我が子よ、賢くあって私の心を歓ばせよ!

 同棲を解消して実家に戻った矢先、幸か不幸か職を失った。ホテルを辞めたあと、私は本屋でアルバイトをしていたのである。閉店の四日前にオーナーに言われ、プラス一ヶ月分のお給料を頂く。職安ハローワークに通いながら次の職場を探すも、突然無職になって何をしていいのか分からなくなった。


 ギャンブル依存症から活字中毒になったのはこの時期である。昼間は図書館に行って本を貪り読み、夕方から明け方にかけて小説を書きまくる。読書と創作は病んだ私の心を癒し、活力を与えてくれた。


 再就職先は近くの飲食店のバイト。相変わらず昼間は図書館に通い、夜はバイトして夜中に小説を書くという生活を続けた。三年ほど続けた頃、お見合いの話が来る。一人目はスキーが趣味だという人。断った。二人目は夫である。


 身長とか収入とかどうでもいい。飲酒、ギャンブルをしない人なら誰でもいい。デートはいつも公園で物足りなかったが、結婚を前提に付き合うことになった。優しくて思いやりがある人に会ったのは久々だった。


 プロポーズされ、夫の家に挨拶に行く。仏間に圧倒された。立派な神棚もある。義母となる人からご先祖さまに報告するよう仏壇の前に座らされた。


 はい、来たー! やっちまった。先祖崇拝をしたくないと全身が拒否したのである。手を合わせてお線香をあげない私を見て、夫も義母も驚いていた。いや一番驚いたのは私自身である。神棚にいるであろう神様は私の神様じゃないって拒否したのである。


 私は家に送って貰う時、正直に全てを話した。仏壇を、ご先祖様を、お墓を守っていくことができないですと。夫は静かに言った。

「……信仰の自由は認めるよ。本当に、この家も土地もいらないんだね。長男だけど家を継がないことにする」と。


 家を継がないということ、つまりは相続を放棄するということである。先祖代々の墓に入れないけどいいかと聞かれた。そんなのどうでもよかった。


 人は死んだら無になると信じていたからだ。死んだら魂も何もない。死んだ後のことなんかどうでもいいって思っていた。その前にこの世の終わりが来るとノストラダムスも驚きの聖書の言葉を信じていたのである。


 千九百九十五年一月。夫の実家と同じ市にアパートを借りて新婚生活が始まった。なんと引越し当日、再び運命の出会いがある。高校三年生の夏休みに訪問に来たのと同じ宗教勧誘を受けた。


 私はちょうど十年前に半年間だけ勉強をしていたことを伝える。将来が不安ではないですか?と聞かれたので信じていたことを答えた。


「神様がもうすぐ悪い世の中を滅ぼして下さるんですよね」痛い。やばい。


 宗教勧誘の女性二人組は私の発言に驚き、冊子をくれた。お金を払おうとすると今は無料で差し上げていますと言った。引越しても、神さまは私の居場所を知ってくれていると本気で安堵した。痛い。やばい。


 またまた、その女性たちは毎週家に来るようになった。私は十年間、神様に対して犯した罪を話し、流産した赤ちゃんはに復活するのかと質問した。


 楽園とは天国ではなく、神様が邪悪な体制を一掃したあとの世界である。邪悪な世界を一掃することを神の日の戦争と呼ぶ。簡単に言うとハルマゲンドン。


 真理を知らないで亡くなった人間は無条件で楽園に復活すると教えられてきた。神が再創造してくださると教えられてきた。では胎児はどうかと本気で質問する私。もし再創造されて楽園に復活しても母親がいないと可哀想ではないかって思ったのだ。それは聖書に書いてないので分かりませんとの返答だった。


 たった半年間学んだだけなのに、ハルマゲドンの前に起きることと、その後は楽園パラダイスになることを信じていた。ちなみに、ハルマゲドン前に起きることは戦争、大きな地震、疫病、食糧不足である。そして凶悪犯罪が増えること。まさにこの年、阪神淡路大震災とオ◯ム真◯教による凶悪犯罪が起き、終わりの日が近づいていると焦ってしまったのである。


 十年間の罪も告白した。悔い改めれば許して下さると教えられた。今からでも神様に喜んでいただく行動をするならば受け入れられると励まされた。


───我が子よ、賢くあって私の心を歓ばせよ!


 今からでも遅くない。悔い改めれば許される。賢い生き方をすれば神様に愛される。神様に喜んでいただきたい。単純思考回路発動。信仰を業によって表そうと、ここから格闘が始まった。痛い。ヤバイ。


 信仰の自由を認めると夫は言ったが、まさか聖書研究をするとは思わなかったんだろう。夫はひどく反対し、夜中まで話し合いが続いた日もある。


 アパートの人やママ友が心配してあまりのめり込まないように忠告してくれた。私の両親はまた変な宗教に拘っているのかとお怒りモード。相変わらず仏壇に手を合わせない嫁に夫の両親は嘆き悲しんだ。


 集会に行くようになると夫の反対が強くなった。娘を巻き込むなとお怒りモード。車を貸してくれない。「行きたいなら電車で行け! 宗教に関わる費用は全て自分で賄え。寄付はするな。俺を巻き込むな!」


 負けてたまるか。私は何があっても集会を休まなかった。日曜日の家族団欒の時間もほとんど家にいない。週に二日は夜の集会。仕事から帰宅しても夫は一人で夕ご飯を食べた。


 そんな夫の孤独感も顧みず、私はさらに聖書の勉強に力を入れる。三ヶ月に一度定期的に割り当てを果たす神権宣教学校に入校した。自分で作った会話形式の話を壇上で披露する。伝道に出た時にどんな質問を受け、どう答えるかの訓練だった。


 八十人の前で披露する時の高揚感。みんなの拍手を受けると神様に喜んでもらえたんだと安堵する。大会で体験談を話すときは二千人の拍手を浴びる。神様に祝福して貰えたんだと本気で思った。今考えれば、承認欲求が満たされた痛い人間である。穴があったら入りたい。


 こうして私は十年前には出来なかったこと、神に献身して洗礼を受けることができ、やっと神さまの子供になれたと涙を流した。本当に痛くてヤバイ。


次回 「神に近づきなさい。そうすれば神も近づいてくださいます」


乞うご期待! 

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