第10話 少女が出会う、少女と出会う

 千歳羽樹里とみつきと呼ばれる殺し屋が学校へと向かう朝。



 その道中で一人の少女が待っていた。



 軽くウェーブのかかった薄い茶髪の学生服を身にまとった少女。



 どこにでもいるありふれた、年相応の明るい出で立ちの彼女は、どことなく意地悪気に唇に指をあてて、二人の目の前に立ちはだかる。


 出で立ちはあくまで、何処にでもいる明るい女子高生のそれだったが。


 小さな殺し屋はその姿を見た瞬間に、全身が総毛立ち、瞬間的に臨戦態勢をとった。


 立ち振る舞いが、足運びが、些細な所作が、彼女が危険人物であることを、限られた相手にのみ悟らせていた。


 隠しきれていない、わけではない。


 あくまでその少女は、自身の所作から敵意が迸ることを自覚してやっている。


 通りすがりの人間は誰も気づかない。ただ、殺し屋の少女だけが気付くように。


 日常の中の非日常としてそこに立っている。


 マフィアや裏社会の人間、ではない。彼らはこんなに回りくどいことをしない。


 日常の中にあって、非日常のために動くもの。

 

 何処にいるか、誰がいるか、何故いるか、その全てを隠すもの。


 ありふれた平凡の中の、秘匿された悪意。



 殺し屋の少女はそれを知っている。



 自身が何年もかけてその身に刻まれてきた意思を知っている。





 「おはようございます、センパイ」





 「そして、





 「ええ、そうです。お察しの通り、組織テナント諜報員エージェントですよ」





 瞬間、少女は飛んだ。




 主人の命令を待たずして、彼女に刻まれた老婆の言葉が、その背を躊躇いなく突き動かした。




 排除、しなければならない。




 主人の命を守る。たとえ、この命に代えても。













 ※



 「いやあ、鮮烈な自己紹介をしたかっただけなんですよねえ」


 結論から言うと、組織テナント少女は、みつきによって一秒も経たないうちに無力化された。


 正中線に従って、喉・鳩尾・下腹部を正確に掌底で撃ち抜くことで、彼女の意識は一瞬のうちに刈り取られた。


 あまりにあっけなく終わったので、みつきと呼ばれる少女は肩透かしを喰らったような微妙な面持ちで、背後で額に手を当ててため息をついている主人を振り返った。


 結局よくわからないままに、その少女を学校の保健室まで運び込み、十分程して、ようやく目覚めたのが今である。


 「まあ、……鮮烈ではあったけどね」


 「おかげで殴るのを躊躇わずに済んだ」


 殴打された部分を冷やしながら、ぼやく少女を、みつきと羽樹里の二人は、揃って半眼で眺めている。


 ちなみに、羽樹里の命令で今、みつきは戦闘態勢を解いてはいるが、警戒までは解いていない。何かあれば、瞬時にこの得体のしれない少女の首を握りつぶす準備はできていた。


 「はは、皮肉とか言えるんだね。センパイがそう仕込んだんですか? それともそっちが素なのかな?」


 「いやあ、シンプルに今回の件は紗雪が悪いから。ありゃあ、殴られても文句言えないよ」


 「………………」


 「えー、センパイ、私の味方してくれないんですかー? ひっどーい、新しい子が来たからって、私を蔑ろにしないでくださーい」


 「はいはい、わかったわかった。そんなかまってちゃんみたいなこと言わないの」


 「……」


 「にゃーっ!! その対応が雑です! 泣いちゃいますよー、えーん」


 何かを試すような物言いにみつきは少しばかり眉を歪めた。ただ羽樹里の方は一貫して、呆れた視線を崩さない。


 言動から察しがつく要素ではあるが、どうやら、羽樹里とこの少女は元から知り合いのようだった。


 組織テナントの人間と、羽樹里が何故。


 組織テナントとして、羽樹里は基本的に暗殺対象であり、仮に知り合いだとして、この得体のしれない少女が野放しにされている理由がわからない。


 そう、みつきが思案していると、彼女の主人はぽんぽんと殺し屋の頭を撫でた。


 「ごめん、みつき。私、ちょっと先生と話してこないと行けないから、ここ任せるね」


