一章 騙されません死ぬまでは

 コンビニの前にある色褪せた赤いベンチには、三人が座っていた。コンビニ前は若者の領地という風潮があるが、ここではそうではなかった。老人である。コンプライアンスに配慮すれば、シルバー世代の方々である。近くの団地や住宅街が利用していた小さな商店街はすでにシャッター街と化した。死にゆく街に、この大きめのコンビニだけが希望の光を投じていた。本当に朝七時に開店し、夜十一時で閉店する。

「この街もジジイとババアが増えたなあ」

 青野成作が自分のことをは棚に上げてのどかな空を見上げる。コンビニのある広場には三メートルほどの死んだ時計台が立ち尽くしていた。

「三人に一人が六十五歳らしいわよ」

 脇に置いた新聞紙に手を置いて孫井鹿子が言った。いつもこの新聞が彼らの話題の火蓋を切るのだ。若宮源十郎は腕を組んで鼻息荒くした。

「最近のジジイは根性が足りん」

 と最近のジジイ。

「根性なんてモーレツ社員以来誰も持っとらんよ」

「俺がバリバリの時はなぁ──」

「まーた探偵の武勇伝が始まるわよ」

「ヒリップ・マーロウだって俺に泣きついてきたんだぞ」

「ヒリップ・モンローはアレだろ、エロい女」

「それはアレよ、何とかがお好きっていうやつ」

 暗闇を探るようなトークだが、彼らは通じているらしい。三人とも笑顔なので、良しとしようではないか。我々がとやかくツッコミを入れる必要などないのだ。

 そこへ一人の老婆、もとい、可憐なお嬢さんが小走りでやってくる。

「遅れちゃってごめんなさいねえ」

 何に対して謝っているかわからないが、ここに集まる四人にとってはお互いの生存確認も兼ねている。ここに来ないイコール死なのである。

「三代子ちゃ~ん」

 鹿子が手を振る。読者諸君にはお馴染みの初瀬三代子だ。

「何してたんだよ」

 と成作は言うものの、スマホのメッセージで遅れることは分かっていた。老人も今どきの機器に明るいものなのだ。三人は待ち侘びていたのだ。『大事件よ!』というメッセージの詳細を。

 三代子は少し息を切らせて鹿子の隣に座った。いつもの定位置だ。

「それで、大事件ってなんだ?」

 源十郎が前のめりになる。若かりしころでも思い出しているのだろうか。

「詐欺よ、詐欺!」

 すぐに話をオチを言ってしまうほど興奮していたらしい。話し手が話し手なら受け手も受け手だ。

「鳥がどうした?」

 成作が興味なさそうに応じる。すかさず、鹿子が口を挟む。

「違うでしょ、詐欺師の方でしょ」

「そうなのよ、鹿子ちゃん! ついさっきのことよ。電話が鳴って、警察だって言うの。で、キャッシュカードの情報が漏れたからって言われて、色々教えてくださいって言われたの」

「ああ、そりゃあ、典型的な詐欺の手口だなあ」

 訳知り顔で顎をさする源十郎。

「キャッシュカードを持って電話のところに戻ろうと思ったところで、ふと思ったのよ。どう思ったと思う?」

 鹿子が苦笑いする。

「いや、さっき詐欺だってあなた言ってたわよ」

「あら、そう? とにかく思ったのよ。テレビで観たやつだって」

 源十郎と成作が笑い合っている。

「そりゃあ、最初の段階で気づかんとなあ」

「そうだそうだ」

「その時は気づかなかったのよ。でもちゃんと言ったのよ。『あなた詐欺師でしょ』って」

 鹿子は口元に手を当てて目を丸くした。

「あら、勇敢」

「そうしたら、『参りました』って、電話切られたのよ」

 最後の尾鰭については見逃してやってほしい。読者諸君だって大事件の中心人物になりたいものだろう。

「それで終わりかい」

 拍子抜けしたように成作。最初に課した三代子のハードルが高すぎたらしい。隣で昔を懐かしむように見上げるのは源十郎だ。

「大事件なんていえば、昔は誘拐された娘さんを助け出してすったもんだあったり、逃げる強盗の足を引っかけただけで感謝状をもらったこともあるぞ」

「本当かしらねえ」

 笑いながら鹿子が睨むと、源十郎は目を逸らす。

「探偵ってのは、危険と隣り合わせなんだよ」

 温かい一陣の風が吹き抜けていく。

 ここ椎町の外れは穏やかな街だ。みんな笑い飛ばしてはいたものの、そんな街に詐欺師が手を伸ばしているという事実はショック以外の何物でもなかった。

「俺は一切騙されん。逆に警察に突き出してやるぞ」

 持ち前の正義感を振りかざして成作が言う。言うは易しというやつだ。

「俺なんか逆に罠にハメてやる」

 少年のように目を輝かせるのは源十郎だ。

「鹿子ちゃんは? 騙されやすそうね」

 三代子にそう言われて言い返しかけた鹿子は、暗い表情を見せた。

「おいおい、まさか……」

「そのまさか、つい最近気づいたのよ。詐欺師にカネを取られたんだって」

「いくら?」

 三代子が聞く。鹿子は逡巡した挙句、口を開いた。

「五千万」

「五千万!」

 成作は飛び上がった。念のために言っておくが本当に飛び上がったわけではない。鹿子は首を振る。

「ごめん、うそついた、六千万」

「なによ、そのうそ」

「見栄張っちゃったわ」

「どういう見栄なのよ、それ。見栄晴もびっくりよ」

「どうしてそんな大金……」

 持って行かれたんだ、と聞こうとした成作だったが、鹿子は別の答えを口にする。

「孫のために取っておいたのよ。これから大学受験だって就職だって待ってるのに、おばあちゃんとして何もできないわよ……」

「どうしてカネを取られることになったんだ」

 源十郎が尋ねると、鹿子は静かに語りだした。

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