなプランないですよ。僕は探偵なんですから、犯罪に加担はしません」
「俺が若いころは法すれすれのことをやったもんだぞ」
「それがうそだったんでしょう?」
「あ、そうだ。君には意味がないんだった」
祖父江は電卓を弾いて、見積書の最後に数字を書き入れた。手渡された源十郎は目を丸くした。
「基本料……三千円?」
「どんだけ安くしてるんですか。三十万円です。これに諸経費と日数分の費用が加算されます」
「ということは……今日解決できればゼロ日でゼロ円……」
「どういう論理ですか。一日分ですよ」
源十郎はたっぷり十分ほど悩んでようやく口を開いた。
「分かった。二十五万で手を打とう」
「違う違う。三十万です」
「足元見やがって……」
眉間に皺を寄せる源十郎だったが、祖父江は軽くあしらう。
「最初犯罪行為をさせようとしてたんですからね、あなた」
源十郎はさらに言いづらそうに揉み手した。
「それでだな、君には俺の孫ということにしてもらいたい」
「はい?」
今度こそ祖父江は間の抜けた声を漏らした。
「俺は元探偵ということになってる。だが、君が探偵なら、俺の評判も落ちはしない」
「どんだけ自分が可愛いんですか」
「頼む。この通りだ」
「いや、バウムクーヘン食べてるじゃないですか」
「君がじっちゃんの名にかければ、俺の利益には多少なるだろう?」
「どこかから訴えられそうなんですけど。なんで目の前の祖父の名にかけるんですか。祖父がやりゃああいいでしょうが」
「そこは孫の名にかけて任せるわけよ」
「それもう責任のなすりつけ合いにしか見えないんですが」
「頼む。この通りだ」
今度はきちんと頭を下げる源十郎。よほどプライドを守りたいらしい。読者諸君はこんな大人になってはいけない。祖父江は深く息をついて、見積書の最後に書き足した。
『孫役手当:五千円』
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