 そういって主人は立ち上がろうとした。


 「―――私も行く」


 それを引き留めるように、みつきは主人の服の裾をそっと掴んだ。


 羽樹里はそれに軽く笑みを浮かべると、なだめるようにその頭をもう一度撫でた。


 「だーいじょうぶ、すぐ戻って来るし。それに多分、今学校での一番の危険人物はこの子だから。みつきが見張っといて、おっけー?」


 「命令?」


 「うん、そだね。今日の分はこれでいっか、命令ね。―――で、紗雪はちゃんと自分がどういう立ち位置か説明しといて」


 「はーい。でも、センパイ、私の立ち位置は私が一番よく分かってないんですけどー」


 羽樹里の言葉に、紗雪と呼ばれた少女はにこにこと笑いながら、手を上げた。


 「んなもん、私に聞くなー。じゃあ、よろしく頼んだよー二人とも」


 そう言って、千歳羽樹里は何気ない様子で、保健室に二人の少女を取り残した。


 片や元組織テナントの殺し屋、片や組織テナントの諜報員。


 みつきは能面のような無表情を崩さないままに、紗雪と呼ばれた少女を見た。


 その瞳を眺めながら、明るい髪の少女はどこか可笑しそうに笑みをこぼした。


 「まあ、いいや。じゃ、似たような境遇同士、ちょっとお話しよっか。


 ね、識別番号323、『ハエトリグモ』」





 ※



 センパイとの出会いは、今でもちょっと忘れるのが難しい。


 なにせ組織の諜報員だということを隠して接触した私を一目見ただけで、「くさい」と吐き捨ててきた人だ。低く冷たくて、背筋が凍ってしまうような声だった。


 その時、私を一瞥したセンパイは、学校という日常のテクスチャでしちゃいけないような、文字通りの塵を見るような眼で私を見ていた。今、想うと、あの一言のせいで私ちょっと性癖、変わっちゃったんじゃなかろうか。


 冷たく、蔑まれているような、それなのに、その瞳の前から動くことは一歩たりとも許さないって、そんな瞳と声。


 周りの学生たちが、そんなにくさいか? と不思議そうに首を傾げる中で、あなたは私を睨みつけると、「放課後少し来なさい」とだけ告げていた。有無を言わせぬ命令だった。逆らうことは私なんかの小物じゃちょっとできそうにない。


 あー、これは終わったかなって正直思ったっけ。


 なにせ相手は裏社会の元締め、そのたった一人の孫娘。


 抱えている私兵は山程いるし、個々の戦力の質も、私一人じゃちょっとどうしようもない。


 そのまま学校を走り去って逃亡することもできたけど、学校の外周部には彼女の護衛が学校を見張っている、逃げ切れるとは到底想えない。


 ま、私、組織の訓練を受けて、まだ五年くらいしか経ってないぺーぺーだし。


 そんな私なんかの潜入は、彼女にとっては子どもだましの間違い探しを見つけるくらい簡単なことなのだろう。


 放課後、酷い憂鬱と諦めの感情を背中に抱えて、私はため息交じりに彼女に呼び出された場所に向かった。



 一つだけ、意外なことがあった。



 呼び出された場所は、普段閉鎖されてる学校の屋上だったんだけど。


 そこで待っていたのは、彼女、独りだけだった。


 てっきり強面のお兄さん数人に囲まれるかと思っていたのだけど。


 だから、最初は狙撃でもされるのかなと想ったけど、どうにもそういう感じですらない。


 何せ、私を呼び出した彼女が物陰に立っていて、そこに私を手招きしたから。


 狙撃するなら、もっと開けた場所で交渉は進めたいはずだろうにね。


 「なんだ逃げずに来たね」


 私を見止めた彼女はそう言って、少しだけ可笑しそうな表情で私を見た。


 どことなく意地悪くて、だというのに人を惹きつけるような妖しい光が、その瞳には爛々と輝いていた。


 「で、何処の人?」


 「あのー、センパイ、私なんのことだか……」


 「そーいう前振りはいいから。君は―――マフィアの人、じゃなさそうだ。あっこの人達はもう少し毛色が違うし。この前うちのばばあが敵対した中国の人達かな? でもあそこはもうそんな力残ってないよね。――――じゃあ、あれだ、最近話題になってる組織だ。何て言ったっけ、そう―――テナント」


