第11話 日常を過ごす、殺し屋と帰る

 先生への挨拶を終えて、教室へ。


 時刻は始業十分前くらい、久しぶりの教室への足取りは少しだけ重くなる。


 というか私、新学年になってから初めての登校だ。誰が同じクラスかもわからない。担任だけは引き続き、若手の増田先生だったけど。


 教室のドアを前にして、少しだけ息が逸るのを感じてる。胸の奥がほんのりと締まるような、ぎゅっと何かに掴まれているような。


 ただ、いつまでそうしてても仕方ないから、私は軽く息を吸うと、勢いのままにドアを開けた。


 ドアを開けると、視線が一斉に私に向く―――なんてこともなく。


 幾人かがこっちを見たけど、大半の生徒は気付くこともなく、それぞれの机でお喋りに夢中になっている。


 なんだろ、とりあえず一段階クリアかな。なーんて、そんな気負っても仕方ないんだけどね。


 軽く嘆息をついていたら、クラスの後ろの端っこの方で、私のことをちょいちょいと手招きする人影があった。


 あー、山田君だ。ついでにその近くに、渚と、鈴木さんもいる。


 私はどことなくそそくさと、手招きされる方に向かった。自分のいるべき群れを見つけた小魚の如く。人目につく前にすっとその数人の輪の中に紛れ込む。


 「ひっさしぶり、千歳さん」


 「うん、久しぶり。山田君、もしかしなくても同じクラス?」


 「そだよー。三週間ぶりくらいじゃない? 千歳が出てくるの」


 「そーなの、鈴木さん。っていうか二年になってから初登校だし、もー、緊張した」


 「そりゃ、ずっと引きこもってるからね。早く出てきなって言ってるのに、全然来ないんだから、あんた」


 「あはは……、ちょっとプライベートの方が忙しくてさ。つきましては渚さん、ノートとか見せていただけたり?」


 輪の中に混じると三者三様で、笑いながら、私のことを迎えてくれた。


 一年の頃からの顔見知りがちゃんとクラスにいるのはやっぱり安心する。幼馴染の住良木 渚すめらぎ なぎさがいるのが特に心強い。


 渚は少し呆れたような顔をした後に、何枚かのルーズリーフを私に差し出した。


 受け取ってから、おや、と思わず頬を綻ばせる。


 「うわ、キレー。しかもこれコピーしてあるじゃん。さすがは渚先生」


 「うん、俺らもいっつもお世話になってる」


 「山田君は、授業聞いてるんだから、毎度私を頼らないほうがいいと思うけどね」


 「っはっはっは、そうは言いつつ毎度丁寧にまとめてくれる、住良木が私は好きだよ」


 「はいはい、羽樹里はまたわかんないことあったら聞いて。まあ、あんただったら多分できるけど」


 「ういうい、感謝ですわ。神様、仏様、住良木渚大明神様」


 「相変わらずお世辞の調子はよさそうね……」


 などと適度にふざけたことを言いながら、私はそうやってクラスの中で当たり前の学生のように過ごし続ける。程なくして、私のことを見つけた他のクラスメイトに、なんで休んでたのか質問攻めに会ったりしながら、私の日常はおおよそ三週間ぶりに帰ってきたんだ。


 それは春の日の少し眠くなるような朝のことだった。



 私の席は丁度窓際の一番後ろで、当たる日差しが心地よくて、窓から吹く風が少しだけ私の中から熱を奪っていく。


 その感覚が心地よくて眠気にも似た安心を、私の中に連れてくる


 そして、みんなとの会話も程々に、担任の増田先生が入ってきて、ホームルームを経てそのまま授業が始まっていく。


 私は軽く伸びをして、自分の分の筆記用具をカバンから出していく。うん、こういう当たり前すら既に懐かしい。


 そうして息を吐きながら、窓の外を見ていたら、一瞬何かがちらっと光った。


 数日前の、狙撃犯のことが想いだされて一瞬、背筋がぞわっと怖気だった。


 ただ、ほんの少しして、それが空中に垂らされた、蜘蛛の糸のような、細い何かだと気が付いた。


 空中? ここ学校の三階のはずなんだけど……。と、そこまで思考して、授業中で誰も自分を見ていないことを確認してから、私はそっと窓の上側をちらりと覗いた。


 そこでぴたと眼があって、おもわずそっとほくそ笑んだ。


 窓の直上、水道の配管の上、教室からは丁度死角になる、誰も気づかないそんな位置。


 そこに私のちっちゃなボディガードが、さも当たり前のように、足をぷらぷらさせながら座っていた。


 みつきは私の視線が向いたことに気が付くと、なにやら垂らしていた蜘蛛の糸のようなものをすっと手元に引き戻した。あー、なんだっけ、佐伯さんが持ってきたみつきの装備の中にああいうワイヤーがあったっけ。


