うちの夫、早く死なないかなぁ

久見つき

第1話 なぜこんなにも夫にイライラするのか

 また、玄関のゴミを持っていかずに仕事に行った。今日はわざと靴の隣に置いたのに。夫の三木谷 一希みきたに いつきが家を出て行った後の玄関にはペットボトルや缶コーヒーの空き缶が袋の中にまとめられて、ポツンと置かれていた。今日は水曜日で、ビン、缶、ペットボトルの回収日である。とは言っても三木谷家はマンションで24時間好きな曜日、時間にゴミ出しができ、管理人さんがゴミの回収日に合わせて仕分けをしてくれる。だが、家に残っている空き缶や空のペットボトルはゴミ収集車がくる前に捨てておきたい。

 さらに三木谷家はマンションの角部屋に位置し、玄関を出れば左にすぐ非常用階段があり、そこを降りて駐輪場を抜ければゴミ捨て場がある。

『ゴミ捨てておいて』と頼めば、『うぃ』とやる気のない返事をしながらも捨てといてくれる。だが、菜乃華なのかはもはやその言葉をかけるのもめんどくさかった。というのも極力、一希との会話をすることを避けていた。菜乃華からすれば言わなくてもわかるでしょ!という感じだ。だが、一希は言われなければ持っていかない。そんなことは日常茶飯事である。

 昔は言わなくても持って行ってくれたのに…。と小さなイライラが菜乃華にはこみ上げていた。菜乃華と一希が結婚したのは今から7年前。2人とも中学校の教師をしていて、忙しいのはお互い様だからと家事も分担していた。

 2人の間に子供が産まれた頃から徐々に溝ができてきたのだろう。菜乃華は現在、育児休業中であり、家にいるのだから家事は妻がやってくれる。という考えが一希にはある。今まで分担していた家事は全てリセットされ、菜乃華がほぼ全て行っている。それは菜乃華も仕方ないことだと思っていたが、菜乃華にとってこのゴミ出しは、通勤途中にゴミ捨て場の前を通るのだからついでにやってよ!という気持ちだ。しかし、一希には時間の余裕がなかった。今、急がないと乗りたい電車に乗れないという状況だ。その状況は菜乃華にはわからない。菜乃華はイライラしながらも玄関からリビングに戻り5歳の息子の宗一そういちと1歳の娘の華咲はなえと朝食を食べる。

 『あー、もう!』と怒り交じりの声で言うと宗一が『またパパ、ゴミ持っていかなかったんでしょ?』と言う。宗一の前で一希の悪口を言ったことはないが、一希がゴミを持っていかないことに関しては宗一もだいぶ理解していた。菜乃華は『さー、どうでしょう』と肯定も否定もせずに返事をした。そんな会話をしながら菜乃華は娘の華咲に朝ごはんを食べさせていた。華咲は手づかみ食べをする時期で机の周りにはご飯やおかずが散乱していた。

 保育園に行く時間になり、保育園リュックを宗一に背負わせる。菜乃華は右手には家の鍵を持ちながら華咲を抱き抱え、左手には玄関に置かれていたゴミ袋をもつ。玄関の鍵を閉め、非常用階段から降りていく。ゴミを捨ててから2人を自転車に乗せて保育園へと向かった。これだけでも朝から大仕事である。

 保育園に宗一を送ってから菜乃華と華咲は家に戻る。部屋の中は華咲の散らかしたおもちゃと朝食の時にこぼしたご飯粒などで床が汚い。菜乃華はまず片付けを始めたが、その横で華咲がまた違うおもちゃを出している。

 一通り片付けと掃除が終わり、菜乃華は華咲をベビーカーに乗せ、近所のスーパーへと向かった。地味にめんどくさい夕飯の献立決めが菜乃華にとって毎日の悩みの種だ。野菜コーナーで特売のレタスを取り、精肉コーナーへ向かう途中に赤ちゃんを抱っこしながらカートを押す父親がいた。父親が子供を抱っこしてスーパーにいるというだけで、菜乃華にはその父親がイクメンに見えてしまう。一希がそんなことをするとは全く想像がつかない。そんなことを考えると菜乃華はまたイライラしていた。

 その父子は菜乃華とは違う方向に行き、再び菜乃華は夕飯の献立を考えていた。

 買い物を終え、家に戻り、できるところまで夕飯の準備に取りかかる。華咲はリビングで遊んでいるが相変わらずおもちゃを出しては違うおもちゃを出して、リビングは強盗にでも入られたのか、というような散らかりようだ。夕飯の支度が半分程終わったところで華咲がぐずり始めた。お昼寝の時間である。ご飯支度を中断して寝かしつけを始める。抱っこをして背中を優しくトントンとたたいていると華咲はウトウトし始めるもなかなか寝ない。これで、すぐ寝る日もあれば、30分以上かかっても寝ない日もある。寝たと思ってベビーベッドにうつそうとすると起きる。また抱っこして寝かす、といったことを何度か繰り返し、ようやくベビーベッドで寝た。今日は45分もかかった。