 声をかけられた時点で解ってはいたことだけど、驚くほどに私の正体について看破されてるい。ほぼ会話すらしてないのに、正解ドンピシャ。


 なんか私、不味いことしてたのかな、いや、想いつく限りは何もない。ただ彼女がおかしいだけだ、そう想いたい。


 「そんな表情しちゃあダメだぞ。答え合わせを私にさせるようなもんだから」


 そんな言葉に思わず苦笑いが零れてしまう。表情、特に歪めた覚えはないんですけどね。一応、そういう訓練も受けてきたんですけれど。


 「…………私のこと、殺します?」


 逃げ腰の言葉が口から漏れることに自嘲する。


 だって本来、この瞬間、物理的な主導権は私が握っているはずなのに。


 狙撃はない。伏兵もない。


 相手は訓練も受けていない女子高生、たった独り。


 組み伏せて人質に取るのに十秒もかからない。


 そのはずなのに、正直、この時点の私は抵抗する気がさっぱり失せていた。


 私の正体に、ここまでの確信をもっている彼女が、あえて私の引き金が及ぶ範囲に平然と身体を晒している。その時点で、もうこ盤面は私がどうしてもひっくり返らないように造られている。


 そうとしか、想えなかった。


 だけど意外なことに、私の言葉を聞いたあなたは、どこか可笑しそうに。



 そして、どこか寂しそうに、くすくすと笑うだけだった。



 「そうだねえ、君の目的次第かな」

 


 そうやって私を見た少し寂しそうなあなたの瞳と、その透き通るような声を。



 私はどうにも忘れることが出来ないでいる。



 問われた言葉を偽ることは容易くて、でもそれを看破されることを思い浮かべるのもまた、あまりにも容易くて。



 今、自分に残されている選択肢が、ありのままをただ喋るしかない、ということが少しばかり情けない。


 

 だって、これを喋れば、私はこの人に消されるだろう。



 そうでなくても、組織の方に消されることは請負だ。



 死にたくはないけど、でも喋らないという選択肢もありはしない。


 

 少し不思議なことがあるとすれば。



 それだけ絶望的な状況だったのにもかかわらず、私の口がすらすらと動いたことと。



 そんな私の言葉を聞くあなたがどこか可笑しそうに笑ってたから、まあ、これで死ぬのなら仕方ないかな、なんて。



 そう受け容れてしまっていた、ことだろうか。



 そうして私の―――というか、組織の目的を聞いた千歳羽樹里は。



 相も変わらず、どこか可笑しそうに、そして、どこか寂しそうに笑ってた。



 「うん、わかった。それならいいよ、そばにいて」



 は? とバカみたいに口を開けたのを覚えてる。



 「護衛のみんなにも、君のことは放っておくように言っとくから、情報取りたいなら好きにして。あ、でも、こそこそされるのはめんどくさいから、知りたいことがあるなら、ちゃんと正面から聞きに来ること。いい?」



 何を言っているのか解らない、どういう意図なのか読み取れない。

 


 「私もなんか聞きたいことあったら聞くし。答えられないなら、それでも別にいいしね」



 そんな私の心なんて置き去りにして、あなたは妖しく笑っている。



 「ただその代わり、君はちゃんと、今教えてくれた君の仕事を―――全うしてね?」




 その言葉が意味するものを、その笑顔が隠した心を。




 「もし私が―――――になった時は」




 この時の私は、何も知らないままだけど。




 「ちゃんと、――――してね?」




 ただ、この瞳から、この声から、もう二度と逃げることはできないのだと。




 「そういえば、君、名前なんて言うんだっけ?」




 それだけは、なんでかわかっていたんだったっけ。




 「そう―――よろしく、紗雪」




 これが私とセンパイ―――千歳羽樹里との出会いの話だ。




 ※



 「というわけなのだ、わかった?」



 「……結局、今あなたはどっち側なの?」



 「さあ? 実は、私もよく分かってないんだよね」



 紗雪と呼ばれた少女は、そう言って笑っていた。



 みつきと呼ばれた少女は、特に表情を歪めることもなく、冷めた眼でその少女を眺めていた。

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