複眼のウロボロス

 ガスマスクを装備した三人組にしっかりと掴まれながら、布袋を被った男が建物から出てきた。出てきた、というのは適切な表現ではない。男には、自らの意志で歩く力はなく、操り人形のように周囲のガスマスクたちのなすがままにされている。

 建物の目の前に乗りつけられたワゴン車の中に男が押し込まれて座席に座らされると、三人組のひとりがその隣に大柄の身体を捻じ込んでスライドドアを勢いよく閉めた。

「出せ」

 運転席に指示を飛ばすと、車は二人のガスマスクを置いて急発進する。

 真夏の夜の街は、熱されたアスファルトとコンクリートの余韻でじっとりとしている。その熱気の中を車はかいくぐっていく。街を行く人々も、珍しくもないこの車の中に布袋を被せられた男が乗せられているとは思いもよらないだろう。

 建物が低くなってきたころ、ひっそりとした駐車場に辿り着いたワゴン車は、優等生のように空いた枠にお尻から収まった。すぐに隣のバンのエンジンがかかり、中から降りてきた二人組が布袋の男をバンの中に引き入れる。それが完了すると、バンは駐車場から出発した。

 言葉のない車内には、まるで貨物の運搬を思わせるような無感情が満ちていた。バンは街を離れるように距離を重ね、寂れた街に背を向けると、人の気配のない暗い道をひた走った。やがて、廃墟のような場所に到着すると、二人組は布袋の男を朽ちかけた建物の中に運び入れた。中は暗かったが、奥の方に明かりがある。その光源のそばに男が待っていた。そばには三脚に乗ったカメラがあり、レンズの先には一脚の椅子がある。二人組が布袋の男を座らせ、両手と両足に結束バンドを巻いた。それで二人の役割は終わったらしい。素早く退散していった。

 カメラのそばの男が椅子に近づいて、布袋を取り去った。

 現れたのは、俺の顔だった。

「こんな映像を見せて何がしたい?」

 状況からして、俺がここに連れ込まれた一部始終に違いない。カメラのそばの男が映像を再生していたタブレットをしまう。暗がりの中、ライトの逆光で今まで男の表情が分からなかったが、目が慣れてくると、組織内で見知った顔だと気づく。

「貴弘……こんなことをしてタダで済むと思うなよ」

「だからなんだ。もうあんたに忖度する必要もない」

 非情な声色だった。俺の言葉などこいつに届きはしないのだろう。

「お前の兄貴も関わってるんだろ?」

 貴弘は答えない。

「高梨兄弟といえば腕のいい仕事人だったのに、こんな馬鹿げたことをするとは地に落ちたもんだ」

 貴弘の心は梃子でも動かないようだ。俺はこのままなす術なくこいつらに尊厳を蹂躙されるというのか。

「藤堂の命令だろ」

「だからなんだっていうんだ」

「あの馬鹿が考えそうなことだ」

「あんたも考えそうなことだ」

 即座に返されて、思わず苦笑いしてしまった。否定する気はない。

 貴弘がタブレットの画面をこちらに向ける。

「あんたの家ももう片付けに入ってる」

 画面の中で、俺の家の荷物や家具がどんどんと運び出されている。なぜこんなものを見せるのか……とことんまで俺の心をへし折りたいのだろう。

 映像は俺の書斎に向かっていた。まだここは片付けが始まっていないらしい。撮影をしながら室内を物色する人物が、机の上にあるパソコンの電源を入れた。すぐにログイン画面が現れる。

「パスワードは?」

 貴弘が俺に詰問する。逆らう意味はないと考えて、パスワードを教えてやった。貴弘がスマホでメッセージを送ったようで、画面の中でキーボードが操作される。

 パソコン内が物色されていく。ブラウザが開かれて、メールの画面が現れる。その中に千尋からのメールがある。彼女が送って来たビデオメッセージだ。

 華奢な指先で掴んだスマホで映すのは、彼女自身を追っているカメラの映像だ。初めは遠くからの映像だったのが、どんどん彼女の端正な顔に寄っていく。画面が揺れた。

『めっちゃアップにするじゃないですか!』

 遠くで笑い声がする。カメラの高さが変わる。彼女が立ち上がったのだろう。

『今、「僕が見た世界」の撮影中……っていうか、休憩中』

 あの映画は配給会社の見立てを裏切って盛大にコケた。彼女が今いるのは、家を捨てた子どもたちがアジトにしている豪邸だ。富豪の老人を飼い殺して利用しているという設定だったと思う。

 彼女は地下室をぐるりと見回してから、一階への階段をゆっくりと上っていく。

『楽屋もこの屋敷の中にあって……』

 ハウススタジオの二階に上がって、並んだ個室のひとつに入る。ドアを閉めると、室外で動き回るスタッフたちの作業音や喋り声が遮断される。この部屋は撮影では使われないが、女性の居室という設定で家具やアイテムが揃えられている。デスクの上には、千尋の荷物が広がっていた。

