「で、調子乗って困ってると」

 背中を丸める源十郎の前で、祖父江可也がメモを取る。

「そうなんです」

 あの時の勢いはどこかに落としてきたらしい。この狭い事務所以上に肩身の狭い思いを抱えながら、源十郎は祖父江探偵事務所のドアを叩いたのであった。

「率直に言いましょう、こういう依頼はありふれてる」

「え、そうなんですか?」

「うそです」

「いや、どういううそなんだ」

「初めてですよ、こんな依頼は。っていうか依頼なんですか、これは」

「カネはいくらでも払うから半額負けてくれ」

「いや、安く済ませたさすぎて願望出てますから」

 スリーピースのスーツに身を包んだ祖父江は、かっちりしているようだがデスクに足を乗っけたり、シャツの襟が黄ばんでいたりとどこかだらしなさを感じさせる。髪もセットしているが、適当に後ろに撫でつけているだけだ。

「なぜ警察に言わないんですか」

「俺は元探偵だということになっているからだ」

「うそなんですか?」

「誰にも言わないでくれ、頼む。この通りだ」

「いや、バウムクーヘン食べてるじゃないですか」

「とにかく、警察はなしだ。ベストを尽くすのが君の仕事だろ」

「なんでそんな監督みたいなこと言われなきゃいけないんですかね」

 祖父江はしばらく考えた。ある程度の頭脳はある。

「僕にできることといえば、その詐欺師の身元調査と示談交渉くらいですよ」

「耳元調査と舌でコショコショ?」

「そんないやらしいこと言ってませんよ。詐欺師の居場所を見つけ出してその身元を調べるんです。で、カネを返してもらうように交渉する」

「なんかもっと爆破して派手にやれないか?」

「いや、西部警察じゃないんでね」

 動転した源十郎にも祖父江は平静を保っている。大したものである。というより、化けの皮が剥がれた源十郎がひどすぎるのかもしれない。

「じゃあ、その君ができる範囲で手を打とうじゃないか」

「譲歩してるのそっちですからね」

「で、もしカネを取り返せなかったらどうする?」

 祖父江は腕を組んで考え込んだ。

「結局、詐欺なわけですから、警察が出るハメになると思いますけどね。もちろん、警察に連絡するぞと脅しをかければ何とかなると思いますが」

「映画ってそんなにしょぼい解決法か?」

「いや、違うと思いますけどね。もっと騙し合いというか、コンゲームみたいになるんじゃないでしょうかね」

「コンゲーム……狐の化かし合いみたいなことか」

「違いますけど、まあ合ってますね」

「そっちのプランで頼む」

「いや、そんなプランないですよ。僕は探偵なんですから、犯罪に加担はしません」

「俺が若いころは法すれすれのことをやったもんだぞ」

「それがうそだったんでしょう?」

「あ、そうだ。君には意味がないんだった」

 祖父江は電卓を弾いて、見積書の最後に数字を書き入れた。手渡された源十郎は目を丸くした。

「基本料……三千円?」

「どんだけ安くしてるんですか。三十万円です。これに諸経費と日数分の費用が加算されます」

「ということは……今日解決できればゼロ日でゼロ円……」

「どういう論理ですか。一日分ですよ」

 源十郎はたっぷり十分ほど悩んでようやく口を開いた。

「分かった。二十五万で手を打とう」

「違う違う。三十万です」

「足元見やがって……」

 眉間に皺を寄せる源十郎だったが、祖父江は軽くあしらう。

「最初犯罪行為をさせようとしてたんですからね、あなた」

 源十郎はさらに言いづらそうに揉み手した。

「それでだな、君には俺の孫ということにしてもらいたい」

「はい?」

 今度こそ祖父江は間の抜けた声を漏らした。

「俺は元探偵ということになってる。だが、君が探偵なら、俺の評判も落ちはしない」

「どんだけ自分が可愛いんですか」

「頼む。この通りだ」

「いや、バウムクーヘン食べてるじゃないですか」

「君がじっちゃんの名にかければ、俺の利益には多少なるだろう?」

「どこかから訴えられそうなんですけど。なんで目の前の祖父の名にかけるんですか。祖父がやりゃああいいでしょうが」

「そこは孫の名にかけて任せるわけよ」

「それもう責任のなすりつけ合いにしか見えないんですが」

「頼む。この通りだ」

 今度はきちんと頭を下げる源十郎。よほどプライドを守りたいらしい。読者諸君はこんな大人になってはいけない。祖父江は深く息をついて、見積書の最後に書き足した。

『孫役手当:五千円』

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