 再び夕飯の支度にとりかかる。華咲が寝てから15分くらい経った時、インターホンが鳴った。モニターには段ボールを持った宅配員がエントランスに立っていた。エントランスのドアを開け、急いで華咲が寝ているベッドへ向かう。今のインターホンの音で華咲が起きてしまったのではないかとヒヤヒヤしたが、彼女は気持ちよさそうに寝息を立てながら寝ていた。再び菜乃華は急いで印鑑を持ち、玄関へ向かう。玄関のインターホンが鳴る前にドアを開けて待とうとしたが、菜乃華がドアを開けるよりも先に玄関のインターホンが鳴ってしまった。その瞬間、華咲の鳴き声が家中に響き渡った。宅配員を責める気はないのだが、心の中でなんとなく彼を責めていた。無事に荷物を受け取ったが、宅配伝票を見て怒りの矛先が宅配員から三木谷一希に変わる。

 受取人、三木谷 一希と書いてある。ネット通販で注文した商品のようで、時間指定12時〜14時となっている。華咲はだいたいいつも12時〜14時に昼寝をする。なぜ、娘の昼寝をする時間に宅配便の時間指定をしたのか。菜乃華はイライラを募らせるも、とりあえず受け取った荷物を少し強めに玄関の床に置き、泣いている華咲の元に向かった。華咲は少し抱っこすると泣き止み、再び寝た。そのままベビーベッドに寝かせてもよかったのだが、またベッドに置いた時に泣かれるのがイヤだったので、抱っこしたままリビングのイスに座った。

 スマホを取り出し、一希に荷物が届いたことを伝えようとラインのアプリを開く。

"荷物届いたよ。"

とうち、送信ボタンを押そうとしたが、手が止まる。

"華ちゃんがお昼寝してる時に荷物届いたよ。それで起きちゃったけどまた寝たよ。"

文を付け足すか数秒考える。変なことで喧嘩もしたくなかったので、荷物が届いたことだけを伝えることにした。だが、菜乃華の心にはモヤモヤしたものがあり、一希の荷物のせいで華ちゃんが起きた!ということをなんとかして伝えたい気持ちでいっぱいだった。

 華咲を抱っこしたまましばらくスマホをいじっていると一希から返信がきた。

"ありがとう!昨日頼んだプロテイン、もう届いたんだ"

『プロテイン…』思わず声が出てしまった。実はこのプロテイン、以前から菜乃華をイラつかせていた。一希は筋トレで毎朝晩プロテインを飲んでいる。このプロテインは粉末状で水に溶かして飲むタイプである。大容量タイプを購入しており、狭い台所にそのプロテインの袋が置かれるのが邪魔だった。さらにそのプロテインの粉をシェーカーに入れる際、一希は毎回少しこぼしてしまうようだ。それを拭き取らずそのままにする。それが菜乃華には小さなストレスだった。

 プロテインという文字を見て押さえていたストレスが蘇ってくる。一度、深呼吸をしてラインアプリを閉じ、他のSNSなどを見て怒りを抑えることとした。

 しばらくして華咲が起きた。華咲は抱っこされた状態で起きると機嫌がいい。華咲をリビングのつみきが散乱しているところに座らせた。すると彼女はさっそく、つみきを手に取り口に入れようとするが、入らず投げた。

 菜乃華はプロテインに罪はないとわかっていながらも、玄関に置いた段ボールを持ち上げ、一希の部屋へ行き、床に向かって落とした。段ボールは大きい音を出すも壊れることはなかった。

 菜乃華は夕飯の続きを作りたかったが、華咲にお昼ご飯を食べさせることにした。手づかみであちらこちらにご飯やおかずが散らかっていく。なんとか昼食を済ませて再び夕飯の支度を始めた。リビングではおもちゃのピアノで遊んでいる華咲とテレビからはワイドショーが流れていた。テレビは見ているわけではないが、なんとなく寂しいので付けている感じだ。なので内容はほとんど頭に入っていない。

 しばらくしてスマホから着信音が鳴る。一希からだった。普段、昼過ぎに夫から電話がかかってくることなどほとんどない。何かあったのか?と思い電話に出る。

『あ、もしもし、俺だけど、今、大丈夫?』

少し焦った一希の声だった。『大丈夫ってわけではないけど、大丈夫だよ。何?』菜乃華が答える。『大会の参加費、今日までに振り込まなきゃいけないんだけど、すっかり忘れてたんだよね。今から振込先とか写真で送るから郵便局で振り込んどいて!5時まで!』

