また春の暖かい風が駆け抜けていった。鹿子と三代子の間の新聞紙がガサガサと音を立てる。おしゃべり仲間が六千万円騙し取られたのを聞けば、そんなにカネがあったのかと思ってしまいそうだが、三人もそうだったかもしれない。

「どうして騙されたと気づいたの?」

 三代子がそう聞いた。酷な質問だったかもしれないと思いながら。

「セミナーを受けてからね、そういうチラシがたくさん来るようになったのよ。それで、住所を教えたのはセミナーの時でしょ。チラシを止めてもらうように電話をしたんだけど、使われていないっていうのよ」

「雲隠れしやがったんだな」

 成作が握り拳を作る。

「それでね、不安になってまた新宿のマンションに行ったのだけど……」

 源十郎が驚いたように口を開け放した。

「行ったのか。まあまあの決断力だ」

「そうしたら?」

 三代子が先を促すと暗い表情が返ってくる。

「ダメよ。誰もいないし、何日か前に出て行ったっていうのよ。それで気づいたの」

 深い溜息。三代子がその背中をさする。

「警察には?」

「それが、私、恥ずかしくって……。こんなバカみたいなことでお金を盗られるなんて」

「ダメよ、そんなんじゃあ」

「息子夫婦にも心配かけさせたくないのよ」

 成作は前のめりになっていた。

「それで、どうするんだ? 生活はできるのか?」

「少しの蓄えはあるけれど……」

「でも、不安よねえ。老後の生活が」

「バカ。もう老後だろう」源十郎は憤りを抱きながらそう吐き捨てた。「騙されるのが悪い!」

 源十郎の暴言に成作と三代子のバッシングが飛ぶ。

「ひどい!」

「入れ歯野郎!」

「部分入れ歯だっつーの! 俺の言葉は最後まで聞け。騙される方も悪いが、騙す方はもっと悪い」

「そりゃあ、そうだ」

 三人が同時に首肯する。

 向こうから女子高生が小走りにやってくる。鹿子に手を振る笑顔は若さそのものだ。

「おばあちゃん!」

「あら、祐未ちゃん、学校終わり?」

 ポニーテールが揺れる。

「うん、テスト期間だから早いの」

 老人たちは席を詰めて、一番端、三代子の隣に祐未が腰掛ける。

「いつものメンバーだね」

 カラカラと成作が笑う。

「腐れ縁だよ」

「何の話してたの?」

 途端に鹿子の顔色を窺う三人だったが、三代子は新聞を手にしてうまくはぐらかした。

「祐未ちゃんは新聞は読むの?」

「うーん、宿題の時に読めって言われることあるよ」

「ダメだぞ、新聞を読んで社会勉強しなくちゃ」

 と成作。

「でも、ネットでニュース見れるし」

「近ごろの若者は全部ネットだな」

 源十郎の嫌味に、祐未も応酬する。

「源さん、入れ歯の調子はどうなの?」

「部分入れ歯だっつーの」

 三代子が心配そうに声を漏らす。

「もう何年もすれば、祐未ちゃんもすぐ成人でしょう?」

「そう、十八からになるんだよね。なんでなんだろうね」

 素朴すぎる疑問に老人たちは返答に窮した。そんなことにはお構いなく、祐未は新聞に目を落とすと声色を低めた。

「物騒な事件も多いよね」

 記事には『福岡の一家毒殺、今日で五年、未だ手がかりなし』の文字。その隣には、『池袋で無差別通り魔、二人死亡、七人重軽傷』。

「世の中も腐っちまってるのさ」

 源十郎が目を細める。

「でも、先生が昔もやばい事件多かったって言ってたよ」

「昔の事件はまあ、趣があったんだよ」

「事件に趣なんかあんの?」

 三代子と鹿子が笑う。祐未は立ち上がる。

「じゃあ、私、これから遊びに行ってくるから」

「気をつけてね」

 鹿子が言うと祐未はうなずいて走り去っていった。

「可愛い子ね」

 三代子が頬を緩ませている。鹿子が胸を張る。

「自慢の孫よ」

「あんな子がいて、悔しくないのかい」

 成作の声にはどこか優しさがあった。沈黙が訪れた。何もない平穏な日。その水面下には、悪の手が蠢いているのだ。鹿子はふと気づいたように言う。

「源さん、あなた探偵だったのよね?」

「そうだ」

「なら、こういうのは、どう? 騙されたお金を取り返すっていうのは」

 あまりにも唐突な提案に源十郎は目を白黒させる。

「何言ってんだ?」

「映画みたいに、お金を取り返すのよ」

 成作が笑いだす。

「それができりゃあ、痛快だがね。俺たち老人に何ができるかね」

「ただの老人じゃないでしょ。元探偵よ」

「あまりにも無茶じゃあ……」

 三代子がそう言ったところで、源十郎は膝を叩いた。

「この若宮源十郎、舐めてもらっちゃ困る」

「それじゃあ……?」

 源十郎は力強くうなずいた。

「六千万を取り返す!」

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