『仮編集した映像を共有してもらったんだけど、なんか面白い感じになってたよ』

 映画は全編がファーストパーソンビューだ。鏡や窓に映り込むカメラをCGで除去するなど、かなり手間暇がかかったらしいが、真新しさのわりにストーリーが平凡という評価を受けた。

『この前、撮影に協力してくれたんだってね』

 千尋はデスクの上のノートパソコンを開いて、その映像を再生した。

 ガスマスクを装備した二人組に両腕を掴まれながら、布袋を被った男が建物から引っ張り出される。

 すぐ目の前に乗りつけられたワゴン車の中に男が押し込まれると、二人組がその両脇に陣取り、スライドドアを勢いよく閉めた。

 合図もなく、車は急発進する。

車は街を外れると、ひと気のない暗い道を行く。やがて、廃墟のような場所に到着すると、二人組は布袋の男を朽ちかけた建物の中に運び入れた。真っ暗な室内の奥の方に明かりがある。その光源のそばに男が待っていた。そばには三脚に乗ったカメラがあり、レンズの先には一脚の椅子がある。二人組が布袋の男を座らせ、両手と両足に結束バンドを巻いた。二人組が仕事を終えて出て行くと、カメラのそばの男が椅子に近づいて、布袋を取り去った。

 画面内の自分の顔を確認して、椅子から立ち上がろうとするが、結束バンドで身動きが取れない。

 ライトの逆光の中に三脚のついたカメラと輪郭だけの誰かがいるのが分かる。

 千尋が言ったように、その逆光の中で俺はカメラを向けていた。

 映画監督が知り合いで、喋る演技の必要がないからやってみないかと言われたのだ。昔、自主製作の映画を作ったこともあったから、渋々了承する振りをした。元はと言えば、この映画は俺のその自主製作映画が原案になっている。それがコケたのは、俺にとっては精神的なショックがかなり大きかった。

 動きだけの演技と言われたが、これは俺にとって半分は演技ではなかったように思う。目の前で椅子に拘束された俳優……朝井優はアルバイトと並行して俳優をやるような苦労人のように見られがちだが、裏では性欲に忠実な馬鹿で、千尋に手を出そうとしていた。

 千尋は個人的にも、そして事務所的にも大切な存在だ。だから、俺がとる行動はひとつしかなかった。

 深夜に朝井の部屋に押し入って、寝ぼけ眼のその頭に布袋を被せた。抵抗しようとしたので、脇腹に何度か拳を叩きこんで大人しくさせた。そのまま建物の前に停めておいた車に捻じ込んで、たまに使う自動車整備工場の廃墟に向かった。工場の中にライトを置いておいた。そばにはカメラをスタンバイしてある。朝井に自分の行動を自覚させるためにはこれが一番いい。それだけでなく、これまでの行動もカメラに記録している。用意しておいた椅子に座らせ、結束バンドで拘束する。

 布袋を取り去られる自分の様子を映像で観た瞬間の絶望に満ちた奴の目は今も忘れられない。

「もう一度こうなりたくなければ、色恋に目を向けるのはやめるんだな」

 朝井は怯えた表情で俺を見上げる。

「分かったか!」

 大きな声で威圧すると、奴は涙を流して何度もうなずいた。

「携帯持ってるか?」

 朝井はうなずく。ポケットの中をまさぐると、スマホが入っていた。ポケットにスマホを入れながら寝ていたのか。

「パスワード」

 朝井は震えながら六桁の番号を口にした。ロックを解除して、メッセージアプリを開く。千尋とのやり取りが残されていた。千尋は朝井からの誘いを何度も断っていたようだ。千尋からのメッセージに動画があった。

≪知り合いが昔作った自主映画なんですけどね≫

 というコメントが添えられていた。俺が昔共有してやった動画データを彼女は保存していたのだろう。

 ガスマスクを装備した二人組に両腕を掴まれながら、布袋を被った男が部屋から連れ出されていく。マンションの住人が見つめるのを、ガスマスクの男が怒号で追い払う。

 マンションの目の前に待機しているワゴン車の中に男が押し込まれると、二人組も乗り込んで、スライドドアを勢いよく閉めた。

 車はタイヤを軋ませて急発進する。

車は猛スピードで街を行く。やがて、人家も疎らになるほど街を外れると、ひと気のない暗い道をスピードを緩めずに進んで行った。

やがて、廃墟のような場所に到着すると、二人組は布袋の男を朽ちかけた建物の中に運び入れた。真っ暗な室内の奥の方に明かりがある。その光源のそばに男が待っていた。そばには三脚に乗ったカメラがあり、レンズの先には一脚の椅子がある。二人組が布袋の男を座らせ、両手と両足に結束バンドを巻いた。二人組は荒々しい呼吸のまま数歩後ろに下がる。カメラのそばの男が椅子に近づいて、布袋を取り去った。

俺の顔が現れた。

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