時計を見ると14時20分。

『5時って時間ないじゃん!』焦る菜乃華に一希は『郵便局行けるでしょ?お願い。じゃあ』と言ったところで電話は終わった。そしてすぐ振込先や金額が書かれた用紙の写真が送られてきた。一希は野球部の顧問をしており、大会の参加費を支払わないと、もちろん大会には出られない。この振込が大事なことは菜乃華でもわかっていた。たしかに郵便局は家から5分くらいのところにある。しかし、夕飯作りを中断してわざわざ振込に行くのも気が乗らない。1人で行けるならまだしも、華咲を連れていくとなるとさらに気が重い。だからといって華咲を置いていくわけにもいかない。夕飯を作ってから郵便局に行くか、郵便局に行ってから夕飯を作るか悩みながら菜乃華は台所に向かった。夕飯を作ってから郵便局に行くことにした。

 無事15時には夕飯を作り終え、郵便局に行く準備を始める。華咲をベビーカーに乗せ郵便局へ向かった。郵便局は少し混んでいてATM待ちの行列に並ぶ。ようやく順番がきた。ATMの前のスペースはベビーカーがあると狭いが、無事に振込が完了した。

 

 菜乃華にとって許せないのが、一希は自分のことを暇人だと思っているところである。確かに17時までに振込は完了した。仕事をしていると郵便局に行きたくてもすぐには行けない。だが、菜乃華も決して暇ではない!ということをなんとか一希にわからせたかった。そんなことを考えながら自宅へとベビーカーを押した。

 自宅に戻ってから残っている家事を済まし、宗一のお迎えに行く。保育園から自宅に帰って来て、菜乃華はすでに疲れていたが、ここからがさらに疲れる時間である。作っていた夕飯を温めている間、2人はリビングで遊んでいる。仲良く遊べればいいが、5歳の男の子と1歳の女の子がうまく遊べるわけがない。宗一がプラレールで線路を作っていると華咲がその線路を悪気もなくどんどん壊していく。それに腹を立てる宗一、華咲を叩く。華咲が泣く。これはいつものパターンである。『はいはい、仲良くねー。もうすぐ夕飯できるから』とだけ言って夕飯の支度を進める菜乃華はこの時、心を無にしているようだった。2人に構っていれば夕飯の準備などできない。できるだけ夕飯の準備に集中していた。

 机の上におかずが並び、3人で夕飯を食べる。宗一が保育園であった出来事をひたすらしゃべっている。それに相槌を打ちながら華咲に食事をあげていく。

 夕飯が終わりお風呂を沸かす。お風呂から上がったらすぐに着替えられるように3人分の着替えをリビングのソファーに並べておく。脱衣所がせまいのと寒いので、お風呂から上がったら軽く拭いてリビングで着替えるのが私たち3人のルーティーンだ。

 お風呂は菜乃華が先に入って全身、髪を洗い、その間、子供達はリビングで過ごす。菜乃華が洗い終わったら2人を迎えに行き、3人で入る。

 お風呂から出た後はとにかく忙しい。菜乃華はバスタオルを巻いて華咲の体を拭き、オムツをはかせ、保湿クリームを塗り、寝巻きを着させる。じっとしていない体を押さえてなんとか服を着させるのはなかなかの労力である。続いて菜乃華は自分の身体に巻いていたバスタオルで全身を拭き、寝巻きを着た。宗一はお風呂のおもちゃでまだ遊んでいたが、気が向いた所で浴室から出てきた。

 菜乃華は自身の保湿をしたりドライヤーで髪を乾かすも、リビングからまた子供達の喧嘩をしているであろう声が聞こえる。ドライヤーで聞こえないふりをしながら髪を乾かしていた。

 時計を見るともうすぐ20時になろうとしている。華咲をまず寝かす。その間、宗一はリビングで1人で遊んでいる。宗一にとってこの時間は妹に邪魔をされない時間でもあるのでおもいっきりプラレールで遊べるのだった。

 華咲を寝室で寝かしつけている時、華咲のスマートフォンが鳴る。目を閉じて今にも寝るというタイミングだったので一瞬、菜乃華はドキッとする。一希からのラインだ。

"遅くなる"

スマートフォンの音に華咲は目を覚ますも再び目を閉じた。なんでこのタイミングでラインするかなぁ…と一希に対してイラつきはあったものの、連絡があっただけマシである。さらに華咲もそのまま寝てくれたので、菜乃華は寝室から出て宗一が待つリビングへと向かった。

"遅いって何時?"

と菜乃華が返信をする。

"10時過ぎ"

と返ってきた。一希はだいたいいつもそのくらいだ。

"先に寝てる"

とだけ返信をし、宗一と寝室へ向かった。

昔なら、

"お疲れ様、がんばって"

などの労いの言葉も添えていたが、今はそのような言葉をかける気にもならない。

 こうしてまた平凡な一日が終わる。




 


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