ユビキタス・ラブ
寂れた街でも、星の光を掻き消すような明るさはあったらしい。
街から離れたこの場所からなら、夜空に瞬く光が多少はよく見える。街から向かってくる生気のない道路は、目の前を通り抜けて、映画のタイトルみたいな名前の広場に繋がっているらしかった。つまりは、行き止まりというわけだ。
木々が揺れて、周囲に広がる森がざわめく。意味のないように思える役割を担ってこの場所にいるのは、誰のためなのだろう?
「街の外れに自動車整備工場の廃墟がある。そこに人が寄りつかないように監視しろ」
坂田にそう命令されては、無視するわけにはいかない。俺はいつもパシリとして使っている奥寺と共に監視を行うことにした。街と自動車整備工場の間に奥寺、自動車整備工場と広場の間に俺、というように監視位置を決めた。部外者が近づいてきたら、適当な理由をつけて追い返すだけだ。通すべき車がいたら連絡が来る。この二か所を押さえるというのが坂田のお望みだっただけで、俺の担当するポイントは必要ないんじゃないかと思うが、やらなかったことがバレると後でうるさく詰められることになる。それだけは勘弁だ。
『廃墟で何やるんですかね?』
電話で繋いだ奥寺が俺に話しかけてくる。
「知らねえ。知らねえ方がいいことも世の中にはあるもんだぞ」
『まあ、そうっすよね……。人払いなんかするってなると、やべえことっすよね……』
最近は組織の中も殺伐としている。ピリついた空気は嫌いじゃないが、居心地が良いわけじゃない。
真夏の夜、辺りには木々のざわめきと聴覚を麻痺させるような蝉の声しかない。
『あん?』
間の抜けた奥寺の声がした。
「気持ち悪い声出すなよ」
『いや……、すいません。今なんか目の前をジミヘンが走り抜けていったような気がしたんですけど……』
「なに言ってんだ、お前?」
『ジミヘンの顔のバンみたいなのが通ったような気が……』
「お前、寝ぼけてるだろ」
『寝ぼけてません』
「あのな、いいか。こんな夜にそんな道を車が走るわけないだろ。連絡はまだ来てないんだ。しかもなんだよ、ジミヘンって?」
『だって、見たんですもん』
「見たんですもん、じゃない。もし本当に見たんだったら、お前はなに呑気に電話してるんだ。止めないとマズいだろ」
『やばい。怒られるかも……』
「よく考えてみろ。そんなバンなんか存在しねえよ。そんなデザインの車に乗ってる奴がいたら、世の中は終わりだ」
こういう時、人間というものは無意識に現実逃避したくなるのかもしれない……我ながらそう思う。
『もし本当にそんな車が存在してたらどうします?』
「あのな、誰がこんな道を使うんだよ。気のせいだ、気のせい」
『広場に用があるのかも』
「どんな用だよ」
調べたところ、街から広場までは異常に距離がある。そんな場所にわざわざ夜に出向く人間などいない。
『じゃあ、そっちで確認して下さいよ。もうすぐそっちのポイントに来るはずですよ』
来るわけがないと思っていた。しかし、道の先の方に微かに明かりが現れた。悠然と現れたのは、満面の笑みで背面弾きをするジミ・ヘンドリックスだった。もちろん、本人ではない。ジミヘンでラッピングされたワーゲンバスなのだ。
『どうです? そっち行きました?』
頭を抱えたくなった。ジミヘンのワーゲンバスは、自動車整備工場の前を走り抜けてきたはずだ。坂田の耳に入ることは確実で、そうなれば何が待っているか分からない。自動車整備工場で何が行われているかによって、自分の身に起こる恐ろしさのレベルも左右されるだろう。最悪の場合は、命の危険さえある。そうなったら、逃げるしかない……。
「お前が見逃したんだから、お前が自分でケツを拭けよ! 今すぐ追いかけて来い!」
気づいたら、そう叫んでいた。
『そんな無茶苦茶な! 俺の場所の監視はどうするんですか!』
「知るか! とにかく、お前がジミヘンを通したのが悪いのは事実だろ!」
しばらくの沈黙。奥寺は考えているようだった。
『どうすればいいですか……』
「広場の方に向かった車を追いかけて、広場からこっちに戻ってこないようにしろ。事が終わったら解放してやれ」
『……分かりましたよ』
「ただし、車は使うなよ。廃墟にいる人間に気づかれるからな」
『走っていくんですか……?』
「責任の取り方ってのがあるだろ」
今で言うそれは、誰にも気づかれずにジミヘンのワーゲンバスを広場に留めておくことだ。ミスの隠蔽と言われればそれまでだが、自動車整備工場の前を二回も走らせるわけにはいかない。
電話を繋げたままの奥寺が移動する音がする。
自動車整備工場にいる人間からの連絡が一切ないのが恐ろしい。何があったのか、と聞くまでもなく、俺たちはもうお払い箱なのかもしれない。
「急げよ」
『……急いでますよ』
「俺にはこの後、予定があるんだ。さっさと片付けたいんだ、この問題を」
『分かってますよ』奥寺の声は怒りを滲ませて微かに震えていた。『それだって、晋悟さんの結婚記念日を思い出したのは、俺だったじゃないですか』
「いや、その点は感謝してるよ。おかげでカミさんに怒られずに済む」
奥寺は何も言わない。木々は相変わらずざわめいていて、蝉の声も収まることを知らない。その空白の時間で、罰せられることへの不安で乱れていた心に少しだけ余裕が戻ってくる。
「今度お礼は必ずするよ」
『絶対ですよ』
「分かってる」
道の向こうから奥寺がやって来るのが見える。
「じゃあ、俺はカミさんを待つから」
『分かりました。奥さんによろしくお伝えください』
「ああ、カメラは忘れずに回収していってくれよ」
『もう今、回収しちゃいますね』
「頼む」
景色がぐるりと回転して、奥寺の顔が大写しになる。すぐに映像が切れて真っ暗になった。俺はノートパソコンを閉じて、ダイニングテーブルに目をやった。
妻のために用意しておいた料理の数々だ。
インターホンが鳴る。玄関のドアを開けて、妻をダイニングに連れて行くと、彼女の表情がパッと明るくなる。泣きぼくろの上の目がきゅっと細くなる。
「忘れてると思ってた!」
「忘れるわけないだろ」
俺はそう言って、ダイニングの椅子に隠しておいた薔薇の花束を差し出した。
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