三
また春の暖かい風が駆け抜けていった。鹿子と三代子の間の新聞紙がガサガサと音を立てる。おしゃべり仲間が六千万円騙し取られたのを聞けば、そんなにカネがあったのかと思ってしまいそうだが、三人もそうだったかもしれない。
「どうして騙されたと気づいたの?」
三代子がそう聞いた。酷な質問だったかもしれないと思いながら。
「セミナーを受けてからね、そういうチラシがたくさん来るようになったのよ。それで、住所を教えたのはセミナーの時でしょ。チラシを止めてもらうように電話をしたんだけど、使われていないっていうのよ」
「雲隠れしやがったんだな」
成作が握り拳を作る。
「それでね、不安になってまた新宿のマンションに行ったのだけど……」
源十郎が驚いたように口を開け放した。
「行ったのか。まあまあの決断力だ」
「そうしたら?」
三代子が先を促すと暗い表情が返ってくる。
「ダメよ。誰もいないし、何日か前に出て行ったっていうのよ。それで気づいたの」
深い溜息。三代子がその背中をさする。
「警察には?」
「それが、私、恥ずかしくって……。こんなバカみたいなことでお金を盗られるなんて」
「ダメよ、そんなんじゃあ」
「息子夫婦にも心配かけさせたくないのよ」
成作は前のめりになっていた。
「それで、どうするんだ? 生活はできるのか?」
「少しの蓄えはあるけれど……」
「でも、不安よねえ。老後の生活が」
「バカ。もう老後だろう」源十郎は憤りを抱きながらそう吐き捨てた。「騙されるのが悪い!」
源十郎の暴言に成作と三代子のバッシングが飛ぶ。
「ひどい!」
「入れ歯野郎!」
「部分入れ歯だっつーの! 俺の言葉は最後まで聞け。騙される方も悪いが、騙す方はもっと悪い」
「そりゃあ、そうだ」
三人が同時に首肯する。
向こうから女子高生が小走りにやってくる。鹿子に手を振る笑顔は若さそのものだ。
「おばあちゃん!」
「あら、祐未ちゃん、学校終わり?」
ポニーテールが揺れる。
「うん、テスト期間だから早いの」
老人たちは席を詰めて、一番端、三代子の隣に祐未が腰掛ける。
「いつものメンバーだね」
カラカラと成作が笑う。
「腐れ縁だよ」
「何の話してたの?」
途端に鹿子の顔色を窺う三人だったが、三代子は新聞を手にしてうまくはぐらかした。
「祐未ちゃんは新聞は読むの?」
「うーん、宿題の時に読めって言われることあるよ」
「ダメだぞ、新聞を読んで社会勉強しなくちゃ」
と成作。
「でも、ネットでニュース見れるし」
「近ごろの若者は全部ネットだな」
源十郎の嫌味に、祐未も応酬する。
「源さん、入れ歯の調子はどうなの?」
「部分入れ歯だっつーの」
三代子が心配そうに声を漏らす。
「もう何年もすれば、祐未ちゃんもすぐ成人でしょう?」
「そう、十八からになるんだよね。なんでなんだろうね」
素朴すぎる疑問に老人たちは返答に窮した。そんなことにはお構いなく、祐未は新聞に目を落とすと声色を低めた。
「物騒な事件も多いよね」
記事には『福岡の一家毒殺、今日で五年、未だ手がかりなし』の文字。その隣には、『池袋で無差別通り魔、二人死亡、七人重軽傷』。
「世の中も腐っちまってるのさ」
源十郎が目を細める。
「でも、先生が昔もやばい事件多かったって言ってたよ」
「昔の事件はまあ、趣があったんだよ」
「事件に趣なんかあんの?」
三代子と鹿子が笑う。祐未は立ち上がる。
「じゃあ、私、これから遊びに行ってくるから」
「気をつけてね」
鹿子が言うと祐未はうなずいて走り去っていった。
「可愛い子ね」
三代子が頬を緩ませている。鹿子が胸を張る。
「自慢の孫よ」
「あんな子がいて、悔しくないのかい」
成作の声にはどこか優しさがあった。沈黙が訪れた。何もない平穏な日。その水面下には、悪の手が蠢いているのだ。鹿子はふと気づいたように言う。
「源さん、あなた探偵だったのよね?」
「そうだ」
「なら、こういうのは、どう? 騙されたお金を取り返すっていうのは」
あまりにも唐突な提案に源十郎は目を白黒させる。
「何言ってんだ?」
「映画みたいに、お金を取り返すのよ」
成作が笑いだす。
「それができりゃあ、痛快だがね。俺たち老人に何ができるかね」
「ただの老人じゃないでしょ。元探偵よ」
「あまりにも無茶じゃあ……」
三代子がそう言ったところで、源十郎は膝を叩いた。
「この若宮源十郎、舐めてもらっちゃ困る」
「それじゃあ……?」
源十郎は力強くうなずいた。
「六千万を取り返す!」
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