 どうやら、あの位置が、みつきの定位置になったらしい。高度を除けば、まあ、年端も行かない少女が日向ぼっこをしているように見えるだろう。ま、狙撃を企むような人以外は、誰もあの位置のみつきを見つけないんだろうけどさ。


 おもわずくすっと笑ったら、隣の席の渚が、訝し気に私を見ていた。


 いやはいやいかんね、授業に集中しなきゃ。


 私の安全はあの子が守ってくれているのだから。


 ちゃんと日常を全うしなきゃ。


 命を狙われる恐怖は相も変わらずあるけれど、まあ、こうやってあの子があそこでのんきに日向ぼっこをしてくれている間は、きっと。


 ―――大丈夫。そう思えている自分が少し楽しくて。


 春の温かい陽だまりの中、二人揃って欠伸をした。


 私とあの子だけが知っている、二人の時間を、皆の中でひっそりと共有しながら。


 私は今、確かに、何気ない日常を営んでいた。











 ※






  帰り道、特に部活もしていない私は、みんなと手を振って別れて、それとなく一人になった。家が近くの渚も今日は部活があるから遅いらしい。


 住宅街の路地の裏を一人で鼻歌をふんふんと鳴らしてる、一人っていうのはまあ、見かけ上の話だけでして。


 「みーつき、出ておいで」


 そう声をかけると視界の端から影がすっと動いたかと思うと、気付けば私の隣に小さな黒いパーカーを来た少女が立っていた。


 音もなく、影もなく、相も変わらずどことなく胡乱な瞳で私のことを見上げている。


 「今日、学校行ってみて、どうだった?」


 私の言葉に彼女は少しだけ首を傾げた後、じっとこちらを見て答えを返してくれる。


 「監視、狙撃の気配はない。敵意を持った人物も感知できなかった……あの組織の女を除けば」


 少しだけ嫌悪……でもないねこれは、困惑に近い表情をその無機質な瞳に宿しながら、みつきはそう淡々と言葉を紡いだ。


 どっちかっていうと、学校にいた感想を聞きたかったんだけど、まあ、致し方なしかなあ。


 「そっか、ま、紗雪はほっといていいよ。私との契約がある間は、直接害になるようなことは、まずしてこないから」


 ただそんな言葉に、君はどことなく納得のいっていない顔だ。ふふふ、段々と無表情の奥に見え隠れするものに、私も気付けるようになってきたかな。思い違いでは、多分、ないとおもうんだけどねえ。


 「潜在的な危険性は排除しておくべきだと、護衛の観点からは想うけど……主人がそういうなら私はそれに従う。ただ―――」


 そういった君はじっと私の瞳を覗いてた。


 「ただ―――?」


 「ただ―――、あの女が主人に危害を加えたら、その時、私はあの女に一才の容赦をしない。……それで多分、その時、主人の判断を仰いでる時間はない」


 じっと、ただじっと君は私の瞳を見つめていた。


 私はその瞳に対して、曖昧な笑みしか返すことはできないけど。


 そうか、そうだねえ。君はそう言ってしまうよねえ。


 仕方ないので、君の肩を少し抱き寄せて、その小さな頭に、私のあごをすとんと乗せる。


 重すぎないように気を付けて、でも確かに私の体重をそっと君に預けてみる。


 「そっか、じゃあ、そうならないよう、頑張るよ」


 本当は、二人ともそんなで争わないで欲しいとも想うけど。


 まあ、言わぬが花という奴だよね。


 「帰りに買い食いして帰ろっか、みつき、たこ焼きとタイ焼きどっちがいい?」


 そういいながら、頭を君に預けたまま私達はえっちらおっちらと歩き出した。


 「……一つ一つ毒見をすると主人が大変だから、ひとまとめになっているタイ焼きの方がいい」


 「なるほど。じゃあタイ焼きにしよっか。……いや、みつきがよければ、たこ焼きを一つ一つかじってくれても私は一向に構わないけど」


 「じゃあ……両方食べればいい」


 「ふっふっふ、確かにぃ。みつきは食べるの好きだよねえ」


 「…………栄養補給は必要な時にしておくべき。……それは変なこと?」


 「いんやあ? ふふふ、じゃ、とんと美味しい栄養補給にしましょうか」


 「…………うん。美味しいと言うのはよくわからないけれど」


 そう言って、帰り道を二人で歩き出した。


 間違いなく非凡な、平凡な日常を、ふらふらと二人で歩いてく。


 抱きしめる小さな肩も、まだ少し傷んだ細い髪の毛も、私のことを少しだけ不思議そうに見る瞳も。


 なかなか悪くないと一人ほくそ笑む。


 いやはや、これじゃ、なんのために飼いだしたかわからんね。


 みつきより先に、私の方が絆されそうだ。


 まあ、それもわるくないかなあなんて、想ってしまう今日この頃なのですよ。

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