騙されません死ぬまでは
山野エル
序章
序章
春の日。
草花は色づき、鳥は歌い、おかしな連中が増えだすころ。
初瀬三代子の家の電話が突然鳴りだした。逆にゆっくり鳴りだす電話はないわけだが。一人暮らしの三代子にとって、電話は外の世界との架け橋のようなものだ。それがたとえ勧誘の声だとしても。スリッパを高鳴らせて受話器を取る。
「もしもし、初瀬ですが」
いつもより一オクターブ高い声。相手は若い男の声だった。
『もしもし、私、椎警察署の若松というものですが、初瀬さんのお宅でよろしかったでしょうか?』
警察。その一言に思わずハッとする。その勢いですっかり小さくなっていたのど飴が喉の奥に吸い込まれてしまう。
「警察、ですか」
『現在、振り込め詐欺の捜査中で、被害状況の調査をしているところなんですが、初瀬さんのお宅には怪しいお電話などありませんでしたか?』
「いいえ、今のところ全くございません」
記憶にございませんと言うと、なぜか負けた気がする。
『それで、今回お電話したのはですね、こちらで押収しました、詐欺師集団が把握しているキャッシュカード番号のリストに初瀬さんのお名前があるということがわかったからなんですよ』
「ええっ、そんな!」
『このリストなんですけれども、すでに他の詐欺師集団に共有されている可能性があるんですね』
背筋が冷たくなる。
「どうすればよろしいですか?」
『警察の方で、キャッシュカードが悪用されないようにシステムを変更することができるんですね』
「あら、すごい」
時代の進歩にはいつも驚かされるものだ。
『キャッシュカードに紐づいたいくつかの情報を入力することで、システムを変更できるんですが、ご協力いただいてもよろしいですか?』
「わかりました」
『まず、お名前と生年月日ですね』
「名前は、初瀬三代子、昭和二十三年六月十一日です」
『ありがとうございます。キャッシュカードの番号なんですが、今お手元にございますか?』
「ちょっとお待ちください」
保留ボタンを押して和室のタンスへ走る。一人暮らしには大きすぎる一軒家。それもあちこちガタが来ている。
箪笥の一番上の引き出しからキャッシュカードを取り出し、ふと先日見たテレビ番組を思い出す。現職警察官がカメラ目線で言っていた。
「警察官がキャッシュカードの番号を聞いたり、暗証番号を聞いたりすることは絶対にありません!」
途端に三代子に電流が走る。低周波治療器をつけているわけではなかったが、それくらいの衝撃だった。
──詐欺だ。
膝がパックリと割れて口になり、笑いだす。三代子は立っていられなくなって、その場にへたり込んだ。平穏な日々に詐欺師の魔の手が忍び寄るとは。彼女は大きく息を吸って我を取り戻すと、決然と立ち上がって、受話器を取った。
「あなた、詐欺でしょ! 私は騙されません!」
──決まった……。
三代子の脳裏には午前中の情報番組に流れるような再現VTRに出演する自分の姿が映し出されていた。初瀬三代子(仮名)はこうして詐欺師を撃退したのであった。
実際は、場面はスタジオに戻ってコメンテーターが渋い顔をするわけでもなく、前触れもなく通話が切れただけだった。
三代子は興奮して頬が紅潮していた。
──大事件だわ、これは。
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